6-3 聖女追放のシナリオ
「サイフォス、さん……」
「思ったよりもお元気そうで何よりです、モニカさん」
牢の前まで来たサイフォスは、何事もなかったかのように微笑み、胸元に手を当てて礼をした。所属を示す立襟の祭服と純白のマントはいつも通りだが、手袋は片方だけしか着けていない。
「誰が犬だてめえ! 人間風情が!」
ダーロスは唾を飛ばして怒鳴りつける。
「人間風情にしてやられた負け犬がよく吠えますね。主たる神がいなければ人型はおろか眷属としての姿すら保てず、人の身体を間借りしなければならないというのに。僕に対して意見・反論があるのなら、その身体を捨ててからにしてください」
口調こそ淡々としていたが、サイフォスは強い軽蔑のこもった視線をダーロスに向けた。
「アトラも気に入らねえがお前はもっと気に入らねえ!」
ダーロスは鉄格子に拳を叩きつけ、尻尾を逆立てる。
「ここでは逃げ場のないモニカさんにも被害が及びますよ。そのような形で彼女を亡き者にしたいのですか」
「……ちっ」
モニカの方をちらりと見遣り、ダーロスは大きく舌打ちをした。わざと足音を立ててサイフォスとすれ違い、牢から出て行く。
「マハヴィル殿下と違って、あれを手なずけたところで手首ごと噛み千切られるだけですよ」
ダーロスの姿が完全に見えなくなってから、サイフォスはモニカのいる牢の前にやってきた。
「よく私の前に顔が出せますね」
モニカは鉄格子越しにサイフォスと真正面に向き合う。
「これはこれは、嫌われてしまったものです」
サイフォスは普段と変わらず、口元にうっすらと笑みをたたえている。
「あんなことをしておいて、嫌われていないとでも? そんなに私に好かれている自信があったのですか」
「いえまったく。ですが、エルヌールに嫁ぐことだけはなくなったようで安心しています」
「マハがダーロスに乗っ取られたことを言っているんですか? それとも私がそのうち処刑されるから? どっちにしたって趣味が悪いです」
モニカは努めて冷静に言い返した。そうでもしなければ、頭の中に飛びかっている上流階級には通じないスラングがあふれてしまいそうだった。
「ダーロスが何かあなたに吹き込みましたか」
サイフォスは気だるそうに息をつく。
「私は大罪人として処刑されるそうですね。レイドール王子に対する暴行傷害と、ここにある旧神の印については言い逃れできませんけれど」
モニカは首の後ろをさすった。
「朗報――と言えるかはわかりませんが、処刑を逃れる方法が一つ、ありますよ。あなたの不興を買うと知りつつ僕が訪れたのも、その話をするためです」
サイフォスは目を細め、人差し指を立ててみせる。
(面の皮が厚いこと。私も人のこと言えた義理じゃないけど)
普段と変わらない様子で接してくるサイフォスに、モニカは苛立ちを覚えた。
「……念のため聞いておきます」
モニカは自分の腕を撫でさすり、感情を抑える。
なんの情報もないまま、いつ来るかわからない処刑の日を待つのは得策ではない。暴言をぶつけるのは話の後でもいいだろう。
「あなたの身体を、アトラに明け渡してください」
サイフォスは立てた人差し指をモニカの喉元に突きつけた。
直接押されたわけではないが、モニカは数歩後退る。
「……は、い?」
「アトラはあなたの才を買っています。依り代とする身体は有用であればあるほどいい」
「つまり、マハみたいに身体の主導権を奪われるってことですか?」
「さて、どうでしょう。実際に赤犬に聞いてみれば良いのでは」
サイフォスは肩をすくめてはぐらかす。
「……ダーロスの方がサイフォスさんよりも話が通じるかもしれませんね」
モニカはつい嫌味な口調になってしまう。
「でも、身体を明け渡したところで無罪放免とはならないのでは? とっても楽しそうに国家反逆罪だとか極刑だとか仰っていましたよね。やっぱりあれは冤罪でした、とでも言うんですか?」
「簡単なことです。代わりにマグノリアを処刑します」
急に、モニカは背中に冷たい刃物を押し付けられたような気がした。それくらい、サイフォスの言葉は冷ややかなものだった。
「力欲しさに旧神の眷属を召喚し、それにそそのかされるままレイドール王子を篭絡。フィンレイ王子を毒蜘蛛に襲わせたような愚かな女性です。それらと、あなたに対する容疑のでっちあげや魔除けの水晶の破壊など――アトラがおこなった愚行の数々を公表すれば、すぐにでも刑が執行されるでしょう。証拠はすべてアトラが握っていますし、一種の自作自演ですね」
サイフォスはすらすらと淀みなく、モニカが復権するためのシナリオを告げる。
「当然、共犯のレイドール殿下にも堕ちていただきます。そうすれば、あなたは悲劇の聖女として迎え入れられることでしょう」
細められたサイフォスの瞳は、薄暗く濁っていた。
見たことのない色に、モニカはぞっとする。
「……フィン様の足も、あいつのせいなわけ?」
モニカは気を取り直し、拳を強く握りこんだ。
サイフォスは顎に手を当て、数秒経ってからうなずく。
「そう聞いています。あなたが王子を治してしまったのは誤算だったようですよ。将来的に障害となるフィンレイ王子を蜘蛛を使い殺害。さらに、王子の命を救うことができなかった聖女の責任を問うはずだった、と。計画が狂ったおかげで、あのようなやっつけの茶番であなたを追放することになったわけですが」
「最低ね」
モニカは間髪入れずに吐き捨て、サイフォスに背を向けた。
「おや。意外です」
「……何がよ」
サイフォスの言葉が引っかかり、モニカは背を向けたまま尋ねた。
「フィンレイ王子と親しくされていたのは、あくまで第二王子一派の歓心を買うためだと思っていました。どちらの王子が聖王の座に就いてもいいように」
放たれた声が細い針となってモニカの胸を刺す。
「本当に嫌な人ですね、サイフォスさんって」
モニカは首だけを動かし、肩越しにサイフォスを見た。
サイフォスの指摘は真実だ。
だが真実のすべてではない。
保身のための関係だと完全に割り切れていたなら、足を失ったフィンレイのために祈りはしなかった。
「前から、サイフォスさんといると猫が被りにくいなって思ってました。その目に見透かされそうで。実際、見透かされていたんですね」
モニカは身体を反転させ、ちゃんとサイフォスと目を合わせる。
ライムグリーンの瞳は、いつもその奥にある感情を読ませてくれない。
「清廉潔白な聖女よりも、したたかで打算的な女性のほうが僕は好きですよ」
サイフォスは意味深な目配せをしてみせた。
「どうもありがとうございます」
モニカは抑揚なく礼を言う。
「本心のつもりなのですが、場所が悪いですね」
サイフォスは苦笑し、寒々とした石造りの牢を見回した。
「……もう、私の気を引く振りをする必要なんてないでしょう」
モニカは胸元を握りしめ、目を伏せた。
「振りだったことは、一度たりともありませんよ」
生気のなかったサイフォスの瞳に、ふっと光が宿る。
サイフォスのせいで騙され捕えられたというのに、モニカは少なからず心を動かされるのを感じた。
口説かれることに耐性がなく、単純に自分がちょろいだけなのか。
それとも、まだ心のどこかでサイフォスを信じたいと思ってしまっているのか――
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