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幕間 追放の代償(レイドール視点)

 聖女だったモニカを追放してからまだほんの数日。


(だというのに、これはいったいどうしたことだ――)


 レイフォルド聖王国第一王子であるレイドールは、執務机の上にある報告書を握り潰す。


 一枚、また一枚――読み進めるほどに、胃が焼けるような不快感が増していく。

 机の上に積まれた報告書に、朗報はただの一つもなかった。


 一番最初に目についたのは、聖都周辺地域における魔物の異常発生。


 もともといくつか魔物の住処があることは調査済みだ。生息地を侵さなければほぼ害はない――はずだった。


 それが報告によると、沸騰した湯のごとく住処からあふれ出て村々を襲っている。国境付近でも呼応するかのように魔物の動きが活発になっており、早くも流通などに影響が出始めていた。


 その他にも、雷を伴う豪雨が頻発しているだとか、東の空に赤い凶星を見ただとか、犬猫の夜鳴きが激しくなったとか――本当に報告してくる必要があるのかわからない悪い兆しの数々が書かれている。


(まさかあの儀式に本当に魔物を抑える力があったとは……)


 レイドールは先日の儀式を思い出し、ぎりっと音が立つほどの歯噛みをした。

 モニカの追放を優先するあまり、月に一度の「鎮めの儀」について失念していた。聖女の神聖さを周知させるためだけの形骸的(けいがいてき)な儀式だと思い込み、軽視していた。


 王城の地下にある、歴代の聖王を(まつ)った聖王廟に安置されている魔除けの水晶に当代の聖女が触れて光らせる。

 はたから見ている限りでは、それだけの儀式だった。


(せめてマグノリアが魔除けの水晶を壊したりなどしなければ……!)


 ろくに力のないマグノリアでも出来るだろうと高を括っていたのがよくなかった。

 マグノリアが魔除けの水晶に触れた途端、清く透き通っていた水晶が白く濁り、内側から弾けて四散した。


 レイドールにはわけがわからなかった。


 あちこちできらめく水晶の破片を呆然と見ていると、


「追放した魔女モニカの怨念が魔除けの水晶を砕いたのです」


 自分は被害者だと言わんばかりにマグノリアが声高に主張した。


 よくもそんな嘘がとっさに出てくるなとレイドールは感心する。マグノリアは自身が聖女の座に就きたいだけでなく、モニカに対して並々ならぬ感情があるようだった。


 その場ではマグノリアの言うように「魔除けの水晶が割れたのは魔女モニカのしわざ」ということになったが、様々な憶測が飛び交うのにさして時間はかからなかった。


 曰く、本物の聖女を追放したせいで神がお怒りになられた。

 曰く、資格のない者が触れたせいで神がお怒りになられた。


 モニカを持ちあげたり、マグノリアをけなした者は政治犯として即座に捕らえられ牢屋送りとなった。どういうわけか、刑務を担当している聖堂騎士たちがマグノリアの一存で動いている。


 聖堂騎士だけではない。

 各組織に必ず何人か、マグノリアの「お願い」という名の指示で動く者がいる。下手したら第一王子である自分よりも人を動かす力があるように見えた。


 聖王家に連なる上級貴族の家系の出であるとはいえ、何かがおかしい。禁術を使って皆を操っている、とでも言われたほうがまだ納得できる。


(やるんじゃなかった)


 レイドールは目線を下げ、大きく息をつく。

 後悔ばかりが浮かんできて嫌になる。


 婚約者であろうと聖女との婚前交渉は不可とする、などという苔の生えたしきたりがなければマグノリアの誘惑になど乗らなかった。


(マグノリアは聖女の座を継ぐと言っていたが、力がない上にあの身体だ。どうするつもりなんだ?)


 聖女は子を宿すと力が使えなくなるとされている。お腹の子供を守るためだとか、子供に力が移るからだとか、理由は諸説ある。


 そのため、聖女が聖女でいられるのは二十二歳までと決められていた。後継者の不在などの特別な理由がある場合は最長で二十五歳まで。聖女は次期聖王の婚約者であることがほとんどであるため、世継ぎのことを考えて年齢制限が設けられている。


(どうせ追放するんだったらモニカとやっておけば良かったか)


 つい先ほど己の下半身の失態を後悔したばかりだというのに、よこしまな考えがレイドールの脳裏によぎる。

 顔といい身体といい、全体的に派手なマグノリアよりも、清楚可憐を絵に描いたようなモニカのほうが好みだ。


(あと三年だったんだけどな)


 モニカはレイドールよりも二つ年下なので、今年で十九歳になる。

 たった三年。されど三年。


 新月の夜、魔が差した。


 誘い方から行為にいたるまで、マグノリアはどんな娼婦よりも手馴れていた。紳士の(たしな)みとしてそれなりに場数を踏んだレイドールが、己の身分や状況を数刻見失うほど絡め取られた。


 だから、シーツに赤の痕跡があるのを見つけた時は心底驚いた。

 事後の虚しさと、蜘蛛の巣にかかった蝶のような被害者気分が一気に吹き飛んだ。

 あの気位の高いマグノリアが、自分に好意があってこんなことをしたのだと思うといじらしい。


 これだけで終わっていれば、結婚前の一時の気の迷いで済んだだろうに。


 しばらくの後、マグノリアから丸くせり出た腹部を見せられ、驚愕で腰から崩れ落ちた。

 不貞をした日から計算すると、どうしても腹の膨らみが大きすぎる。だが自分が最初の相手だったことは間違いない。


 自分の地位と未来が傷付かない方法を模索している最中(さなか)、弟フィンレイが足を失う事件が起きた。


 次から次へと起こる問題に頭を抱えるレイドールに、


「わたくしたちの未来のために良い方法があります」


 とマグノリアが囁いた。レイドールの手を取り、自身の腹部へといざなう。

 なにものかの胎動がレイドールの手のひらに伝わってくる。


 決断を迫るような音だった。


 こんな時でなければ生命の息吹を喜べたかもしれない。


(あの腹の中には何が詰まっていて、何が生まれるのだろうか)


 自分の子であると理性ではわかっているのに、そんな意味のない問いかけが浮かんでくる。


(……現実逃避をしている場合ではないな)


 レイドールは頭を振り、執務机に両手をついて立ちあがった。


(魔除けの水晶の代替品の手配と、マグノリアに気付かれないようモニカを連れ戻さないと。あの力は禁術かもしれないが、あまりに有用だ。秘密裏に利用すればいい)


 モニカの極刑を望んでいたマグノリアに見つかると厄介なことになる。


 レイドールは頭の中で、マグノリアと通じていないかつ自分が動かせる手駒を何人か拾いあげた。万全を期すためにも、城内の者ではなく、金を積めば動く傭兵のほうがいいだろう。


(秘密裏……そうだ、バレなければいい)


 薄暗い感情が腹の奥底から湧きあがる。

 気が付けば、唇が笑みの形に歪んでいた。初代聖王の生き写しと称される自分には似つかわしくない、醜く酷薄な微笑だった。

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