5-1 絶望的な目覚め
なめらかなシルクのカバーに覆われた柔らかな枕。
沿うように身体を覆い包んでくれる温かな羽毛の布団。
数日ぶりの心地良い寝具の感触に、モニカはうっとりと目蓋を閉じた。二度寝の誘惑に抗えない。
(今日の予定は……なんだっけ。今月の神事で終わってないのは、おっきい水晶に手をかざすやつ――えっと、鎮めの儀だ。あれやると一日中身体がだるくなるんだよね。やだなぁ。来月はお貴族様主催のなんとかパーティが七件も控えてるし。聖女としてじゃなくて、アホ王子の婚約者として一緒に出席しなきゃいけないのが本当に苦痛。笑顔の形に表情固まりそう……)
鬱々とした思いによって眠気が遠ざかっていく。
モニカは仕方なく目を開けた。
(なんか頭痛い)
手を伸ばしてみると、髪ではなく布に触れた。薄い藤色のヴェールだ。
ウィンプルをつけたまま寝たせいで、頭が締め付けられていたようだ。はずし忘れるなんて、よほど疲れていたのだろう。
?
ふっとモニカの頭の中で疑問符が閃いた。
「……どこここ!?」
がばっ! と音がしそうな勢いで跳ね起き、思わず叫ぶ。
いつの間にか、モニカは贅を凝らした天蓋付きのベッドに寝かされていた。
あたりを見回すと、装飾性を重視した家具がごてごてと配されていた。端的に言ってセンスが悪い。
格子のついた窓から温かな陽光が差し込んでおり、おおよそ昼ごろであることがわかる。
(どういうことどういうことどういうこと……!)
モニカはこめかみを揉みほぐし、必死に記憶をたどる。
(……ああ、私もう聖女でもなんでもないんだった。聖女に戻るために、マハとサイフォスさんと一緒に六連星の鏡を探してた。でも結局見つけた鏡は役に立ちそうもなくて。顔を洗いに部屋から出て、それで……)
「起きていたんだね、モニカ」
扉の開く音と、男性の弾んだ声が、モニカの思考の邪魔をした。
声のした方に目を向けると、多くの人が思い浮かべる「王子様」を具現化したかのような、金髪碧眼の美青年――聖王国第一王子レイドールの姿があった。
「げ」
不快感を表すもっとも端的な音がモニカの口からこぼれ落ちる。
「こうしてまた会うことができて嬉しいよ。少し見ない間に痩せた? 大丈夫?」
モニカの失言が聞こえなかったのか、レイドールは人好きのする笑顔で接してきた。
(何この人怖い)
モニカはどうにか微笑みを作りつつ、震えを隠すためにシーツを握りしめる。
公の場で屈辱的な目に遭わせた相手に対し、どうしたらそんな対応ができるのか。精神構造を疑う。もしくは記憶を失っているのだろうか。そうでなければ出来ない所業だ。
「レイドール、様……ですよね?」
モニカは念のために確認した。
たまたまレイドールによく似た誰かかもしれない。ほとんどゼロに等しい確率だが。
「おや、寝ぼけているのかい。初代聖王の生き写しと称される俺の顔を見忘れた?」
聞く者を絶妙にイラっとさせる、自己愛のにじみ出た喋り方は間違いなくレイドールだ。
(予想していなかったわけじゃないけど……)
拉致される前に傭兵の男が言っていたことから、ある程度依頼主の目星はついていた。レイドールもその候補の一人だ。
「いえ、状況がまだ飲み込めなくて。ここは、どこなのですか? どうしてレイドール様が私の前にいらっしゃるのですか?」
モニカは声や仕草に細心の注意を払い、しおらしく見えるように振る舞う。
今やらなければならないのは、時間を稼ぎつつ情報を引き出すことだ。
マハとサイフォスが探してくれているとは思う。だが、ただ助けを待つのではなく、自分でも出来る限りのことはしなければ。
「すまない、俺が間違っていた」
問いを無視し、レイドールはモニカの身体をそっと抱きしめた。
「ちっ――レイドール様っ!?」
モニカはうっかり出てしまった舌打ちをかき消そうと大げさに驚いてみせる。
「やはりマグノリアではダメだ。君の力が必要なんだ」
レイドールはモニカの肩をつかんで身体を離し、まっすぐに見つめた。耳が悪いのか自分に酔っているのか、舌打ちは聞こえていなかったようだ。
「お言葉ですが、私が禁術を使ったとして追放なさったのは、他ならぬレイドール様ではありませんか。いまさらそのようなことを仰られても……」
モニカは瞳を濡らし、うつむく。
もちろん演技ではあるのだが、それ以上にレイドールの熱っぽい視線が耐えられなかった。
「あれは、仕方のないことだったんだ。処刑を望むマグノリアをどうにか説得し、追放で納得してもらうのは骨が折れたよ。つまりモニカが生きていられるのは俺のおかげなんだよ?」
(頭湧いてんのかなこのアホ王子。さっきから自分の喋りたいことしか言わないし。今すぐぶん殴りたい)
先ほどとは違う意味で震える拳をモニカは必死に押さえた。
「では、私を聖女に戻していただけるのですか」
「それは無理だ」
「はぁ!? ……い?」
モニカはガラの悪い声を上げてしまった。しかし即座に困り顔を作り、小首を傾げて取り繕う。
(やっぱり猫被るの下手になったかも)
手にかいた汗をそれとなくシーツでぬぐい、上目遣いでレイドールを見つめ続ける。
「期待をさせてしまってすまないな」
レイドールは眉尻を下げ、モニカの頭にぽんぽんと手を置いた。
正確には、「置く」というよりも「押さえつける」と言ったほうが正しい。
モニカは唾と一緒に嫌悪感を飲み下し、口角を持ちあげた。
「知っての通り、マグノリアのお腹の中には俺の子がいる。ただでさえ君との婚約を破棄したばかりだというのに、身ごもった彼女を捨てるなどあまりに体面が悪い」
(最低)
声に出してしまった気がして、モニカは唇を押さえた。
レイドールは悲劇の主人公のような表情で、自分がマグノリアにはめられたことなどを切々と語っている。
モニカは小さく安堵のため息をついた。
「――そこで、君にはここで暮らしつつ、聖女としての役目を代行してほしいんだ」
語り終えたレイドールは、人差し指を立て、さも名案だと言わんばかりに提案してきた。
「マグノリアの目もあるし、しばらくは外出を制限させてもらう。ほとぼりが冷めるまで我慢してくれ。数日に一度は俺がここに泊まりに来るから、いいだろう」
(むしろ一生顔見せないでくれると嬉しいんだけど。というか、力関係はマグノリアのほうが上なのね。次期聖王のくせに情けない)
猫を被る気力がだんだんと萎えていく。
少し会わない間に、レイドールの良くない部分が成長し、最悪な形で結実したようだ。
「モニカのことはちゃんと大切にするから。錬金術師に作らせた避妊薬もある。君が力を失うことはないよ」
レイドールはいかにも慈悲深そうな顔をし、モニカの肩に手を置く。
(治療術は子供を宿すと失われる。私の力を利用するだけじゃなくて、自分の欲望も満たそうってわけ……!)
モニカは自分の察しの悪さに頭痛を覚えた。
レイドールの狙いが具体的になんなのか、今の言葉を聞くまで予想も理解もしていなかった。
「ずっとこうしたかったんだ、モニカ」
レイドールは吐息が過分に含まれた声で囁く。
モニカの身体に体重がかけられた。なすすべもなく倒れ込む。
起き上がろうとすると、乱暴に肩をベッドに押し付けられた。
喉の奥で、ひゅっと悲鳴になりそこなった音が鳴る。
力はマハよりも全然弱いのに、レイドールに対して強い恐怖を覚えた。言動の端々から、他者を支配しようという悪意を感じる。
(いや……いやだ……マハ、サイフォスさん……どうすれば……)
モニカは眩暈を覚え、顔をしかめた。視界がぐるぐると回っている。頭がうまく働かない。
レイドールの手が髪の中に差し入れられた。ねっとりとした動きで耳を執拗に撫でられる。
モニカの胃のあたりが奇妙な音を立てて歪んだ。酸っぱいものがこみ上げてくる。いっそひと思いに、レイドールに向かってぶちまけられたらどんなに楽だろう。
「初めてだろう。優しくするよ」
レイドールの湿った吐息がモニカの顔をかすめた。
ぞわっと肌が粟立つ。
端正だったレイドールの顔が、醜くおぞましい化物へと変わった。
いくら時間を稼いでも、助けなんて来ないのかもしれない。
扉も窓も閉ざされ、廊下に誰の気配もない。
(このまま、ここで、私は――)
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