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6-1 魔狼の懊悩

「――死に腐れ異端ども!!」


 モニカが目覚めてから真っ先にやったのは、支給された食事を完食し、鉄格子に思いきり蹴りを入れることだった。


 鉄格子はびくともしない。足裏から膝まで痛みが響いただけだった。


 見張りの兵士がぎょっとした顔で見ている。

 モニカが目を吊り上げてにらみつけると、兵士はそそくさと視線を逸らした。


(人目があるのに久々にやっちゃった。性根の悪さって治らないなぁ。今になってイライラしてきた)


 モニカは髪を掻きむしり、牢の隅に座り込んだ。床石の冷たさが身体の芯まで染みる。


(何やってんだろ)


 ひっくり返った食器が視界に入ると、急に我に返った。固いパンが乗っていた皿と水の入っていたコップを重ね、回収しやすいように鉄格子のそばに置く。


 森でマグノリア――旧神の眷属「黒の繰り糸アトラ」を名乗る存在に拘束されてから、この牢に入れられるまでの記憶がまるでない。自分で思っていた以上にショックだったのだろう。


 マハがダーロスに身体を乗っ取られ、サイフォスには裏切られ、まわりに誰もいなくなった。


 身体がぶるりと寒さに震える。モニカは足を抱え込み、膝頭に額を押し付けた。


(今度こそ死ぬのかしら)


 国家反逆罪は極刑だけだとアトラが言っていたのをモニカは思い出す。

 ただでさえ前科のある身だ。その裁きがあってから日を空けずにこんなことになってしまっては、誰も弁護などしてはくれないだろう。


 おまけにうなじには異端を示す旧神の印がある。


(……詰んだ)


 絞首、斬首、磔刑(たっけい)、溺死、火あぶり、生き埋め――様々な方法で死刑執行される自分の姿がモニカの脳裏によぎる。


(いっそ脱獄する? ここって多分聖王城の地下牢よね)


 モニカは石壁をノックするように叩いた。こつこつと硬い音が返ってくる。とても人間の力で壊せるようなものではない。


「ようやく起きたか、女」


 騒がしい足音とともに、一人の青年がモニカのいる牢の前へとやってきた。


 目鼻立ちの整った精悍な面差しの青年だが、モニカの知っている「彼」とは髪と瞳の色が違う。艶やかな黒だった髪は血溜まりのように赤黒く、金の瞳は鮮烈な赤へと変じていた。


「マハ……ではないのよね」


 モニカは口を引き結び、青年をにらみつける。


「間違えんな。ダーロスだ」


 マハの姿をしたダーロスはガラ悪く舌打ちをした。


「そう。なら私も『女』ではないわ。モニカよ。マハの中に潜んでいた時に聞いたことがあるでしょう」


 モニカは立ち上がり、姿勢を正してダーロスと対峙(たいじ)する。


「どうでもいい。女、手を出せ」


 ダーロスはいらいらと尻尾を揺らし、鉄格子をつかんだ。

 相手の意図がわからず、モニカは首を傾げる。

 ダーロスは眉根を寄せて舌打ちをし、狼耳のあたりを掻きむしった。


「……モニカ、手を出せ」


 仕方なく呼んでやっている、といった雰囲気をダーロスは全面に押し出す。


(別に女呼ばわりされたから手を出さなかったわけじゃないんだけど)


 ダーロスの意外な律義さに心を動かされ、モニカは鉄格子の隙間からおずおずと手を出した。


 だが、すぐに後悔することになった。

 ダーロスはモニカの手首をつかみ、遠慮のない力で自分の方へと引き寄せる。


 肩に爪を深く突き立てられたことが脳裏によぎり、モニカは全身が凍り付いた。引っ張られるままに、鉄格子に身体をぶつけそうになる。


「な……なんなんですか、ちょっと!」


 わめきながら、ふとモニカは思い出す。

 ダーロスは自分のことを最初の(にえ)だとか言っていた。もしかしたらここで危害を加えるつもりではないのか。

 安易に手を出してしまった己の浅はかさにモニカは青ざめる。


 しかし予想に反し、指を食いちぎられるようなことも、腕を折られるようなことも起こらなかった。

 ダーロスはつかんだ手を自分の頬に押し当て、目蓋を伏せる。


「お前の手は変だ」

「……はぁ?」

「触れていると落ち着く」


 言葉とは裏腹に、ダーロスは不服そうに眉間のしわをより深くした。


(何しに来たんだろうこの人……)


 モニカは困惑を表に出さないようにしつつ、成り行きに任せる。目の前にいる人物が本当にダーロスであるなら、ひと一人の命をひねり潰すくらい造作もないことだ。


「お前の処遇について、アトラと揉めてる」


 ダーロスがぽつりと呟いた。


「あの蜘蛛野郎は、大罪人として大々的にお前を処刑したいらしい。自分に従わない奴らの心を折るために」

「従わない奴ら?」


 モニカはおうむ返しにしてしまった。慌てて口元を押さえる。


「あいつは『糸』で他者を操る。黒の繰り糸って二つ名もそれが所以(ゆえん)だ」


 特に気分を害した風もなくダーロスは答えた。


「と言っても誰でもなんでも操れるわけじゃねえ。まず、聖王の血筋には効かない。そいつがどんな間抜けだとしても、一滴でもレイフォルドの血が流れてるだけで無効化される。自ら受け入れた場合は別だがな。あとは、精神が安定してるやつもダメだ」


(ということは、アホ王子は自分の意志であんなことしたのね)


 アトラに操られていたのなら情状酌量の余地もあったが、図らずもレイドールがただのクズであることが証明されてしまった。


「揉めてるってことは、あなたは私の処刑に反対なんですか?」

「当然だろう。マハヴィル(こいつ)に仕返しするためにわざわざこの身体を使ってんだ。お前をこの手で殺さなきゃ意味がない」


 モニカは反射的にダーロスの手を振り払いそうになった。すんでのところで抑えられたのは、ダーロスの表情がなぜか寂しそうに見えたからだ。


「森で、私のことを一番最初の贄だと言っていましたね。ここへは私を殺しに来たの?」

「……わからない」


 ダーロスは小さく首を横に振った。


「長くあいつの中にいたせいだ。あいつが好むものは、オレにとっても好ましい。お前と出会ってからは、こいつの中でお前が一番だった」


 不満と恥ずかしさが入り混じった表情をし、ダーロスは鉄格子に頭をもたれた。


「だから殺したい。でも、お前に撫でられるのは好きなんだ」


 ダーロスは細く弱くため息をつき、助けを求めるようにモニカを見た。

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続きは翌朝7時10分ごろ更新予定です!

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