3-1 突如始まるプロポーズ対決
「……どうしてサイフォスさんもついて来る気になったんですか?」
がたがたごとごとと舗装の行き届いていない道を走る箱馬車の中、モニカは真向かいに座っているサイフォスに尋ねた。
馬車の車体も馬も、御者を務めてくれているローガンもルカルファス家のものだ。ここでサイフォスの機嫌を損ねれば、どこともわからない場所で放り出されることになる。
それでも、モニカは聞かずにいられなかった。
「そもそも同行しない理由などありません。僕の使命はモニカさんの監視と保護ですから。地獄の果てでもお供いたしますよ」
サイフォスは薄く形の良い唇を持ちあげた。相変わらず瞳の奥が笑っていない。
「地獄に落ちる予定はいっさいありませんけれど……」
モニカは顔が引きつらないように頑張って微笑み返す。
これ以上何を聞いたところでサイフォスの真意は読めないだろう。
モニカは諦めて視線を小窓へと向けた。
いつも通りの修道服に着替えた自分の姿が窓にうっすらと映る。
聖女ではない自分にこの服を着る権利はないのだが他に服もない。クロエが気を遣って何着か服を見繕ってくれたが申し訳なさから辞退した。
サイフォスの厚意で屋敷に一泊させてもらった後、六連星の鏡が祀られているというテオ村へと向かうことになった。
草原地帯を走行しているため、窓の外に代り映えのしない風景が流れていく。
早朝の出立ということもあり、モニカは眠気による頭の重さを感じた。車体の振動と単調な景色、睡眠不足とが相まって、思わずあくびが出てしまう。
「眠いなら横になるか?」
返事を待たずに、モニカの身体が引き倒された。後頭部にごつごつとしたものが当たる。
「着いたら起こすよ」
優しく見下ろすマハの金色の瞳と目が合った。
ここでようやく、モニカは膝枕されていることに気が付く。
「えっ……やっ、いいですって! 大丈夫です!」
焦って身体を起こそうとするが、マハの手によって簡単に押さえ込まれる。
マハと接していると、サイフォス相手の時とは違った意味で調子が狂う。
「人の花嫁に気安く触れないでいただけますか?」
サイフォスの指先でぱちぱちと紫色の雷が弾ける。
「ずっと引っかかってんだけどさ、モニカはアンタのものじゃないだろ」
じろっと音がしそうなほど、マハはサイフォスを鋭くにらみつけた。
「モニカさんは将来の伴侶にして共に旧神を崇める信徒です」
「全然違うから!」
モニカは跳ね起き、食い気味に否定する。
「お二人とも、私に対してどうのこうのって本気で言ってるんですか?」
マハとサイフォスの顔を交互に見遣り、モニカはため息をつく。
「俺は、モニカがうなずいてくれるまで何度でも言うつもりだ」
先んじてマハがモニカの手を取った。
マハの手は大きくて皮膚が硬く、熾火のように熱い。
モニカは反射的に手を引っ込めたくなる。だが、強くつかまれているわけでもないのに、びくともしなかった。
「この身体が治ったらエルヌールに戻り、正式にモニカを妻として迎え入れたい」
求婚するマハの金色の眼差しは、今までに見た誰よりも真摯だった。
「や……あの、展開早すぎません?」
モニカは気まずさから目線を少し逸らす。唐突だが悪い気はしないのが厄介だ。
「好いた女はさっさと囲い込んで既成事実を作れと教わった」
「東国の王族教育どうなってるんですか……」
聖王国では上流階級の九割以上が政略結婚だ。他国の得体の知れない女性を連れてこようものなら、良くて法的な地位を持たない妾、最悪の場合は貴人を誑かしたとして処分される。
(東国でもそんなに変わらないよね。妾も処分も嫌なんだけど)
プロポーズの本気度はともかく、異国で追放された女を妻に迎えることで周囲がどんな反応をするのか、マハは考えてもいないだろう。
「お優しいモニカさんは、愚直なあなたを傷付けないようにどう断ろうかと答えあぐねているようですよ」
サイフォスは挑発的にマハを一瞥し、あいている方のモニカの手を取る。
マハとは対照的に、白手袋越しにも伝わるくらい冷えた手だった。
モニカは心臓に何かを刺しこまれたかのようにどきっとする。
「……僕にはあなたが必要なんです。それ以上の理由などいりますか?」
生気のなかったサイフォスのライムグリーンの瞳がうっとりと潤む。
短いがゆえに、モニカの心にまっすぐに言葉が届いた。
これまでのサイフォスの言動から、もっと回りくどいことを言われるのではないかと思っていた。
「い、いつもの『神はこう仰った』みたいなのはやらないんですね」
「もちろん我が神も賛成していますよ。『色々相性もあるから、いっそひと月お試しで結婚しちゃったら?』と」
「そ、そんな軽々しく言わないでください! 本当にサイフォスさんの神様ってなんなんですか!?」
聖女になった時点で相手が確定していたモニカにとって、結婚に幻想も理想もなかった。とはいえ軽視していいとは思っていない。
「モニカ、これだけははっきり言える。こいつよりは、俺のほうが絶対に良い」
マハはモニカの手を両手で握って力説する。
「おこがましいことを。『せいぜい犬として飼われているのがお似合いだよ』と神もご立腹です」
サイフォスはいつもの死んだ目でマハを睥睨する。
不毛な口論に発展するのに時間はかからなかった。
(結局こうなるのね……とりあえず手だけでも離してくれないかな)
モニカはそれとなく手を揺すってみる。
二人とも離す気配はなく、むしろ強く握り直された。
せまい車中で持ち出す話題ではなかった。逃げ場がない。
仕方なくモニカは気分転換に窓へと目を向けた。代り映えのしない草原風景でも、言い争いを見ているよりは心が穏やかになる――はずだった。
突如、車体が大きく縦に跳ねた。
甲高い馬のいななきとともに、今度は激しく左右に揺れる。
なんらかの理由で馬の操作を失っていることは車中からも明らかだった。
モニカはなす術もなく身体を持っていかれる。叩きつけられる直前、何か大きなものに包まれた。マハだ。
モニカをかばったマハの背が車体のドア部分にぶつかる。痛覚はなくとも衝撃は感じるらしく、マハはかすかに呻きを上げた。
「ローガン! 何があった!」
御者台に向かってサイフォスが大声を飛ばす。
返事の代わりに揺れが収まり始めた。それに伴い速度も落ちていき、ほどなくして馬車が完全に停止した。
「平気、モニカ?」
耳のそばにマハの声を感じ、モニカはほっと息を吐き出す。突然のことに何もできず、呼吸すら忘れていた。
「はい、ありがと、う……!?」
声の方を向くと、至近距離にマハの口元があった。
耳のすぐそばに顔があるのは当然としても、驚かずにいられる距離ではない。
意識した途端、モニカは急激に顔の温度が上がるのを感じた。マハに抱きしめ直され、心臓が飛び出そうなほど大きく跳ねる。
(マハだから照れてるんじゃなくて、単純に男の人と距離が近いせいだから!)
「もう少し、このままで良い?」
マハは小さく笑い、モニカの頬を指の腹で撫でる。
今まで経験したことのないむず痒さに、モニカは堪らずぎゅっと目をつむった。