4-5 不穏の足音
改めて周囲を確認すると、モニカが落ちたのは円形の広間だった。六本の通路とつながっている。
『ほこりとカビ臭いだけでよくわからないな』
各通路の前で匂いを嗅いだマハは首を傾げた。
「まぁ、どれかしらの先に階段があるでしょう」
モニカが手近な通路を進もうとしたその時、壁にかかっていた松明台に火がついた。誘うように、六本の中でもっとも広い通路を煌々と照らす。
モニカとマハは顔を見合わせた。
「マハがやったんじゃないですよね?」
『こんなワケわかんないことやらないって』
「どうします? どなたかがわざわざ火を灯してくださった通路に行くか、他を選ぶか」
『無視したら祟られそうじゃないか?』
「あれだけ盛大にスケルトンを燃やしたり叩きのめしたりしたのに、弱気ですね」
モニカはふふっと笑ってみせ、明かりのついた通路に足を向けた。
『モニカを危険な目に遭わせたくない』
マハはモニカを追い越し、先導する。
「良い人ですね、マハは」
『好きじゃなきゃ、ここまでしないよ』
あまりにもさらりと言われたため、モニカは理解が追い付かなかった。
何も返さないのは空気を悪くしてしまいそうで、モニカは急いで言葉を探す。
「……ありがとうございます。本当は、血税を横領し、王族に危害を加え、禁術を操る悪女かもしれませんよ」
『過去に何があってもいいよ。俺が好きになったのは、森で出会った後のモニカだから』
冗談で流そうとするモニカに対し、マハは好意で畳みかけてくる。
(き、急になに!? いっそサイフォスさん湧いて出てこないかな……)
モニカはきょろきょろと視線を巡らせる。
通路はまっすぐに続いており、人が出てこれる隙間などは見当たらない。アンデットが出てくるような気配もなかった。
「私は、誰かに好かれるような立派な人間ではないですよ」
謙遜ではなく、本音が口からついて出ていた。
他人に嫌われないように、背筋を伸ばして、正しい行動をして。
笑顔で優しく朗らかに、聖女らしく振舞って。
本当は欠点ばかりの自分を、必死に取り繕って生きてきた。
「治癒術を扱う都合上、傷病者に対して親身になったり、肌に直接触れるのは、私にとって日常的なことです。ですが、『自分だけが特別扱いされている』という勘違いをする方は一定数いらっしゃいます」
マハのことを利用するのであれば、好意をいだいていてもらったほうが都合がいい。だが、このままでは命すら簡単に投げ出してしまいそうで不安になる。
実際、落下した自分を追って、崩落でできた穴に飛び込むなど正気の沙汰ではない。治療が遅れていれば死んでいてもおかしくなかった。
『俺も、そういう人たちの中の一人だって言いたいの?』
マハにしては珍しく、平坦で感情のない声だった。
「好意的に思ってくれるのは嬉しいです。けれど、出会ってからまだ数日。よく知りもしない人のために命を懸けるのはどうかと思います。ただでさえ痛覚がないのですから、軽率な行動は慎んでください。死んでしまってからでは遅いのですよ」
完全に突き放すようなことは言えなかった。マハに対して情が湧いているのかもしれない。
『……モニカにとって迷惑なら、やめる』
マハは立ち止まり、振り返った。
『でもそうじゃないなら、俺は勝手に好きでいる』
心までも射貫くような強さで、モニカの瞳を見つめる。
モニカは言葉の紡げない唇を震わせ、うつむいた。
(もっと、利用するのに罪悪感のない人だったら良かったのに……ううん、そうじゃなくて――)
迷いを抱えたまま手を伸ばし、マハの顔に触れる。
「……命に関わるような無茶で無謀なことだけはしないでください。私を助けるためであってもです。次は治しませんからね!」
強気を演じ、そう線を引くのが精いっぱいだった。
『モニカ好き!』
マハは無邪気にじゃれつく。
思考が姿に引きずられるのか、狼の時のマハはやや言動が幼い。
狼の身体は見た目相応に重量があるため、きちんと踏ん張っていないと危うく倒れそうになる。
(本当にただの犬とか狼だったら、嬉しいだけで済む話なんだけど……)
この感情をどう処理していいのかわからない。
今まではレイドールと婚約していたため、あからさまに言い寄ってくる者はいなかった。
聖女は聖王と結ばれ、次代を繋ぐ。
建国以来、脈々と受け継がれてきた慣習。
それが確定した未来だと思い込んでいた。
(未来を選べるなら……私は、どうしたいんだろう)
悩みとは裏腹に、被毛に沈む指が気持ちいい。
(……ダメだ。らしくない。今考えなきゃいけないのは、そんな遠くのぼんやりしたことじゃなくて、もっと近い現実)
モニカは意識的にゆっくりとまばたきをした。このままただ戯れていたい気持ちを抑えこむ。
(ここからの脱出方法。そしてサイフォスさんとの合流。六連星の鏡を見つけて帰らなきゃ)
三度、頬をぴしゃりと叩き、モニカは気持ちと表情を引き締めた。
ちょうどその時。
一陣の風が吹き抜けたかのように、壁にかけられた松明台の炎がざぁっと一斉に揺れた。
気味の悪さに、モニカは腕をさする。
(よく考えたらアンデットの巣窟なのよね。長居したくないわ)
『っ……ぅ、ぐっ……!』
突然、マハがうめき声をあげた。ぐったりとその場にくずおれる。
「マハ、どうしたの!?」
モニカはさっと血の気が引くのを感じた。マハの身体にすがりつく。
『はぁ……んっ、だいじょぶ。こないだから、たまに……腹が変な感じ、するだけ』
マハは身体を曲げて自分の腹部を舐めた。
「最初に会った時、怪我をしていたところですか?」
頭をどけさせ、モニカはマハの腹部に触れる。外傷はなく、触った感じもおかしなところはない。
「なぜ怪我をしたのか聞いても?」
『……笑わない?』
マハ言葉を濁し、耳を倒した。
この仕草をするのはリラックスしている時が多い。だが、同時に尻尾が力なく垂れ下がっていると、意味合いが真逆になる。
「無理強いはしませんよ」
モニカは毛並みに沿ってマハの背中を撫でた。
『……ちょっと、間抜けな話でさ。変な蜘蛛に噛まれて、自分で毒抜きしようとしたらかじりすぎた。で、血が止まらないから、焼いて無理矢理止血したんだ』
マハは顔を背け、ぼそぼそと喋る。
「無茶というか豪快というか雑というかなんというか……」
モニカは苦笑し、もう一度患部を触った。
異常は見つけられない。触診で読み取れることはなさそうだ。
(欠損を治すくらいの力でも、解毒はできないのかな)
モニカは自分の手のひらを見つめる。
変質してしまった自分の力について、未知の部分が多い。一度徹底的に試してみたいが、相手に苦痛を強いる以上、気軽に試せないのがネックだ。
「ここから出たら、念のため治療院で専門家に診てもらいましょう。サイフォスさんに口添えしてもらえば可能なはずです」
『えー。いいよ、たいしたことじゃないし』
「毒蜘蛛に噛まれて患部が壊死し、足を切断した知り合いがいますよ」
『……本当に?』
「行きましょうね、治療院」
モニカはにっこりと笑い、怯えるマハの頭を撫でる。
だが笑顔の裏側で、モニカの脳裏にはフィンレイが足を失った時のことがちらついた。
(毒蜘蛛、か。嫌な予感がする。フィン様にあんなことがあったから、過敏になってるだけかな)