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2-4 第三王子と法服貴族、嫁ぐならどっち?(金銭的な意味で)

「『やっぱり獣とは対話の余地もないね』と神もお怒りです」


 聞き覚えしかない声と物言いが聞こえ、それとほぼ同時にモニカの身体が後ろに引っぱられた。


 足が(くう)を踏む。ちぎれるようにマハの手が離れる。


 背中が何かにぶつかった。甘さと清涼感のある香木の匂いがふわりと漂う。モニカにも馴染みのある、教会でよく焚きしめられている香りだ。


 ここでようやく、モニカは今自分がサイフォスに抱きとめられたのだと理解した。


「とはいえ、ここで彼を見逃し、寛容さを見せておいたほうが貴女の好感度は上がりますかね。もう一度あのお仕置きを受けるのもやぶさかではありませんが」


 サイフォスは口元だけで笑い、マハに向かってナイフを投擲した。

 マハは素早く部屋の中に逃げ込み、扉を閉めてナイフを防ぐ。


「……言ってることとやってること違いません?」

「彼にはこの程度かすりもしないでしょう。部屋の中に追い込んだだけですよ」


 サイフォスはどこからか取り出した紐でドアノブを固定する。


 異変に気付いたのか、激しいノックの音とマハの罵声が扉越しに聞こえてきた。何を言っているかまでは判別できない。


「それじゃあ私もそろそろ」


 モニカはそそくさと部屋へ退避する。サイフォスと一対一で会話が成立する気がしない。


「ごゆっくりハニー」


 親しみの一切感じられないサイフォスの声音に、モニカは開けた扉の縁に頭をぶつけそうになった。


「その『ハニー』っていうのやめませんか?」


 名前の前に「聖女」とつけられるのとは別のベクトルで落ち着かない。


「では、『姫』や『仔ウサギちゃん』などとお呼びすれば」

「なんでそういう変な方向に行くんですか! 接頭語つけたり変な言い換えをせずに普通に呼んでください! 名前で!」


 モニカはあえて鋭くサイフォスをにらみつけた。


 サイフォスのようなタイプは気を遣うだけ無駄だ。機微を汲み取ってはくれない。しっかりとこちらの感情と要求を伝えなければ相手のペースに呑まれ続ける。


「はぁ。モニカさん、でよろしいですか」


 サイフォスの表情と声は、納得したようなしていないような、判断のつかないものだった。


「はい。その呼び方でお願いします、サイフォスさん」


 一瞬モニカの頭の中で「セラ」という本名もよぎったが、自分と相手は「追放された聖女と異端審問官」という関係でしかない。サイフォス――神の剣としての名で呼ぶほうがしっくりとくる気がした。


「他人行儀ですね」


 サイフォスは寂しそうに嘆息(たんそく)し、モニカとの距離を詰めた。

 圧に押されて、モニカは半歩後退る。


「実際他人ですし」


 聖女に返り咲くために利用するなら、好意的な振る舞いをするべきだろう。

 だが、審問を生業とするサイフォスのライムグリーンの瞳には心の奥底まで見透かされてしまいそうで、モニカには偽りを口にする勇気がなかった。


「すぐに他人ではなくなりますよ」


 サイフォスは、マハがつかんだのとは逆の手を取った。モニカの目を見つめながら、手の甲に唇を近付ける。


 冥術を扱う得体の知れない異端審問官だとわかっていても、行為と視線の強さにモニカはどきっとしてしまう。


(どんな生き方してきたら、こんな瞳になるんだろう)


 サイフォスの瞳は、色自体は明るく美しい。だが、奥に翳りのようなものを孕んでいる。

 その正体がなんとなく気にかかり、モニカはつい目を合わせてしまった。


「僕に興味がおありですか?」


 サイフォスは余裕たっぷりに目を細める。


「っ、そのお顔でさぞ引く手数多(あまた)だったかもしれませんけど、突然あんな頭のおかしいプロポーズされてなびくわけないでしょ!」


 モニカは強い意志でサイフォスの手を振り払い、部屋の中へと逃げ込んだ。内鍵を閉め、背中を扉にもたれさせる。


(あぁもう、もっと可愛く健気に庇護欲そそる感じにしなきゃいけないのに。調子狂うなぁ。城ではもっと上手に立ちまわれてたのに)


 ウィンプルをつかんで剥ぎ取り、頭を二度振るった。ローズピンクの髪が重たく揺れる。深く長いため息が勝手に漏れてしまう。


(でも東国エルヌールの第三王子と、法服貴族ルカルファス家の跡取りか)


 モニカの脳内で無数のコインが擦れる音が響く。


 聖王国第一王子のレイドールと比べれば、どちらも格落ち感は否めない。


 とはいえマハは第三王子。王族は王族だ。


 しかもエルヌールは、いくつもの鉱山を有する金と輝石の一大産出国。

 初代聖王と聖女の威光と、彼らに対する盲目的な信仰心――「聖王教」という国教の教義で成り立っている聖王国よりも、むしろ裕福かもしれない。


 しかし異国に嫁ぐとなると文化の違いが大きなネックだ。


 その点、サイフォスならそういった心配はない。


 法服貴族の中でも伝統と格式のあるルカルファス家を味方にできるのは値千金だ。

 今回、司法関係者に対して根回しを怠ったせいで聖女の称号剥奪・追放という憂き目にあった。ルカルファス家を取り込めれば、もはや同じ(てつ)を踏むことはない。


 だが唯一にして最大の問題は「サイフォスがなんかヤバそう」――これに尽きる。


(……馬鹿なこと考えてないでお風呂入ろっと)


 ほとんど条件反射で損得勘定をしてしまう己の頭を軽く叩き、モニカは浴室へと向かった。

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