4-11 聖遺物といえど経年劣化に抗えず
「ああ、早合点して殴らないでください。僕自身はあくまでただの人間。眷属の人智を超えた力で殴られれば首がちぎれ飛びます。新婚旅行先で彼女を未亡人にしたくはありませんので」
サイフォスは飄々とうそぶき、モニカにウインクを送る。
「私まだ結婚してないですけど!?」
モニカは焦るあまり声が上擦ってしまった。
「――まだ、ね」
たっぷりと意味深に溜めてから、サイフォスは妖しくも美しく微笑む。
「揚げ足取らないでください! 言葉のあやです!」
モニカは唇を噛み、スカートをぎゅっと握りしめた。過剰に反応してしまった自分が恥ずかしい。
『……モニカ、あいつのこと好きなの?』
マハが尻尾を落ち着きなく揺らし、モニカの周りをぐるぐると回る。
「別に、好きって言うか……」
モニカは顔を背け、口ごもった。即座に否定できない程度には、意識してしまっている。
「マハヴィル殿下。続きは二人だけの時に聞きたいので、無闇に彼女を急かさないでください」
サイフォスは挑発的に目を細め、立てた人差し指を唇に当てた。
『絶対二人きりにさせないからな!』
マハは全身の毛を逆立てて吠える。
モニカはマハを撫でてなだめるのに終始した。マハが狼姿でいてくれてよかったと思う。人間姿だったら止められなかった。
「横槍が入りましたが、本題に戻りましょう。他に聞きたいことはありますか? もしなければ、今度はこちらからも一つ、お願いがあるのですが」
サイフォスはテオドラの方に向き直った。
「貴公の言う通り、人を殴っても仕方がない。主が殺されてから幾星霜。いまだ自身で実体を保てないということは、私にはあずかり知らぬ事情があるのだろう」
心情を表すかのように、テオドラの眼窩の炎が不安定に明滅している。
テオドラは構えを解き、地面に大剣を突き立てた。石棺の中から布を取り出し、骨の露出している方を覆うように顔に巻き付ける。
「騒がせて悪かった。礼を失した行為と名乗りが遅れたことを詫びよう。我が名はテオドラ。冥き黎明を司る冥神ナクトネフェルが眷属――」
「わああああああああああああっ!」
モニカは思わず大声を上げた。
邪神に与した三柱の旧神は、名前自体が禁忌とされている。
テオドラは訝しげに眉をひそめた。
「あっ、すみません。えーっと、宗教上の理由で、神の御名を聞いてはいけなくてですね。いや、いけないっていうか、恐れ多いっていうか」
モニカは慎重に言葉を選ぶ。
テオドラにどの程度聖王国について知識があるかはわからないが、馬鹿正直に現状を伝える勇気はない。
「……なるほど。深く追求しないほうがお互いのためだろう」
テオドラはすべてを理解したかのように息をついた。
「それで、願いというのはなんだ」
瞳だけでサイフォスを見る。
「その前にこちらも名乗っておきましょうか。僕は審問院異端審問課異端審問官、サイフォス。そして彼女が近い将来の伴侶であるモニカさん。あとは勝手に付いてきた犬です」
『いい加減にしろよお前!!』
いきり立って飛びかかろうとするマハを、モニカはしがみついて押さえた。
(こんな時まで無意味な冗談言うの本当にやめて欲しい……)
モニカはサイフォスをにらみつけてみるが、微笑み返されただけだった。
「願いについてはモニカさんからどうぞ」
サイフォスは芝居がかった手振りでモニカを促す。
「私? 別に願いなんて……」
突然話を振られたモニカは自分自身を指さした。
「テオドラさんは主の私室の警護をしていらっしゃるそうですよ。そこには人魔問わず影響を及ぼす物もある、とか」
サイフォスはモニカに耳打ちをし、視線を奥にある両開きの扉へと向けた。
(主って冥神じゃないの? 聖女の聖遺物とどんな関係が?)
モニカは訝しみつつ、胸の前で両手を組んだ。
「あの……訳あって六連星の鏡という聖女システィーナの聖遺物を探しているんですが、何かご存じだったりしますか?」
テオドラの隻眼と目を合わせ、丁重に尋ねる。
「先ほども村で祀っているとか言っていたな。人にとってはあんなものが信仰の対象になるのか?」
理解できないとでも言いたげに、テオドラは天を仰ぎ、これ見よがしなため息をついた。
「あんなもの?」
モニカはおうむ返しにする。
「見ればわかる。いま持ってくるから少し待っててくれ」
そう言うと、テオドラは両開きの扉の奥へと消えてしまった。
モニカはどうしていいかわからず、マハとサイフォスの顔を見る。二人ともモニカと同様に戸惑っているようだった。
ほどなくして、テオドラが戻ってきた。赤く錆びた何かを持っている。
「我が主は恋愛の駆け引きが死ぬほど下手でね。どうにか好かれようとシスティーナ嬢の名前にちなんで、馬鹿の一つ覚えのように数字の『六』にまつわる物を送っていたよ。この鏡も、我が主が彼女に送った物の一つだ」
テオドラは懐かしむように言い、手の中の錆びの塊に視線を落とした。
頑張って想像力を働かせれば、柄のついた手鏡に見えなくもない。劣化が激しく、持っているだけでぽろぽろと破片が落ちている。