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2-6 聖女も知らない国際事情のあれやこれ

 一番最後に身支度が終わるのは自分だろうな、というモニカの予想は覆された。


 クロエが用意してくれたドレスに着替えて食堂へと向かうと、食卓に着いていたのはサイフォスだけだった。少し離れたところにローガンとクロエが控えている。


 テーブルには食べやすい軽食やケーキや各種焼き菓子、ティーカップなどが用意されていた。食事、というよりもアフタヌーンティーといったメニューだ。


「女性の服の備えがなくて申し訳ありません。取り急ぎ用意させたのですが」


 モニカの姿に気付くと、サイフォスは持っていたカップを置き、頭を下げた。


「いえ、素敵なドレスをありがとうございます」


 モニカは片足を浅く後ろに引き、スカートの裾を軽く持ちあげて会釈(えしゃく)する。


 お世辞や忖度(そんたく)などではなく、用意されたドレスは気後れするほど質の良いものだった。

 ハイウエストで切り替えがあり、裾に向かって緩やかに広がるラインが美しい。柔らかな質感の生地を贅沢に使うことによって自然なドレープができ、シンプルながらも上品さと優雅さを兼ね備えたデザインになっている。


(上流階級御用達のフルオーダー品よねこれ。高そう。しかも新品)


 まるでモニカのためにしつらえたように、身幅や着丈がぴったりだった。偶然の一致、で片付けていいのか判断が難しい。


(この人の家に来ることになったのは数時間前のはずだけれど、いつ用意させたんだろ)


 サイフォスに対する不信感を募らせつつ、モニカはローガンが引いてくれた椅子に座る。


 ちょうどその時、たたっ、たたっ、という床を叩く軽快な音がどこからか聞こえてきた。

 ほどなくして、見覚えのある大きな黒狼が食堂に入ってくる。


『ごめん、遅くなって!』


「……なんでその姿で来たんですかあなたは!」


 モニカは椅子を倒す勢いで立ちあがり、出会った時と同じ黒狼姿のマハに詰め寄った。


『や、その、お風呂から出てベッドでうとうとーってしてたらこうなってた』


 マハはおすわりの体勢になり、尻尾を身体に巻き付ける。


「前の時もですけれど、勝手に姿が変わってしまうんですか?」


 ふと全裸のマハを思い出しそうになり、モニカはこっそりと自分の腕をつねった。


『基本的には自分の意志でどっちにもなれるんだけど、なんか最近はうまく制御できないことがあるみたい』

「ちなみにどっちが本当の姿なんです?」

『人間に決まってるだろ! 元は獣耳も尻尾も生えてないからな!』


 マハは忌々しそうに前肢で自分の耳を掻く。


「旧神の眷属である『赤き魔狼ダーロス』を倒した英雄が無様なことです」


 静観していたサイフォスが、その場にいる全員に聞こえるように呟いてみせた。


 ふとモニカは、サイフォスがマハを処分しようとしていたことを思い出す。

 狼耳と尻尾だけなら獣人だという言い訳もできるが、人語を操る黒狼は完全にアウトだ。


 モニカはマハの首元にひしっと抱きつく。


「人が狼になったり狼が人になるのは異端の所業かもしれませんが待ってください! 獣や魔物と違って話は通じるし、意味なく噛んだり引っかいたりしないので! 多分! きっと! おそらく!」


 冥術の射程範囲内に自分もいれば攻撃してくることはないはず――という推測と期待の眼差しをサイフォスに向けた。


『サイフォス、アンタは何をどこまで知ってるんだ』


 マハは鼻の付け根にしわを寄せ、低くうなる。


「僕ではなく、神が知っているのです。せっかくクロエが用意してくれましたし、よろしければお二人もお茶をどうぞ」


 サイフォスは興味を失ったように、ティーカップに口をつけた。


(ダーロスってなんだろう。聞いてもいいのかな)


 モニカはサイフォスに視線を向けたまま席へと戻った。

 マハは忠犬のごとくモニカに付き従う。黒狼の姿では椅子に座れないため、モニカの席のそばで伏せる。


「モニカ様は茶葉のお好みはございますか? それとも他のお飲み物のほうがよろしいでしょうか?」


 何事もなかったかのようにクロエが声をかけてきた。

 モニカは張っていた気が緩み、小さく息を吐き出す。


「クロエさんにお任せしても良いですか? 恥ずかしながら、そういったことに(うと)くて」


 食事や嗜好品について尋ねられた時、モニカはいつもこう答えるようにしていた。


 本当は茶葉による味や香りの違いや、食べ物とのペアリングも把握している。銘柄や産地の違いによる取引価格や、どのブランドが上流階級の間でもてはやされているかまで頭に叩き込んだ。


 准聖女になりたての頃は、孤児上がりというだけで出がらしを飲まされたりなど、特別な歓待を受けたものだ。

 おかげで、相手がどんな対応をするかによって自分の立ち位置を確認する、という嫌味な癖が染みついてしまっている。


「承知いたしました。マハ様は深皿でお飲み物をお持ちしたほうがよろしいですか? 着席は難しいようですし、サイドテーブルを用意いたしますね」


 クロエは動揺を見せることなく、淡々と家政婦としての役目をこなす。


 お茶が運ばれるのを待ってからモニカは口を開いた。


「ねえマハ。呪いのせいで一部の感覚がない、っていうのは聞いてたけれど、そのダーロスっていうのが関係しているの?」


 尋ねながら、モニカはほとんど無意識のうちにマハの頭を撫でていた。どうにも狼姿だとあれこれ構いたくなってしまう。

 お風呂あがりのせいか、森で触れた時よりも毛艶が良い。モニカが使ったのと同じ石鹸の匂いがする。


『モニカに話すのはいいけど、コイツがいるところでは話したくない』


 マハはぷいっと顔を逸らした。


「赤き魔狼ダーロス。初代聖王に封じられた旧神の眷属(けんぞく)です。聖戦の折に深手を負い、以降エルヌールに潜伏していたようです。先ごろ、エルヌールの第三王子が単独で打倒したと聞き及んでいます」


 代わりにサイフォスが答える。すべてを知っていそうな口ぶりだった。


 サイフォスの言う「聖戦」とは、この地域一帯を荒廃させていた邪神を、初代聖王レイフォルドが封印した戦いのことを指している。聖王国民なら誰でも知っている建国神話のエピソードの一つだ。


『何が潜伏していたようです、だよ! 聖王国が張った結界のせいで周辺諸国がどれだけ迷惑してるか!』


 マハは突如激昂(げっこう)した。全身を覆う黒い毛が赤く揺らめく。


『退魔の結界で聖王国からはじき出された眷属どもが暴れてんのを知らないわけじゃないだろ!』


(ごめんなさい、知りませんでした……)


 昨日まで聖女だったモニカは肩身のせまい思いにさいなまれる。


 聖王国と比べ、周辺諸国では魔物の動きが活発だという話は耳にしていた。

 聖王教では、神の加護と聖女の力によって平穏が保たれていると教えられる。

 信仰心の低いほうだという自覚があるモニカでさえ、その教えに疑問をいだいたことはなかった。


「もう結界はありませんので、復讐に燃える眷属たちが喜び勇んで聖王国に入り込んでいるかもしれませんね」


 サイフォスは他人事のように言い、美しく積まれたマカロンに手を付けた。

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