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5-2 暴力と治癒は聖女の嗜み

(――そんなの絶対にいや!)


 不意にモニカの瞳の奥で何かがちかちかと明滅する。


(どうするも何も、最初から決まってるじゃない)


 玉座の間で、レイドールに断罪され、マグノリアに孤児出身であることをそしられた記憶が、あふれ出した。


(こいつの思い通りになんてさせてやらない。くだらない感情に流されて、私をあんな形で聖女から引きずり下ろした報いを受けさせる)


 それをきっかけに、折れかかっていた心が息を吹き返す。


(私はこんな素直に打ちひしがれるようなタイプじゃない)


 怯えていた自分が馬鹿らしくなってくる。

 森で会った魔物の群れや、テオドラ砦でさらわれかけた青眼のスケルトンのほうがよほど脅威だった。


(出来ることは全部やらないと。悲観してる暇なんてない)


「っ、あ……レイドール、様。待ってください」


 モニカはレイドールの胸元に手を当て、拒否と受け取られないようにやんわりと押した。


「モニカ?」

「その、できれば先にお風呂に入って身体を清めたいのですが……ダメでしょうか?」


 レイドールがごちゃごちゃ言う前に、モニカは頬を赤らめ、もじもじといかにも恥ずかしそうに視線を泳がせた。

 人によっては鬱陶しかったり演技過剰に見えるかもしれないが、レイドール相手ならこれくらいでちょうどいい。


「あ……ああっ! すまない、俺としたことが配慮が足りなかった!」


 何を想像したのかレイドールはだらしなく顔を緩ませ、モニカの腕をつかんで引き起こした。


(配慮が足りるどころか、そんな殊勝なモンあったことすらなかったと思うんですが)


 レイドールのやることなすことすべてがモニカの(かん)に障る。婚約者だった時はどうやってこの不快感に耐えていたのか、もう思い出せない。


「こんなこともあろうかと思って部屋備え付けの浴室は広く作ってあるんだよ」


 モニカの手を引き、レイドールは嬉々として浴室に誘う。


(こんなことって……こんなことか。もし私と結婚してたらここに愛人でも囲うつもりだったのかな)


 レイドールに対する印象悪化が留まることを知らない。


 モニカはなんとなく目についた陶器の花瓶を手に取った。首が細長くて握りやすく、胴の部分が円錐状の、人を殴るのに最適なフォルムをしている。


「マグノリアが俺の子を妊娠したなんて言ってきた時はどうなるかと思ったけど、これで丸く収まりそうで良かったよ」

「そうですね」


 モニカはこれまでの人生の中で一番どうでもいい相槌を打ち、レイドールの後頭部めがけて全力で花瓶を振りぬいた。


(あーあ。これで、王族に対する傷害が冤罪じゃなくなっちゃった)


 小気味良い音を立てて花瓶が砕け散る。

 加虐趣味はないはずだが、花瓶の破片と共に倒れゆくレイドールの姿を目にした時、胸がすくような思いだった。


「えっ……モ、モニカ? え?」


 床に四つん這いになったレイドールは、首の部分だけになった花瓶を握るモニカを見上げた。よほど混乱しているのか、眼球の動きにまでそれが現れている。


「まぁ大変! すぐに治して差し上げますレイドール様」


 モニカは両手を頬に添えて驚いてみせた。

 レイドールを一撃で昏倒させられなかった場合の行動を開始する。


「き、君は一瞬前に自分が何をやったか覚えていないのか!」

「レイドール様こそ、私にしたことを覚えていらっしゃらないようで。奴隷以下のゴミみたいな待遇を私が受け入れるとでも思いましたか? これでレイドール様のおめでたい頭の中身も少しは治るといいですね」


 モニカは治癒光の灯った手をレイドールの後頭部にかざした。


 レイドールは汚い悲鳴をあげ、死にかけの虫のように手足をばたつかせ、のたうち回る。

 言わなくてもいいことがつい出てしまった。自分で思っていた以上にレイドールの言動に耐え切れなかったようだ。


(この先ノープラン過ぎるけど仕方ない。とりあえず逃げなきゃ!)


 ダメ押しに花瓶の残骸をレイドールに投げつけ、モニカは部屋から飛び出した。


 廊下に人影はない。


 モニカは素早く左右を見比べる。幸か不幸か、左側は行き止まりだった。スカートをたくし上げ、唯一の逃げ道を走る。


(金持ちの屋敷か別宅なら、敷地のどこかに厩舎があるはず。まずは外に出ないと)


 廊下の両側には等間隔で扉が並んでいた。窓がないため外の様子はわからない。


「どういうつもりかなぁモニカッ!」


 後ろの方からレイドールの怒声が聞こえてきた。

 モニカが予想したよりもだいぶ復帰が早い。もっと根性がないと思っていた。


 ぶつけたい罵声は山ほどある。

 それらをぐっと飲み込み、モニカは走り続ける。この機会を逃せば、自力で脱出できるチャンスが次にいつ巡ってくるかわからない。


「もっと物分かりが良い女だと思ってたよ。それとも、一瞬でもマグノリアに心奪われたことを嫉妬しているのかな」


 先ほどよりもレイドールの声が近くで聞こえた。

 振りむいて確認したい衝動を抑え、モニカはただ足を動かす。


 ぐんっ、とモニカの頭が後方に引っ張られた。

 足が宙を蹴る。


 もう一度、今度は容赦のない力で引っ張られた。

 背中から床に倒れ込む。衝撃で一瞬呼吸ができなかった。視界にちかちかと白い星が飛んでいる。


「禁術を操る魔女だったとしても、君のことはちゃんと大切にするつもりだったんだけどな」


 モニカの視界から星が消えると、代わりに自分を見下ろすレイドールの顔が見えた。手には、ウィンプルのヴェールごとモニカの髪が握られている。


「こんなことをしておいて、ひとかけらも説得力ありませんね」


 モニカが悪態をついた直後、頭を持ちあげるように髪を真上に引っ張られた。少なくない本数の髪がぶちぶちと抜ける。痛みのせいで瞳の端に勝手に涙が溜まっていく。


「先に危害を加えたのは君だろう? 次期聖王を加害した罪で処刑されてもおかしくないよ」

「あなたが聖王になるなど、この国(レイフォルド)も終わりですね」


 レイドールの神経を逆撫でしても自分の状況が悪くなるだけ。

 未来が予測できていても、モニカの口は止まらなかった。


「第一王子という生まれ順が早かっただけの称号の上に胡坐(あぐら)を掻き欲に負けた愚かな王子に、何の力も持たないどころか魔除けの水晶を壊す自称聖女。とてもよくお似合いです」


 レイドールの顔が赤黒く変色し、手を高く振りあげるのが見えた。


 殴られるのだろう、とモニカは冷静に思った。

 一秒たりとも目をつむったり、怯んだりしてやらない、と唇を固く引き結ぶ。

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