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2-10 男の一人や二人、手のひらで転がすのも聖女の嗜み

「おや、どちらへ?」


 サイフォスはモニカの腕をつかんで引きとめる。


「お手洗いです!」


 力強く振り払い、大きく一歩を踏み出すと、モニカの足が何かを踏んづけた。


「ぎゃっ!」


 短い悲鳴が聞こえ、モニカは視線を足元へとおろす。


 踏んでいたのは黒い尻尾だった。その先には丸まったマハの身体がある。

 人間で、男性で、筋肉質な裸体が。


「……いっ、きゃああああっ! なんで人間なの!?」


 モニカが手で顔を覆う前に、クロエがさっと布をかけてマハの身体を隠した。賞賛に値する迅速な対応だ。


「えぇ? 何回も言ってるけど俺は人間なんだってば……」


 マハは眠そうな目を擦り、大きく両手を伸ばした。

 今までマハが口をはさんでこなかったのは寝ていたからのようだ。


「あれ……また勝手に戻ってる? なんでだ? 寝たから? でも今までこんなことなかったし……」


 遅まきながら自身の変化に気付いたマハは、不思議そうに身体を見回した。


「実は露出癖があったりとかして、全部わざとやってるんじゃないんですか!?」

「違うって! なんかモニカはさ、人間姿(こっち)の俺に対して当たりが強くない?」


 マハは子供っぽく唇をとがらせる。


「『可愛がっていた犬が急に露出狂の変態に変わったら、そりゃあ嫌だよね』と神も仰っていますよ」


 サイフォスが神を盾にしゃしゃり出てきた。


「だから犬でも露出狂でも変態でもないって言ってるだろ! アンタはアンタで、なんでいちいち俺に突っかかってくるんだよ!」


 マハは床を踏み鳴らして立ち上がり、サイフォスをにらみつける。


「あなたが犬でないというのなら、まずは人前に晒すべきでないものを隠してからにしてください」


 サイフォスはゴミでも見るような目でマハの下肢を一瞥(いちべつ)した。

 マハは慌てて床に落ちた布を拾い、腰に巻きつける。


「それから、僕は決して好きで突っかかっているわけではありません。あなたが僕の将来の伴侶に対して無闇かつ無駄に馴れ馴れしいからですよ」

「あのなぁ、伴侶とか勝手に決めてんなよ。モニカは俺が国に連れて帰るって言ってるだろ」

「それこそ横暴ではありませんか。これだから火山に隠れて出てこない引きこもり火の神などを崇めているエルヌール人は」

「うちの神様馬鹿にすんのは違うだろ! だいたいアンタこそ頭おかしい狂信者じゃねーか!」

「偉大なる神も御心もわからぬとは。やはり犬とは話になりませんね」

「アンタの信じる神様とやらは、他人とのまともな会話の仕方を信徒に教えてないみたいだな。あと、俺は犬じゃないって言ってるだろ。何回もおんなじこと言わせんな!」


(また揉めてる。いいけど別に)


 モニカはこっそりと二人から離れた。


「お手洗いまでご案内いたします」


 察しの良すぎるクロエがモニカの動きに気付き、小さく手招きをした。


「あの、すごく失礼かもしれないんですけれど、いいんですか、あれ? 簡単に禁術とか旧神とか口にしちゃってて」


 騒がしい食堂の方を見遣り、モニカは尋ねる。


「セラ様はあれでいて、ちゃんと相手を見て立ちまわりを変えているので大丈夫ですよ」

「はぁ……」


 モニカは生返事しかできない。

 自分よりも遥かに付き合いの長いクロエが言うならそうなのだろう。


「ルカルファスは『神降ろし』の家系なのです。十の歳に神の加護を受ける儀式をおこなうのですが、運悪く、その時セラ様に『降りた』のが旧神のうちの一柱でして」


 目的地までの世間話くらいの軽さで、クロエは重そうな事情を語り始めた。


「それ以降、ご家族に影響が出ることを恐れ、自ら本宅から離れたこちらでお暮しになっています。わたくしとローガンは無理に押しかけたのですよ」

「えっと? あの、私にそんなこと話されても……」

「セラ様があそこまで人に関心を持つなんて珍しいことなので。老婆心ながら、セラ様についてちゃんと知っていただきたいと思いまして」


 クロエは口元に手を当て、悪戯っぽく笑う。


「……自ら望んで異端になったわけじゃないんですね。知らなかったとはいえ、さっきひどいこと言いましたね、私」


 モニカは振り返り、唇を噛みしめた。


「セラ様も配慮に欠けていましたから、モニカ様がお怒りになるのも無理はありません。それに、きっかけは偶然だったとはいえ、今では立派な旧神の狂信者なので」


 クロエは頬に手を当てて嘆息する。


「クロエさん、サイフォスさんのフォローをしたいのかしたくないのか、どっちなんです?」


 モニカは苦笑を禁じ得ない。


「清濁併せ呑むことが相手への理解の第一歩です。良い面も悪い面も。どちらか一方だけで出来ている人間などいませんから」

「……理解、ですか」


 モニカは引っかかった単語を反芻した。

 誰かを理解しようと思ったことも、理解されたいと願ったこともない。


(でも……)


 二人の姿が同時にモニカの脳裏に浮かぶ。


 サイフォスの、何もかも見透かしたような冷めた瞳。不意に見せる子供のような無防備さと、禁術に対する常軌を逸した熱量。


 マハの、生命力にあふれた真摯でひたむきな瞳。明るく人懐っこいのに、呪いのせいか、どこか放っておけない危うさがある。


(あの二人のことなら、ほんの少し、知りたいって思ってるのかもしれない)


「男の一人や二人、手のひらで転がすくらいのほうが精神衛生には良いですよ。聖女でも、聖女でなくとも」


 緊張をほぐすように、クロエは冗談めかした言い回しで付け加えた。


「そ、そういうんじゃないですって……!」


 モニカはすぐさま否定するが、変に声が上擦ってしまった。


(なんで焦ってるんだろう、私……)


 胸の奥がざわついている。


 モニカは胸に手を当てて理由を探した。

 けれど、そこにあるものがただの好奇心なのか、それとも別の感情なのか――今のモニカにはまだわからなかった。

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