4-7 金獅子テオドラ(サイフォス視点)
(……まったく、明日は筋肉痛ですね)
限界を超えて疾走させられているサイフォスは、心の中でため息をついた。実際の口は呼吸で忙しい。
魔術によって巧妙に偽装された壁を何ヵ所も通り抜け、平衡感覚を狂わせる狭い螺旋階段を延々と駆け下り、サイフォスはようやく地下区画へと辿りつく。
あきらかに雰囲気の異なる空間だった。
上階と違って壁や床の損壊がまったくない。瓦礫はおろか石ころ一つ落ちていなかった。
目の前には一本の長い通路が続いており、サイフォスが近寄ると壁掛けの松明が一斉に灯った。
他に道もないため、しぶしぶサイフォスは灯のついた通路を進む。迷う心配がないからか、ナクトは身体の主導権を返してくれた。
(歓迎にしても趣味が悪い)
松明にケチをつけている間に、開けた空間へと出た。
天井がドーム状になっており、足音がよく響く。部屋自体も円形で、貴族邸宅の玄関ホールほどの広さがある。
部屋の中央には壇があり、石棺のようなものが安置されていた。石棺は黒曜石に似た光沢のある石材で出来ている。
(中に、何かいる……?)
サイフォスは肌がひりつくのを感じた。
閉ざされているはずの石棺から、視線を向けられている気がする。
(もしも何か潜んでいるのなら、あまり刺激するべきではないな)
サイフォスは意識的に石棺から目を逸らし、あたりを窺った。
左手には、さっきサイフォスが通ってきたのと似た通路が伸びており、正面奥には両開きの荘厳な扉があった。
モニカを探すなら通路、何か――聖遺物があるとするなら扉の奥だろう。
サイフォスが通路に足を向けようとした途端、ご、ご、ご……という何かが重く擦れる音が響いた。
無視して駆け抜けようと思ったが、足が動かない。誰かさんが行動に制限をかけている。
(……ここで何をさせたいんですか?)
尋ねてみても、返答はなかった。
ナクトはだんまりを決め込んでいる。
彼は非常にムラッ気があり、聞いてもいないことをぺらぺら喋る時もあれば、気が向かないと貝のように固く口を閉ざす。
六連星の鏡のこともそうだ。中途半端に情報を与えるくらいなら、いっそ黙っていてほしい。
「――上階だけでは飽き足らず、盗人がここにまで至るか」
石棺の蓋が滑り、地面に落ちた。
重厚な音と振動があたりに響き渡る。
呼吸がしづらくなるくらい、空気が張り詰めた。
「……お休みのところ大変申し訳ございません。連れを探して迷い込んだだけなのですぐに退散いたします」
サイフォスは事務的な笑顔を作り、頭を下げた。
声の正体は不明だが、まともに相手などしていられない。
わざわざ秘匿された場所にいるということは、番人や守護者の類だろう。しかも人語を解するほど知能が高いときた。凡百の魔物やアンデットではない。
「そう急くことはなかろう。貴様にはいくつか尋ねたいことがある」
石棺の縁に手がかかった。金属製の小手をはめており、鈍い光を照り返す。
「ただの人間が、なにゆえ我が主に似た気配を纏う?」
石棺から現れたのは、凛とした美貌の女だった。たてがみを思わせる、見事な金髪が目を引く。
ただし、人間の顔をしているのは半分だけだった。
向かって右側は骨がむき出しになっている。眼窩には、上階で襲ってきた青眼のスケルトンと同じく、青い炎が灯っていた。
目が合った瞬間、サイフォスは氷よりも冷たい手に心臓を握られる感覚を味わった。
青眼のスケルトンよりもさらに数段、格が違う。
「……さて、いったい誰のことを仰っているのかわかりかねます。僕はたまたま迷い込んだ聖職者です。失礼ですが、寝ぼけていらっしゃるのでは?」
サイフォスは平静を装い、そらとぼける。
先ほどの発言と、彼女の放つ威圧感によって、相手の正体におおよそ見当がついた。
もしも自分の推測通りであるなら、なおさら事を構えるわけにはいかない。
(――あなたの眷属でしょう。なんとかしてくださいよ)
サイフォスはダメ元でナクトに呼びかけた。
返事はない。半顔のアンデットに気付かれたくないのか、必死に気配を押し殺している。
そのくせ、足に干渉し、サイフォスがこの場から立ち去ることは許さない。
(女がらみの問題をいくつ抱えてるんですか……。まったく、僕にどうしろと)
サイフォスは頭を抱えたくなった。
目の前にいるのはおそらく、冥神の眷属――金獅子テオドラだ。
聖王国の歴史書上では、『聖戦で活躍した勇猛果敢な女性将軍』ということになっている。今いる砦が「テオドラ砦」と彼女の名を冠していることからも、その功績の高さが窺える。
「領域を侵すだけでなく、私を愚弄するとは」
半顔のアンデットがゆらりと立ちあがった。
大柄なマハヴィルよりも上背がある。板金鎧を着こんでいるせいか、よりいっそう大きく見えた。
(……相性が悪そうだ)
サイフォスはこっそりとため息をつき、服の袖に仕込んだ銀の釘の数を数える。
想像したくもないが、最悪の事態を想定しておくべきだろう。
「まさか。感激こそすれ、愚弄などするわけがありません。獅子のたてがみが如き金の髪に、並みいる偉丈夫にも勝る体躯――『金獅子』の異名を取り、聖戦時代に活躍されたテオドラ将軍とお見受けいたします」
サイフォスは胸に手を当て、古式の敬礼をした。
どうにかして戦いは避けたい。眷属など、策なしにどうこうできる相手ではない。
マハヴィルが単身で眷属を倒したことだけは本当に評価に値する。眷属と対峙している今だからこそ、骨身に染みるほどそう思う。
「よく口のまわる男だ」
紅を刷いたように赤い半分の唇が吊り上がる。
「いかにも、私の名はテオドラだ。あれからどれくらい過ぎたのかはわからんが、そのように語り草になるほど時が経っているのだな」
半顔のアンデット――テオドラは懐かしむように目を細めた。
「かの戦いの顛末についても聞きたいところだ、が……」
テオドラの声色に剣呑さが帯びる。
サイフォスは笑顔を保ったまま、銀の釘を握りしめた。
「貴様のような言葉を飾る者には、煮え湯を飲まされた経験があってね」
テオドラは石棺の蓋を蹴ってひっくり返した。蓋の内側に固定されていた、身長ほどもある大剣を片手で解き放つ。
「四肢を切り落としてから、ゆっくりと話を聞いてやろう」
眼窩の炎を激しく燃やし、大剣の切っ先をサイフォスへと向けた。