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4-9 再会の抱擁

(――何か、嫌な感じがする)


 延々とまっすぐ続く通路を進んでいると、突然、モニカは胸のあたりがざわつくのを感じた。

 心なしか、空気が張り詰めている。


『どうかした?』


 隣を歩くマハが不思議そうに見上げてくる。


「いえ……」


 モニカは胸を押さえ、(かぶり)を振った。

 気配に敏感なマハが何も察していないということは、自分の思い過ごしだろうか。


(気のせいならいいんだけど……)


 そう片付けようとした瞬間、通路の先から、重く硬い物が落下したような音が聞こえてきた。


 モニカは考える前に、歩く速度を上げた。サイフォスの白い手袋を握りしめ、ほとんど走るようなペースで通路を進む。


『モニカ! 俺が先に様子見てくるから待って!』


 マハの制止はあえて取り合わなかった。

 体調の悪いマハにあまり無理はさせられない。戦闘の役には立たないが、様子を窺うだけなら自分にもできる。


 通路を抜けた先は、ドーム状のホールになっていた。天井は吹抜けではないが、モニカが落ちた場所に似ている。

 ホールの中央には二つの人影があった。


「……サイフォスさん!?」


 サイフォスと、板金鎧(プレートメイル)を身につけた金髪の女性が向かい合っている――いや、事態はもっと逼迫(ひっぱく)していた。

 モニカの身の丈よりも大きな剣が、サイフォスにつきつけられている。


(どうしてこんな厄介な状況になってるのよ!?)


 心の中で嘆きながらも、モニカの足は止まらなかった。サイフォスの所に向かって駆け続ける。

 二人の視線がモニカに向く。


 金髪の女性は、顔が半分なかった。削ぎ落したかのように骨が剥き出しだ。

 空洞の目には、上の階で襲ってきたスケルトンと同じく、青い炎が灯っている。


(あの人もアンデット……?)


 モニカは金髪の女性の正体を見極めようと注視したが、すぐにそれどころではなくなった。


 次の瞬間、こちらに向かって駆けてきたサイフォスによって、包むように抱きしめられた。

 清々しくわずかに甘い香木の匂いが、モニカの鼻先をくすぐる。

 ちゃんと身体にぬくもりがあり、鼓動の音がするのが少し意外だった。


「あの……」


 モニカの困惑をよそに、サイフォスはモニカの顔に手を添える。

 指先が触れただけでモニカの心臓が跳ねあがった。手袋をしていない方の手だったため、直にサイフォスの手の冷たさが伝わってくる。


「良かった、無事で……」


 サイフォスの顔がくしゃりと歪んだ。細められたライムグリーンの瞳は潤んで光り、笑みの形をした口元は小刻みに震えている。

 あまりに感情的で、美しい表情だった。


 モニカの中でぐらりと何かが揺れる。

 得体の知れない狂信者だということは重々承知しているが、それを差し引いてもありあまるほど、訴えかけてくるものがあった。そんなにも心配させてしまったことが申し訳なく、再会を喜んでくれることが嬉しい。


(なんか、なんだろう。変な感じ)


 モニカはうまく言語化できない気持ちを紛らわすように服の胸元を握った。

 胸の奥がざわざわと落ち着かない。

 頬に添えられた手の冷たさが心地良い。


『モニカから離れろ不審者!』


 黒く大きな影がサイフォスに飛びかかった。鋭い犬歯をむき出しにし、頭にかじりつく。


「不衛生な野良犬こそ近寄らないでください」


 人を呪い殺せそうな目をし、サイフォスはマハをはたき落とした。


『なんでこんな所にいるんだお前!』


 マハは体勢を低くし、剣呑に(うな)る。


「愚問ですね。運命のつがいの元へと我が神が導いてくださったに決まっているではありませんか」


 サイフォスは手を高く掲げ、神の導きに見立てて敬礼してみせる。


(まぁサイフォスさんならありそう)


 真偽疑わしい「旧神の言葉」で大抵のことは納得できてしまうところが恐ろしい。


「モニカさんに怪我らしい怪我がないのは、無謀にもあなたが飛び込んだおかげなのでしょう。その点についてだけは褒めてあげなくもありません」


 ごしごしと音がするほど強く、サイフォスはマハの頭を撫でた。


『触んな! 犬扱いすんな! 同じこと何度も言わせんな!』


 サイフォスの手に噛みつこうと、マハはがちがちと牙を打ち鳴らす。

 見飽きた二人の喧嘩風景だが、今だけは微笑ましいものとしてモニカの瞳に映った。


「そうだ、これお返ししますね」


 モニカは落ちた時に握っていた白手袋を差し出す。


「ああ。お手数ですが、はめていただいてもよろしいですか」


 サイフォスは剥き出しの右手をちらりと見てから提案した。


「いいですけど」


 モニカは首を傾げつつ、サイフォスの手を取った。

 整った顔と同様に、性別を感じさせない作り物めいた手だった。雪花石膏(アラバスター)で出来ているかのようになめらかで美しい。触れると弾力があるのが、かえって不思議だった。


 白い手袋は肌の上を苦もなく滑り、ぴたりとはまった。最後に手首の留め具をつけ、モニカはサイフォスの顔を見上げる。


「これでいい、ですか」

「はい。ありがとうございます」


 サイフォスは微笑みを浮かべ、モニカの手を取った。お礼とばかりに手の甲に唇を寄せる。


「何か意味ありました、これ?」


 妙に嬉しそうなサイフォスに違和感を覚え、モニカは眉をひそめた。


「いえ。新婚気分を味わわせてもらっただけです」

「はい?」

「出勤前のルーティンとして細君に手袋をはめてもらうのが夢でして」

「サイフォスさんって顔だけは良いのに本当に気持ち悪いですね」


 モニカはにっこりと笑い、サイフォスの手を振りほどく。さっきのぐらついた気持ちをなかったことにしたい。


『モニカ! 俺にも、なんか、なんかつけて!』


 マハがすりすりと身体を擦りつけてきた。やっていることは可愛らしいが、ウェイトがあるため物理的衝撃が洒落にならない。


「なんかってなんですか」

「審問で使用する『従属の首輪』ならありますよ」


 笑顔のサイフォスが懐からシンプルな皮の首輪を取り出す。


「首輪を審問でどう使うんですか……」


 モニカは両手で首輪を押し返した。


『俺は犬じゃない! でもモニカがどうしても付けたいって言うなら喜んで――いや甘んじて受け入れる!』

「なんだかんだ、マハもまぁまぁ気持ち悪いですよね」


 モニカはぽんぽんとマハの頭を撫でた。

 もっと撫でろと言わんばかりに、マハは飛び跳ねて頭をモニカの手のひらに押しつける。


「――そろそろ、感動の再会は終わったかな」


 低くしゃがれた女性の声と、石畳を踏む重い足音が響いた。


(遊んでる場合じゃなかった……!)


 モニカは慌てて音の方を振り返る。

 サイフォスに抱きしめられたせいで気を取られ、今がどういった状況なのか完全に頭から抜けてしまっていた。


 アンデットと思しき金髪の女性は、肩に大剣を担ぎ、ゆったりとした足取りでモニカたちの方に近付く。


『アンタも上にいた奴らの仲間か!』


 モニカの前に躍り出たマハは体勢を低くし、全身の毛を逆立てて唸る。


「残念ながら、もっと厄介な手合いですよ」


 サイフォスも、モニカをかばうように前に出た。


「歴史書上では聖戦時に活躍した女性将軍ですが、その実態は冥神の眷属、『金獅子テオドラ』」

「『我が主』としか言ったつもりはないが、何故それを知っている?」


 金髪の女性――テオドラは残っている方の瞳でサイフォスをにらみつける。


「主に似た気配の自称聖職者に、ダーロスの匂いがする犬。それから、彼女と同じ色を持つ修道女、か。なかなか面白い組み合わせだ」


 値踏みをするように、テオドラは一人一人に視線を向けていく。


「問答無用で殺すには惜しいが……話を聞くのは、ひとりで充分か」


 テオドラは大剣を青眼に構え、二種類の瞳でマハとサイフォスを見据えた。

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