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4-14 偽りの印

「さ、サイフォスさん自身の顔はどうですか。違って見えたりしません?」


 モニカは自分の気持ちと顔色をごまかすために愛想笑いを浮かべた。注意を逸らそうと、鏡をサイフォスの顔に近付ける。


「いえ。見慣れたつまらない自分の顔ですね」


 サイフォスは半開きの死んだ目で鏡を見た。


(自分の顔がいつもより可愛く見えたとしても、男の人はテンション上がったりしないか)


 マハの反応も見てみたかったが、完全に寝入っているようだった。


 姿はまだ黒狼のままだ。どのタイミングで姿が切り替わるのだろう。

 前の時のようなことがあっては困るため、モニカはマハの身体に毛布を掛けた。


(私をかばって大怪我したんだもの。相当疲れてるよね。治療術では、気力までは回復してあげられない)


 起こさないように、黒い毛並みをそっと撫でる。


 マハの呪いについても真剣に考えなくてはならない。人間の姿に戻れないことも心配だが、一番の問題は痛覚がないことだ。

 次また何かあった時、マハは必ず無理をする。人間は死んでしまえばそこで終わりだ。


(先に解呪や浄化の方法を探した方が良いかな。早く聖女に戻りたいけど、マハのタイムリミットがわからない。手遅れになる前に治さないと)


 モニカはなんとはなしにうなじに手を当てた。掻きむしってしまってから、妙にじくじくと痛む。


「ずっと首の後ろを気にかけているようですが、何か怪我でも?」


 サイフォスの手がモニカの髪に触れた。

 冷たい指が首筋をかすめ、心臓が跳ねるくらいどきっとする。


「その、これは……」


 モニカが答えあぐねていると、サイフォスはモニカの髪をひとまとめにして持ちあげた。

 うなじが外気に晒され、背筋に寒気が走る。


「旧神の、印……?」


 呟きとともに、サイフォスの吐息がモニカのうなじにかかった。

 反射的にモニカの身体がびくっと震える。


 サイフォスは無遠慮にうなじの聖痕をなぞった。

 氷の刃で切りつけられているかのように冷たく鋭く痛む。


「痛っ……いやっ……!」

「女性に不躾な真似をしてすみません。この印はいつから?」


 サイフォスはモニカの髪を下ろし、険しい顔をして自分の顎に手を当てた。


「天啓を受けた時だと、思います……」


 モニカはうなじを押さえながら答えた。痛みは引いたが動悸は治まらない。


(今のは、ただ印が気になっただけ? それとも……)


 サイフォスの真意が読めず、胸の奥がざわざわと波立つ。


 口説くようなことを言いながら、何か別の目的で近付いているようにも思える。

  テオ村に訪れたのも、テオドラ砦に行ったのも、錆びた鏡に治療術を使ったのも、すべてサイフォスの助言――ひいては冥神の言葉があってのことだ。


(いまさら疑ってどうするの。何か裏がある人が、あんな風に私のこと心配したり、笑いかけたりする?)


 砦の地階で再会した時のことや、さっきの微笑みがモニカの脳裏によぎった。

 一緒に過ごした時間が、思考の邪魔をする。


「悪いお知らせがあるのですが」


 サイフォスにしては珍しく、歯切れが悪い物言いだった。


「……聖痕じゃないんですね、これ」


 モニカは目を伏せ、自分の身体を抱いた。

 サイフォスは肯定の代わりに小さく息を吐き出す。


「僕の知る限りでは。旧神――その中でも天神を表す印に酷似しています」

「もっと早くサイフォスさんに確認してもらっていたら良かったですね」


 モニカは微笑みを作った。上手く笑えていたかはわからない。


(やっぱり天啓じゃなかったんだ。まぁ相手が旧『神』なら天啓であることには変わりないか。でも、どうして私に鏡を取りに行かせるよう仕向けたんだろう。よりによって天神が)


 背中に、粘着質の網が張り付いたような感覚に襲われた。

 すべての発端であるフィンレイの事件からずっと、蜘蛛の影がちらついている。


(旧神が私に接触するメリットって何? 間違っても、ちょっと可愛く映る鏡が欲しかったわけじゃないよね)


 モニカは鏡面についた指紋を服の袖でふき取り、六連星の鏡をテーブルに伏せて置いた。さすがに今は自分を映す気にはなれない。


(六連星っていうより六花って感じ)


 鏡の背面に埋め込まれた、輝石でできた桃色の花を撫でる。

 角度によってきらめきが変わり、それが花弁の瑞々しさを表現しているようだった。


「この鏡が本物だろうと偽物だろうと、最初から意味なかったってことですよね」


 モニカはどっと徒労感に襲われ、急に全身が重だるくなった。


(今日はちょっともうダメかも。何考えても悲観的になりそう)


 テーブルに両手をついてうな垂れ、思いっきりため息を吐き出す。


「今はまだ難しいでしょうが、明日、その鏡を見れば少しは気分が晴れるかもしれませんよ」


 理知的なサイフォスらしくない、慰めの言葉だった。


「……そうですね」


 モニカは力なく微笑むのが精いっぱいだった。

 さっきの疑念のせいで、誘導されているかのように感じてしまう。


 モニカはサイフォスを押しのけるようにして部屋の扉の方へと向かった。


「夜分にどちらへ?」

「顔を洗って寝る準備をします」

「お供しましょうか」

「結構です」

「ではベッドを温めておきますね」

「もっと結構です!」


 廊下に出たモニカは、建付けの悪い扉を力強く閉めた。おそらく冗談だろうが、サイフォスが言うと冗談に聞こえない。


 今の音でマハを起こしてしまったら申し訳ないなと思いながら、モニカは共同の水場へと足を向けた。


 宿の廊下は狭く、ひと一人分の幅しかなかった。譲り合いの精神がなければすれ違うことができない。

 薄い床板がきぃきぃと不気味に軋む。


(やっぱり着いてきてもらうべきだったかも)


 モニカは腕をさすり、歩みを速めた。

 軋む音が大きくなる。


 そのせいで気付くのが遅れた。


 向かいから男がやってきている。

 モニカは壁に背中を貼り付けるようにして道を開けた。


 男は会釈し、通り過ぎる。

 壁掛けランタンが廊下の壁と階段近くに一つずつ設置されているが、申し訳程度の光量しかない。男の顔をあきらかにするほどではなかった。


「……元聖女のモニカ様、ですよね」


 すれ違いざま、男は正面を向いたまま囁く。


(なんで……)


 嫌な予感しかしなかった。


 モニカから男の顔が確認できないのだから、同様に、男からもモニカの顔を確認できるはずがない。


 肯定や否定をする前に、モニカの口が塞がれる。がさがさとした手が頬や唇に当たって気持ち悪い。おまけに、花やお菓子とも違う独特な甘い香りがする。


「聖ローザ孤児院の存続を望むのであれば大人しくしていろ。悪いようにはしない――そう伝えるよう、依頼主から言付かってます」

「ローザ、孤児院……」


 モニカの脳裏に、義母や血の繋がらない弟妹たちの顔が浮かぶ。


 ただでさえ自分の追放のせいで孤児院の立場が危ういのに、これ以上迷惑はかけられない――壁を蹴るために持ちあげた足を、モニカは力なく下ろした。


「どこに行ったともわからない女を探せ、なんていうふわっとした依頼は普通受けないんですがね。あの時、善意で忠告をした甲斐がありましたよ。おかげでこの依頼がさっさと片付くんですから」


 次第に暗さに目が慣れ、モニカは男の顔がおぼろげだが見えるようになった。

 記憶が確かなら目の前にいるのは、テオ村に向かう途中でスケルトンのことについて教えてくれた傭兵だ。


「今度の依頼主はどなたで、私にいったいどんな用があるというのでしょう」


 モニカはできるだけ毅然とした態度で尋ねた。口を押えられているため声がくぐもる。


「さぁ。俺は元聖女様を連れてこい、って依頼を受けただけなんで。まぁ、男が女をさらわせるってことは十中八九ロクでもないですがね。仕事をえり好みできる立場じゃないんで、すいません」


 傭兵の男の声が遠ざかっていく。


 モニカの目蓋が急に重くなった。意思の力だけではどうすることもできない。


 目の前が夜の闇よりも真っ暗になり、強制的に意識に幕を下ろされた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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