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5-4 一時の別れ

「マハも来てくれてるんですか?」


 モニカの声が思わず弾んだ。


「本調子でないというのに呆れるほどの忠犬ぶりです。本当なら自分がモニカさんを助けに行きたかったでしょうに、成功率を重視して陽動を買って出てくださいました」


 サイフォスは小さく肩をすくめる。


「陽動?」


 モニカが聞き返すが、ちょうど下り階段に差し掛かったため会話がそこでいったん途切れた。

 サイフォスが先行し、安全を確かめてからモニカに手招きする。


「もっと警備とか使用人とかいるかと思ってたんですけど、全然ですね」


 あんな大立ち回りを演じたにもかかわらず、あたりには人影すらない。


「『突然どこからともなく現れた黒い巨大な狼』が屋敷の正門前で大暴れしてくれていますからね。警備兵はそこに釘付けになっています。おかげですんなり忍び込むことができました」

「えっと、マハが囮になってる、ってことですか?」

「魔除けの水晶が壊されて以降、魔物の動きが活発になっています。いやいや、本当に物騒なことですね」


 質問を無視し、サイフォスは白々しくため息をついてみせた。


(もしかしてマハの名前出しちゃいけないのかな。他国の王子が聖王家の別荘で暴れた、なんてバレたら国際問題に発展しそうだし)


 モニカは注意深くあたりを見回す。

 相変わらず人の気配はない。危険を察して部屋の中に留まっているだけかもしれなかった。


「モニカさん」


 サイフォスは顎に手を当て、急に神妙な面持ちになった。


「誠に申し訳ないのですが、ここから先は一人で向かっていただけますか」

「え、なんで……」


 唐突な申し出に、モニカは突き放されたような感覚に陥る。


「少しでもあなたの逃走確率を上げるためです。ルカルファス(うちの家)はそこそこ名のある貴族ですからね。家名の威光で怯んでくれる者もいるでしょう」

「何言ってるんですか。そんなことするより早く逃げた方がいいに決まってます。一緒にここから離れましょう、ね?」


 モニカはサイフォスの腕をつかんで引っ張った。足が床に貼りついているかのように、サイフォスはびくともしない。


「レイドール殿下の他に、もう一つ懸念点があります。聖女代行のマグノリア――自分の地位を高めるために、今回の件を利用してあなたをさらに貶めるでしょう。『断罪された腹癒せに魔狼を使役して殿下を襲撃させた』とか、『聖女に返り咲くためにモニカさんの方から色目を使った』とかね」


 サイフォスは意味ありげに目を細めた。


「はぁ!? マハをけしかけることはあっても色目なんて死んでも嫌ですよ!」


 モニカは怒りのあまり声を荒げる。


 いくらレイドールの子を宿しているからとはいえ、何故マグノリアの横暴が許されているのか――モニカには不思議でしょうがなかった。

 レイドールがわざわざ傭兵を雇って自分を捕らえさせたことといい、不可解な点が多い。


「正直、殿下よりも彼女のほうが厄介です。僕が内部に留まって情報を攪乱できれば時間を稼げます。そういった諜報は異端審問官のお家芸ですからね」

「でもサイフォスさん、弁解の余地がないくらい王子のことボッコボコにしてるじゃないですか。捕まったら即極刑ですよあんなの」


 たとえ性根が腐っていたとしても、レイドールは第一王子――次期聖王だ。その生命を脅かしたとなれば、傷害どころか国家転覆罪を疑われかねない。


「レイドール殿下には、話を合わせてもらえるよう『お願い』しますよ。彼も浮気のことはバレたくないでしょうし。浮気相手を妊娠させたから婚約者を追放したというのに、またその婚約者(モニカさん)に手を出そうとした――などと知れ渡れば、さすがに信用失墜は避けられません」


(……それって実質脅迫だよね。また『神罰』使うんだろうなぁ)


 サイフォスの「お願い」の言い方に引っかかりを覚えたモニカは苦笑を禁じ得ない。


「それに、聖ローザ孤児院のことも気になるんじゃありませんか?」


 言われてから、モニカははっとした。孤児院を盾に取られたから、半ば自主的に拉致されたことを思い出す。


(……ダメだな、私。自分のことで精いっぱいで、孤児院のこと忘れてた。マハにもサイフォスさんにも迷惑をかけて……いっそ、あのままおとなしくしてたほうが良かった?)


 レイドールに組み伏せられた時のことがモニカの脳裏によぎた。湿った吐息や、耳を撫でられた感触がよみがえり、身体が勝手に震える。


 なにも殺されるわけじゃない。聖女のままであったなら、いずれはレイドールとしなけれはならないことだった――そう言い聞かせても、震えが治まってくれない。


「罪は必ず白日の下に晒されます。それまではどうか道を誤らぬよう、強い心をもって耐えてください」


 サイフォスはモニカの手を自分の両手で包んだ。

 相変わらず、サイフォスの手は手袋越しでも冷たい。でもその冷たさが今はちょうど良かった。


(……弱気になってる場合じゃない。ぐずぐずしてたら、状況がどんどん悪くなるだけ)


 モニカがうなずくと、サイフォスは柔らかく微笑んだ。


「一階まで下りたら、左手にある厨房の勝手口から外に出てください。マハヴィル殿には陽動した後、頃合いを見て屋敷の裏手で待機しているようにと伝えてあります」


 サイフォスはモニカの耳元に唇を寄せ、この先の道筋を告げる。


「合流したら僕の屋敷へと向かってください。地図を渡してあるので、彼の背に乗っていれば着くでしょう。屋敷の敷地内に入ればそれ以上は追ってこないはずです。ここから多少距離はありますが、彼ならあなたのために喜んでひた走るでしょう」


 伝え終わると、サイフォスはモニカの背中をぽんぽんと軽く叩いた。階段の方へと向かうよう視線で促す。


「後でサイフォスさんも来てくれるんですよね?」


 モニカは確認せずにはいられなかった。

 サイフォスはただ微笑みを返す。


「神のお導きがあるなら大丈夫、ですよね?」


 我ながらしつこいと思いつつ、モニカは尋ねた。


 己が身を犠牲にして自分のことを逃がそうとしているのではないか。

 そんな疑念がぬぐいきれない。


 サイフォスの微笑みに困惑が混じる。


「そうですね。あなたが僕を信じて願ってくださるなら」

「嫌です」


 モニカは間髪を入れずはねつけた。


「そんな他力本願なこと言わないでください。私の将来の伴侶なんでしょう? もしも帰ってこなかったら、私エルヌールに嫁ぎますからね!」

「それは……僕の求婚を受け入れてくださったと解釈しても?」


 サイフォスは一瞬だけ目を見張り、その後すぐに意味ありげに目蓋を伏せた。


「受け入れる可能性は少なくともゼロではないです。サイフォスさんが死んじゃったら当然ゼロになりますけどね」


 このやり取りにどれくらいの効果があるかはわからない。それでも、ほんの少しでもサイフォスが帰ってきてくれる確率が上がればいいとモニカは思った。


「ものは言いようですね。ですが、暑っ苦しいエルヌールに嫁がせるのだけは断固として阻止しないと」


 サイフォスは片方の手袋を外した。襟元からモニカの服の中に手袋を押し込む。


「きゃあっ!? なに!?」


 サイフォスの突然の奇行と、肌に触れる手袋のごわついた感触にモニカは悲鳴を上げる。


「取りにいくので持っていてください」


 サイフォスは平然とした様子でうそぶく。


(だからっていきなり服の中に入れなくても……隠し場所としては確かに安全ではあるけど……!)


 モニカは胸元を両手で隠し、サイフォスをにらみつけた。


「決して、なくさないでくださいね」


 サイフォスはモニカの前髪を掻きあげた。誓いを交わすかのように、モニカの額に唇を落とす。

 ほんの一瞬触れただけだが、モニカを動揺させるには充分すぎた。


「ばかっ! こ、こんな時に何するんですか! マハみたいなことしないでください!」


 慌てたモニカは何度も何度も前髪を手ぐしで直す。

 ちらっと見えたサイフォスは、口元を手で押さえて笑いを堪えていた。


「そんなに素直に反応されると、いつまでもからかいたくなってしまいますね。あの発情犬と何があったのか追及もしたいところですが、また次の機会にしましょう」


 サイフォスはひらりとマントを翻し、来た道を戻っていく。

 モニカはその背中を数秒見つめた後、意を決して足を進めた。

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