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2-5 つまるところ、最終的にはもふもふが最高

(……あー、お風呂ってやっぱり気持ち良い……)


 湯船に浸かって深呼吸をすると、身も心もほぐれていく気がする。


(アラル領は貴族の静養地として有名だけど、客室のすべてに浴室が備え付けてあるなんて贅沢。さすが法服貴族ね)


 モニカはバスタブの縁を指先で撫でた。

 魔術伝導の良い大理石のバスタブには火と水の魔石が一つずつはめ込まれており、任意の温度に調整できる仕組みになっている。


 白と灰色を基調とした浴室は飾り気こそないが、清浄な空気に包まれていた。清めの儀式に使う湯殿に雰囲気が似ている。


『時間がありません。邪神の封印が解かれてしまう前に、あなた本来の力を取り戻すのです』


 白い空間で出会った、神と思しき存在の声がモニカの脳裏によみがえった。


(邪神とかいきなり言われても困るのよね。変調を治すすべを教えてくれたのはいいんだけど)


 聖王国における「邪神」とは、初代聖王が主神の力を借りて封じた「破壊を司る神」と、彼に付き従った「三柱の(ふる)き神」のことを指す。三柱神に関しては、一部地域や隣接国などで信仰が根強く残っており、配慮のために「旧神」と呼ぶことのほうが多い。


(聖王じゃなくて、どうして私にあんなこと……)


 モニカはバスタブの中で膝を抱え込んだ。


(――いや、違う。問題なのはそこじゃない。どうして私はあの存在を信じているの? 『天啓を受けた』とマハに言ってしまったの? あの時祈って、痛い目をみたばかりじゃない)


 片足を失ったフィンレイを助けようと、神に祈った時のことを思い出す。


 フィンレイを救えたことに後悔はない。だが、モニカの使用した治療術が禁術の認定を受けてしまった今、フィンレイにも禁術汚染の疑いがかかっているだろう。


 自分の安易な祈りが、彼の将来に暗い影を落とすことになってしまった。


(……ああもう、違う違う! そんなことうだうだ場合じゃない!)


 モニカはお湯をぶつけるように顔を洗う。


(私の最優先の目的は聖女に戻ること。そうすれば、フィン様も疑われずに済むし、今まで通り孤児院への支援だって続けられる)


 ふっとモニカは心臓が締め付けられるのを感じた。

 追放された聖女を世に送り出した孤児院を、そのまま存続させておくだろうか。


お義母さん(マザーローザ)には毎月多めにお金を送っていたから資金面は問題ないけど、風評被害がどこまで及ぶか――)


 ここまで考えたところで、モニカは意識をして深呼吸をした。湿った温かい空気が身体の中に満ちる。

 思考が走っている時こそ、落ち着かなくては。


(……孤児院については、私が頭を悩ませたところで解決するわけじゃない。申し訳ないけど、お義母さんたちを信じて任せよう)


 モニカは背中を反らし、両手足をぐーっと伸ばした。

 同じ孤児院を巣立った子にまで思いを至らせていたらキリがない。


(とりあえず今は、目の前に垂らされた細い糸をつかむくらいしか、できることはないのかな)


 モニカはうなじに手を当てる。何度触ってもこのざらつきが指と心に引っかかった。


 浴室に備え付けの鏡と、客室にあった手鏡を使って首の後ろを確認する。

 角度を調節し、湯気で曇る鏡面を何度もぬぐいながら、聖痕がどんなものなのか見定める。


 マハが聖痕を見て「黒っぽい焼き印」と言っていたが、まさにその通りの見た目だった。黒に近い焦げ茶色の線が肌の上を走っている。


 ぱっと見た感じでは、象形化した太陽のようだった。

 中央に円が配され、そこから長さの異なる八本の線が伸びている。

 太陽は、聖王国を守護する主神の象徴だ。主神のことを「光り輝く顔」と称するのも、太陽に由来している。


(……整い過ぎててなんか嫌だな)


 我ながらひねくれている、と思いながらモニカは湯船に浸かりなおした。


(システィーナの聖遺物、『六連星(むつらぼし)の鏡』、か)


 モニカはぼんやりと手鏡を眺める。偶然にも、この手鏡にも星を模した細工があった。


(伝説の聖女の持ち物になら、超常的な力が宿っていても不思議はない……のかな)


 もやがかった自分の顔が見つめ返してくる。


 モニカは目蓋を伏せ、頭の中にある経典をめくった。


 システィーナの聖遺物の中でも、数字の「六」に関する名前がついたものは第一等級――非常に重要で価値があるものとされている。そのうちのいくつかは聖王家が所有しているが、様々な理由で持ち去られてしまったものも多い。


「六連星の鏡」は、所在が不明となっている第一等級聖遺物の一つだ。聖女システィーナが愛用していた鏡、という以上の情報はない。


(仮に六連星の鏡で変調が治らなかったとしても、システィーナの聖遺物を手に入れる価値はある。聖遺物を所持できれば、伝説の聖女に認められたと同義になるはず。探す価値は、ある)


 神らしき存在の思惑はどうあれ、ただ手をこまねいているよりはよほどいい。モニカ自身にも充分メリットはある。


(レイドール王子とマグノリアがあんな杜撰(ずさん)なことしても、あの場にいる誰からも非難の声が上がらなかったあたり、根回しはもう済んでたんだろうな。私が中途半端な働きかけをしたくらいじゃ戻れない。誰もが認めるくらいの正当性を示さなくちゃ)


 思わず奥歯に力が入った。ぎりっ、と歯が擦れる嫌な音がする。


(気位の高いあんたが、身体を使ってまで欲しかったの? 王子と、聖女の座が)


 マグノリアは誰よりも自分に力がないことを気にしていた。上級貴族――しかも聖王家に連なる血筋であり、将来を嘱望(しょくぼう)される立場にあったのは想像に難くない。


 本人の意志か、周りの配慮か、治癒の力がないのに准聖女になってしまったことで、決定的なひずみが生じたのだろう。


(……同情なんてしてやらないけどね)


 モニカは小さく舌を出した。


 幸不幸はその人の感じ方次第だとは思うが、モニカからしてみれば上級貴族の家に生まれただけで充分過ぎるほど恵まれている。


(王子がクズ野郎だった、ってわかったことだけは感謝しなきゃ。でも聖女に戻ったらどうなるんだろう? レイドール王子と結婚なんてしたくないし、あいつもきっちり追い落とさなきゃ。あんなのが聖王になったら国としても致命的だし、いいよね?)


 モニカは鏡の中の自分に向かって問いかけた。


(そのために、マハとサイフォスさんを利用しても……いいよね?)


 鏡の中の自分は自信なく眉をひそめている。


 サイフォスに関しては禁術審問の件もあって、利用するのにさほど罪悪感はない。


 問題はマハだ。


 聖女の力を頼ってこの国に来た彼を巻き込んでしまっていいものか。心情的な部分ももちろんあるが、彼の素性も懸念点の一つだ。他国の王族を聖王国の内部抗争に介入させるのはリスクが大きい。しかもサイフォスによれば、マハは正式な手続きなしに入国している。


(利用する場合、不法入国なのはある意味ラッキーではあるけど……)


 仮にこの先、マハがなんらかの不利益を負ったとしても聖王国側が責任を取る必要はない。


(痛覚のないマハに、どうして私の術で痛みが現れるのかも気になるところよね。もふもふの毛皮も気になるし。もしも聖遺物がダメでも、仕組みさえわかれば変調を回復する鍵になるかも。もふもふはストレスも回復するし。となると、やっぱりマハにはついてきてもらわなくちゃ――)


「……あれ?」


 モニカは思わず声を漏らした。


 目の前がぐるぐるする。思考も若干おかしい。


 原因はすぐにわかった。


(空腹状態でお湯に浸かって考え事してたら、そりゃこうなるよね……)


 鏡に映る自分の真っ赤な顔を見て合点がいく。


(倒れて運ばれでもしたらややこしくなるし、もう出よう)


 モニカは転んだりしないよう、バスタブから注意深く立ち上がった。

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