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5-10 孤立無援

「女性相手に無体(むたい)なことを……」


 憐れむような呟きが、モニカの耳に入った。

 男性としてはやや高めで澄んだ声。


 地面に影が差し、誰かがマグノリアの隣に並び立ったのがわかった。

 拘束されているモニカには足元しか見えない。


「あなたが馬鹿王子の手綱を上手く握らないから、このような事態になったのではありませんか」


 聞き覚えのある皮肉な物言い。


 モニカはすぐにでも顔を上げて声の主を確認したかった。

 次の言葉を聞くまでは。


「これは想定内よ。あなたには黙っていたけれど、策はいくつも張り巡らせているわ。それに六連星の鏡が手に入ったのなら、こちらの元聖女はもう用済みでしょう、サイフォス」


 マグノリアが言ったことを正しく理解する前に、モニカは髪を引っ張られ、顔を無理矢理上げさせられた。


 現実が突きつけられる。


 マグノリアの隣にいたのは、感情の読み取れないライムグリーンの瞳を持つ銀髪の異端審問官、サイフォスだった。

 サイフォスの腕には、親密さを見せつけるようにマグノリアの指が絡められている。


(ああ、あの時みたい)


 モニカの脳裏に、レイドールとマグノリアによっておこなわれた追放劇が浮かぶ。

 あの時モニカの心を占めていたのは理不尽な仕打ちに対する怒りだった。


 今は、何も感情が湧いてこない。

 ただ、間違いであってほしいという願いだけがあった。


「状況が把握できていらっしゃらないようね。説明してさしあげたら」


 マグノリアはこの上なく楽しそうにせせら笑う。


「説明、ですか」


 サイフォスは面倒くさいとでも言いたげに嘆息した。モニカの目の前で膝をつき、身を屈めて目線を合わせる。


「もっと穏便に済ませたかったのですが、逃げ切れなかったのですね」

「サイフォスさん……?」


 モニカはようやく声を発することができた。いつの間にか喉がからからに乾いており、声がかすれてしまう。


「神官長が『元聖女の監視と保護』を僕に依頼したと、なぜ簡単に信じたのですか。僕の言葉以外なんの証拠もないというのに」


 サイフォスは目を合わせることを避けるように、目蓋を伏せた。


「本当にそんな依頼をしたとして、わざわざ異端審問官などに頼みますか。他にも疑う余地や機会はたくさんあったはずです。テオ村や砦でも――」

「……やめてください!」


 モニカは息苦しさを覚え、悲鳴を上げた。喉が詰まり、声が裏返る。


「もう、聞きたく、ありません……!」


 瞳が潤み、視界がぼやけた。

 声を荒げ、サイフォスの言葉を遮るしかなかった。自分の愚かさや迂闊(うかつ)さを並べ立てられているようで耐えられない。


「うふふ、お可哀そうなこと」


 マグノリアは恍惚とした表情で手を伸ばした。モニカの頬を愛おしげに撫でまわす。


「でも、何も知らないまま死ぬよりは良いでしょう?」

「……なんで、こんなことするの」


 モニカは折れそうな心をどうにか奮い立たせ、マグノリアをにらみつけた。


 聖女の称号と次期聖王の婚約者という地位を手に入れるのがマグノリアの目的だったのではないのか。

 サイフォスを監視につけて六連星の鏡を手に入れるよう誘導したり、マハをダーロスに乗っ取らせたりする理由がわからない。


「聖王を自称する痴れ者に封じられた、愛しきあの方に会うため――と言ったら、信じてくださいます?」


 マグノリアはうっとりと目を細め、蠱惑的な動きで自分の身体を抱きしめた。


(聖王――初代聖王レイフォルドが封じたのは、大陸を荒らしていた邪神と、それに加担した三柱の旧神)


 モニカは一瞬、言葉を失った。

 神話時代の話をまともに受け取るなど、どうかしている。


 だが、ここまでですでに、二体の旧神の眷属と、旧神を頭の中に宿しているという人物と出会っている。一笑に付すには、あまりに深入りし過ぎた。


「……まさか、あんたまで邪神や旧神を崇めてる、とか言うんじゃないでしょうね」


 モニカは強がり、冗談めかして尋ねる。


「正確な表現ではありませんわね。この身体の持ち主については『当たり』ですけれど。目をかけていた孤児あがりの准聖女に追い抜かれ、力を持たない己に悲嘆し、何かに縋るしかなかった憐れな女」


 マグノリアはふっと熱が冷めたかのように、胸元で輝くネックレスを指で弄ぶ。


「そして、そんな彼女に救いの糸を垂らして差し上げたのが――このわたくし」


 ぶづっと耳障りな音がし、ネックレスが千切れた。色とりどりの宝石が飛び散り、マグノリアの指には細い鎖だけが残る。


「死出へと旅立つあなたには関係ないかもしれませんが、良かったら覚えておいてくださる?」


 マグノリアは指に絡んだ鎖を、鬱陶しそうに払い落とした。


「わたくしの本当の名は、『黒の繰り糸アトラ』。愛しきあのお方の手足となるべく作られた、眷属でございます」


 そう名乗ると、マグノリア――アトラはスカートをつまんで持ちあげ、いかにも貴族令嬢らしい挨拶をする。動き自体は洗練されているのに、どこかぎこちなく、作り物めいていた。


「……と言っても、あそこの赤犬ほど力も知名度もないので、わたくしのことなどご存じないでしょうね」


 アトラは自分の頬に手を当て、寂しげに息をつく。


『犬じゃねえ狼だ! 借りがあるから見逃してやるが、次またなんか言いやがったら踏みつぶすぞ蜘蛛野郎!』


 ダーロスは全身の毛を逆立てて吠えた。


「そうやって誰彼構わず噛みつくから討伐され、自力で獣の姿すら保てなくなるのですわ。わたくしのように、粛々と機を待っていれば良かったものを」

『うるせえ! そんな性に合わねえことやってられるか! よっぽど踏みつぶされたいみたいだな』

「何百年と経っても、得意なのは吠えることだけですのね」


 アトラとダーロスとの間に剣呑な空気が流れる。


(旧神の眷属といえど一枚岩ではないのね……)


 わずかだが冷静さを取り戻したモニカは、何か突破口がないかと観察した。


 モニカを拘束している兵士の数は二人。直接身体を押さえつけている者と、髪をつかんで顔を上げさせている者。

 その他に、モニカから見える範囲には四人の兵士がいた。全員っ全く同じ直立不動の姿勢を取っている。微動だにせず、まばたきすらしない。


(この兵士たちも本当に人間かはわからないわね。あとは……)


 どうか目が合いませんように、と祈りながらサイフォスの方を見た。

 サイフォスはいつも通りの生気のない目で、アトラとダーロスのやり取りを傍観している。


 ライムグリーンの瞳だけがぎょろりと動いた。


 モニカはとっさに目を逸らす。

 身体の側面に目がついてなけれ反応できない速度で気付かれた。


「いつまでもその状態では苦しいでしょう」


 サイフォスはモニカに歩み寄り、手振りで兵士に指図した。

 兵士は速やかにモニカから離れ、他の兵士と同じく待機の姿勢を取る。


 解放されたモニカはそのまま地面に突っ伏した。身体にうまく力が入らない。


「モニカさん?」

「あの時、やることがあるって言って残ったのは、マグノリアと合流するためだったんですか」


 口だけはよく動いた。恨み言がぽろぽろ落ちていく。


「今までの言葉は、全部、全部嘘ですか。あなたの思惑通り踊る私を見て、楽しかったですか」


 サイフォスは何も答えず、静かにモニカの言葉に耳を傾ける。相変わらず感情の読めない顔だった。


「なんか、なんでだろう。こういう時って、案外罵倒の言葉とか出てこないんですね。自分の馬鹿さ加減に呆れるっていうか、なんていうか」


 再びモニカの視界が滲んだ。

 鼻の奥が痛い。目蓋がじんじんと熱を持つ。


「ただ、悲しい、です」

 まばたきをすると涙が押し出され、頬の上に一本の濡れた線を描いた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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続きは翌朝7時10分ごろ更新予定です!

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