3-8 素敵な新婚旅行へのお誘い
「本当に申し訳ありませんでした」
モニカはひたすら頭を下げた。
相手は腫れた頬を氷嚢で冷やし、むっとした顔をしている。
「不法侵入した上に、勘違いとはいえ、連れが危害を加えてしまって……」
モニカの悲鳴を聞きつけたマハとサイフォスは、極めて迅速に遭遇した相手――テオ村の村長を制圧した。
普段いがみ合っているくせに、こんな時だけ二人は鮮やかな連携を見せた。
マハが村長を背負い投げで床に叩きつけ、サイフォスがどこからか取り出した縄であっという間に拘束した。もちろん、今は縄は解いてある。
ちなみに村長の頬が腫れているのは、立ち上がった際にふらついて自分で転んだせいだ。初老の身体に背負い投げは相当響いたらしい。
「あんたそんな身なりして、修道女かなんかじゃないのかね。傷の一つも治せんのか」
村長は横柄にモニカをにらみつけた。
背後で二人の気配が動いたのを感じ、モニカはさりげなく手振りで制する。
「あー……治します? おすすめはしませんけど」
モニカは目を逸らし、指に髪を巻き付けた。
全面的にこちらが悪いのだが、こうも露骨に悪感情を出されると罪悪感が薄れてきてしまう。
「やっちゃえモニカ!」
「今こそ愚民に神力を見せつける時です」
背後から野次が聞こえる。
(誰のせいで頭下げてると思ってるのよ……!)
根本原因は自分にあるが、ここまでひどくしたのは間違いなく無責任に煽っている二人だ。
「治せるんだったらさっさとやってくれ。何をもったいぶっているんだ。傷を治すのがあんたら修道女の仕事だろう」
村長はいきり立ち、モニカに詰め寄った。思い出したように打ちつけた腰を擦って痛がってみせる。
「……私、忠告しましたよ。おすすめしないって。それでも治しますか?」
モニカは目蓋を伏せ、重苦しいため息をついた。人の悲鳴は聞いていて気分の良いものではない。それがたとえ気に入らない相手のものであってもだ。
「――モニカさん、これを」
サイフォスが囁き、こっそりとモニカの手に何かを握らせた。
「普段眠る時に使っている耳栓です。たとえ異端者が泣き叫んでいようと、朝までぐっすりという代物ですよ」
「普段どんな環境で眠ってるんですか……」
不審点はあるが、モニカはありがたく耳栓をはめた。
「では、治しますね。後悔は後でしてください」
モニカは最後通告をし、手に淡いオレンジ色の治癒光を灯す。
耳栓のおかげで村長の声は聞き取れなかったが、口の動きから「さっさとしろ」というようなことを言っているのが見て取れた。
モニカは小さくため息をつき、治癒光の灯った手のひらを村長の顔にかざした。
◇
「本当に申し訳ありませんでした!」
村長は額を床に擦りつけて土下座した。
モニカの治療の甲斐あって、綺麗に立場が逆転した。
「わたくしめがあのような不遜な態度を取ってしまったばかりに貴女様のお怒りに触れてしまったのでしょう。――ああっ、すみません! 怒りなどではなく慈悲でございました! 貴女様のおかげで身体の不調はすっかり消え失せ、身も心もこの上なく晴れやかに――」
村長は血走った目をさまよわせ、何かに取りつかれたかのようにまくし立てる。
「深遠なる神の一端に触れることができて光栄でしたね」
モニカとマハが引いている中、サイフォスだけが満足そうに微笑んでいる。
「――さて、本題に入りましょう」
サイフォスは手を大きく打ち鳴らした。
「審問院異端審問課異端審問官、サイフォスと申します。あなたが真に誠実であるなら、以後お見知りおきください」
「異端、審問……?」
村長の額にぶわっと脂汗が浮かぶ。
「聖遺物らしきものを使って不当に利益を得ているとお聞きしました。相違ありませんか?」
サイフォスは蔑みを宿した瞳を向けた。口元だけは微笑をたたえている。
「それは、その……」
村長は口ごもり、ばりばりと頭を掻きむしった。
「答えづらいなら質問を変えましょう。この村にあるという六連星の鏡はどのように入手したのですか?」
尋ねながら、サイフォスは視線をモニカへと向ける。
「ちなみに、僕は何度でもあなたに尋ねることができますよ。彼女に手伝ってもらって、ね」
サイフォスに拷問のダシに使われ、モニカは眉間に皴が寄るのを抑えられない。
異端審問課の応援に准聖女が呼ばれているのを見かけたことがあるが、こういう使われ方をしていたのだといまさらながら理解する。
(怖い人。これが、本当のサイフォスさん……?)
モニカは悲しさとうすら寒さを覚え、腕をさすった。
「その、盗掘野郎から買っただけで……」
村長は身体を引きずるようにして後退った。
「盗掘?」
カツッ、カツッ……と威圧的な靴音を立て、サイフォスは村長に詰め寄る。
「ぼ、冒険者だとか言ってましたけど、実態は盗掘や遺跡荒らしですよ。旧砦を掘り返したら魔除けの鏡が出てきたから買ってくれって。うちの村は旧砦が近いから、たまにスケルトンが来て困っていて……」
村長は窓の方に目を向けた。
カーテンは閉められており、外にいたスケルトンがどうなっているかはわからない。
「気休めで買った鏡を飾った途端、本当にぴたりとスケルトンが来なくなった。そのうちに、誰かがこれは本物の聖遺物だとか言い出して、噂が勝手に広まって――」
村長は顔を覆い隠すように頭を抱えた。唇が痙攣し、くくっ、くっ、と不安定で自嘲的な笑い声が漏れる。
「……俺は、何の罪に問われるんですかね。それとも、家の周りにたむろしてるお骨様に呪い殺されるほうが先ですかね」
「どうしてこの村ではスケルトンのことを『お骨様』と呼んでいるのですか?」
「俺の爺さんの頃からそう呼ばれてたみたいだけど、多分、恐れが敬いに変化しただけですよ。崇めていれば襲われないとでも思ったんじゃないですかね。砦で戦死した誇り高き英霊なら、潔く成仏してほしいもんですが」
段々と村長の口調が投げやりになってきた。彼の中で何かが焼き切れてしまったのかもしれない。
「出所はやはり旧砦ですか……」
サイフォスは顎に手を当て、細く息を吐いた。
(なんか心当たりありそう)
モニカはじとっとした目でサイフォスを見る。
うやむやになったせいで、結局サイフォスが村にある六連星の鏡を偽物だと断言した理由を聞いていない。
「ねえモニカさん、新婚旅行を前倒しにして、旧砦――テオドラ砦に行ってみましょうか」
サイフォスの口調は冗談とも本気ともつかないものだった。
「……急に、なんでですか」
「そこに本物の六連星の鏡がある――と言えば行きたくなりませんか?」
ぴっと人差し指を立て、サイフォスは真意を読ませない笑みを浮かべた。
(本当になんなのもうこの人!)
モニカはサイフォスにつかみかかったマハを止めたことをいまさら後悔した。
こんなにも思わせぶりに振り回してくるなら、あの段階で洗いざらい吐かせておくべきだった。
(でも利用するなら、これくらいの方が罪悪感がなくていいわ。何考えてるか知らないけど、乗ってやろうじゃない)
「素敵な新婚旅行のお誘いですね」
モニカは聖女らしくたおやかに微笑み、サイフォスの立てた人差し指を握りしめた。
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