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1-4 淡い期待は打ち砕かれるもの

 黒狼が動いた。

 土を蹴りあげ、モニカに向かって飛びかかる。


(鋭い牙も大きな爪も、どっちも痛そうで嫌だな)


 大きな爪で地面に押さえつけられ、鋭い牙で頭からばりばりやられるのだろう。


 モニカはそんな予想を立てたが、その未来が訪れることはなかった。


 黒狼はモニカの身体を飛び越し、先頭を走っていた魔物を押し倒した。首に噛みつき、顎の力で魔物の身体を近くの木の幹に叩きつける。三度叩きつけられたところで、ぐしゃりと湿った嫌な音がし、魔物はただの肉塊に変わった。


 残りの二匹の魔物が、タイミングを合わせて黒狼に飛びかかる。

 黒狼は前肢の一振りでそれらをやすやすと叩き落とし、空を仰いで遠吠えをした。

 直後、黒狼の全身が赤い陽炎のようなものに覆われる。黒狼が前肢を振るうと、爪がかすった瞬間に魔物の身体が燃えあがった。一秒とかからず炭化し、黒い粉となって舞い散る。


 最後に残された魔物も、同様の末路をたどった。


(まさか本当に神獣とかなの? それともなんかすごい魔獣? 高位の聖堂騎士だって、あんなことできない)


 モニカは逃げるのも忘れ、目の前で起こった超常的な出来事に釘付けになっていた。

 地水風火、いわゆる四大元素を操る力――「魔術力」を持つ者は多いが、実用レベルに達している者はごくわずか。さらに戦闘で運用できるほどの術者は一握りもいない。


 黒狼がぶるぶると身体を震わせると、陽炎が霧散した。犬が被毛についた水分を飛ばす時の仕草に似ている。


(魔物は倒してくれたけれど、友好的かどうかはわかんないし……死んだふりでもする?)


 モニカがあれこれ考えているうちに、黒狼がのそりのそりと近寄ってきた。少なくとも襲いかかってくる様子はない。


 手を伸ばせば触れられる距離まで来たところで、突然、黒狼がどうと真横に倒れた。口の外に舌がだらりと垂れ、浅く速い呼吸を繰り返す。


「えっ……なに、これ。怪我? 火傷?」


 黒狼の腹部には大きな()み傷と火傷の跡があった。出血を抑えるために傷口を焼いたようにも見える。

 患部の状態から察するに、負傷してから数十分といったところか。今の戦いで負ったものではない。

 怪我を押して魔物を打ち倒してくれた、ということになる。


「ど、どうしよう。大丈夫……って聞いてもわかんないか」


 今まで聖女として何人もの傷病の治療にあたってきた。が、獣の看護は初めてだ。厳密に言えば、犬や猫のちょっとした傷を治したことならある。とはいえ犬猫とは傷の程度も体格も文字通り大きく違う。


(今の私ならおそらく治せるけれど……)


 モニカは自分の両手と黒狼の顔とを交互に見た。


 懸念点は二つ。

 一つは、怪我を治した後に襲われないかどうか。今のところ黒狼からは敵意も害意も感じ取れないが、あくまでモニカの主観に過ぎない。

 もう一つは、黒狼が治癒術に耐えられるかどうか。これについては、正直なところやってみなければわからない。


「……んーーー! 見殺しにして寝覚めの悪い思いするより、元気なこいつに食い殺されるほうがマシ! 多分! 頑張って耐えて!」


 モニカは自分を奮い立たせるように大声を上げ、袖をまくった。手のひらを黒狼の傷にかざす。モニカの願いに応じて、オレンジがかった温かな光が灯った。


 治癒の能力は基本的に女性にしか発現しない。

 能力が確認された者は速やかに法教院(聖職者の教育機関)に保護され、准聖女になるための教育を受ける。拒否権はない。

 准聖女の中でも、高い能力と品格、慈悲の心などなどを兼ね備えたたった一人が、聖女システィーナの称号を(たまわる)ることができる。


 おおやけにはされていないが、治癒能力の高さは天賦(てんぷ)がすべてだ。信仰心はいっさい関係ない。


(高い信仰が力の拠り所なら、私には一生縁がないものよね)


 治癒の光が触れた箇所を中心に、赤身の肉がうねうねと盛りあがる。

 治癒術の経過は視覚的にえぐい。そのグロテスクさに耐えきれず准聖女を辞する者も多い。


(……あれ? 全然痛がってない)


 フィンレイの時も罪人の時も、治癒光が触れてすぐに激痛を訴え、叫び悶えていた。


(もしかして、治癒の力が元に戻った?)


 そんなモニカの楽観を打ち砕くかのように、


『ぎゃああああああっ! いっでええええええええええっ!!』


 黒狼の口から、人間の男性のものとしか思えない絶叫が(ほとばし)った。

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