1-5 助けてもらったけれど、この狼もしかして変態……?
(え? 喋った? いま? こいつ?)
モニカは治癒光を保ったままあたりを見回す。周囲には人影もなければ動物、魔物の姿もない。
『うげえええっ、腹の中かき混ぜられてるみたい……痛い気持ち悪いぃぃ』
再び同じ声が黒狼の口元から聞こえた。
まだ手足を動かせるほど回復していないのか、尻尾だけが声に合わせてぶんぶんと振れる。
「あの、人間の言葉を喋っているように聞こえたのですが、私の言っていることって理解できたりします?」
モニカは懸命に口角を持ちあげ、友好的な微笑みを作った。
『わかる――痛って! 腹の欠けてた部分が埋まってってるのはわかるけど……っつぅ! ハンパなく痛い! なにこれ! うぎぃいいっ!』
黒狼は頭を持ちあげ、モニカと目を合わせた。
声の調子や言動から、人間で言えば十代後半から二十前半くらいの青年と話しているような印象を受ける。
「一応治療術ではあるんですが諸事情ありまして、何故か治癒の際にものすごーい痛みが生じるみたいで。あとちょっとだけ我慢してもらえます? 治ることは治るので」
モニカは人間相手にするように、可愛らしく小首を傾げてみせた。
獣に媚びが通じるとは思わないが、人語が通じるのだから人間に近しい感覚を持っている可能性はおおいにある。やれることはやっておくのがモニカの主義だ。
『いや、痛いほうが良い。この感じ、久しぶりだ。嬉しい』
(何この獣、変態?)
黒狼の発言の意図がわからず、モニカは思わず眉をひそめた。
『今のはへ……いたたたたたたっ! べ、別に変な意味とかじゃなくて!』
「大丈夫です。様々な嗜好の方がいらっしゃいますから。大丈夫です、大丈夫、はい」
モニカは笑顔を貼り付け直し、治療に集中した。
患部はすっかり修復し、どこを怪我をしていたのかわからないほどになっている。
(やっぱり、以前の治療術とは全然違う。治療って言うよりもはや再生よね)
実験台にしたようで申し訳ないが、痛みに耐性(?)がある黒狼の治療ができたのは幸運だったかもしれない。
(これで副作用さえなければ、聖女として一生安泰だったのに……)
モニカは下唇を噛みしめる。唇の形が悪くなるため、やらないように気を付けていた昔の癖がつい出てしまった。
(しかし、害はなさそうだけれどこの変態狼どうしよう)
触診を兼ねて、モニカは黒狼の腹部を撫でた。
黒い毛並みは見た目よりも肌の当たりが柔らかで、触り心地がとても良い。毛皮を剥いで服飾品に加工すれば、さぞ高く売れるだろう。
(そんなことしてもお貴族様たちの寄進には遠く及ばないか)
モニカの口から自然とため息がこぼれ出た。
「聖女」はあくまで名誉称号なので給金に色がつくことははない。しかし、聖女にあやかろうと金銭的な支援をしてくれる人は跡を絶たなかった。
『おー、すげー! 治ってる!』
モニカの胸中を知る由もない黒狼は、傷があった部分に鼻先を押し付けた。くんくんと匂いを嗅ぐ。
『もしかして、アンタがレイフォルド聖王国の聖女?』
黒狼はおもむろに立ちあがり、前肢を伸ばして背中をぐーっと反らした。仕草は完全に犬だ。
「……正しくは『元』です。恥ずかしながら諸事情あって追放されましたので」
モニカは少し考えた後、正直に打ち明けた。
行きずりの狼(?)に素性を話したところでどうということもないだろう。下手にごまかして勘繰られても困る。
もっとも、普段の精神状態だったなら、ここまであけすけに喋りはしなかった。
『アンタを、聖王国の聖女を探してたんだ。俺の身体を治してくれ!』
黒狼の金色に揺らぐ瞳に光が灯る。
「は、い?」
魔物を一撃でなぎ倒す強靭な前肢がモニカの肩にかけられた。
重さでモニカは仰向けに倒れ込む。打ちつけた背中が地味に痛い。
狼の顔が触れるほど近くにあったが、不思議と恐ろしくはなかった。
『俺は、失った痛覚を取り戻したい』
モニカを押し倒したまま、黒狼は願いを口にした。
「……ついさっき痛がって喜んでいたように見えましたが」
真剣そうなところ悪いなと思いつつ、モニカは突っ込みを入れずにいられない。
『いやだからあれは久しぶりに痛かったのが嬉しくて……』
「じゃあちゃんと痛覚あるじゃないですか」
『いや、まだ戻ってない』
黒狼は前肢を口元に寄せ、ためらいなく噛みついた。牙が皮膚に食い込み、つーっと赤い線が地面にむかって垂れる。
特に気に留めた様子もなく、黒狼はさらに深く突き立てようと牙を剥く。
「馬鹿! 何してるんです! せっかく治したのに余計な手間かけさせないでください!」
モニカは勢いよく跳ね起き、ひったくるように黒狼の前肢をつかんだ。傷口を治癒光で照らす。
あっ、とモニカが思った時にはすでに、黒狼は絶叫し、地面を悶え転がっていた。
『自分で噛んだり怪我しても痛くないけど、アンタのそれだけはすごく痛いんだよ』
瞳を潤ませた黒狼は地面に伏せ、尻尾を身体に巻き付けた。
モニカは罪悪感をひしひしと感じる。
どう見ても巨大な狼なのだが、いたいけな犬を苛めたような気分になった。
「えっと……とりあえず、もう少し落ち着ける場所で話しませんか? 日も暮れてきてますし」
モニカは服についた土や葉っぱを払い、空を見上げた。木々の枝葉の間から覗く天は、夕陽色に浸食されつつある。
今から無理に森を抜けるよりも、安全な場所で朝を待ってから出立するほうがいいだろう。
その間の時間潰しに、変な黒狼の話を聞くのも悪くない。
「遅ればせながら、先ほどは魔物から助けていただきありがとうございます。私はモニカと申します。差支えなければ、黒狼さんのお名前をお伺いしても?」
モニカは姿勢を正し、黒狼に頭を下げた。いつもの癖で、異性受けの良い微笑みを浮かべてしまう。
『っ! あ、えと……マハ、ヴィル。マハでいい。俺のほうこそ助けてもらった、ありがとう』
黒狼――マハは耳をぺたりと後ろに倒し、モニカに背を向けた。ボリュームのある尻尾が左右に大きく振れている。
(……モフりたい)
モニカの中で場違いな欲求が鎌首をもたげた。頭を揺すってどうにか煩悩を打ち払う。
特別どうこうというわけではないが、モニカも同年代の女子と同程度に犬や猫などふわふわもこもこしたものが好きだ。
『この先に、俺が拠点にしてる少し開けた場所がある。川も近い。嫌でなければ、乗るといい』
マハは顎をしゃくって背中を指し示した。乗りやすいように身体を屈める。
「では、お言葉に甘えて」
モニカはマハの背を撫で、遠慮なくまたがった。
聖女としてははしたない行為だ。しかしそれを咎める者も気にする者もここにはいない。
『念のため、首にでもしがみついていてくれ』
モニカの腕が首にまわされるのを確認すると、マハは風のように駆け出した。