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2-3 イカレ異端審問官は名門貴族のご令息

 サイフォスに案内された屋敷は、モニカの予想よりも広く立派なものだった。当世風(とうせいふう)瀟洒(しょうしゃ)な外観をしており、湖のほとりという立地と相まって高級別荘にも見える。


 今いるのは、聖都を戴く聖王直轄領に隣接するアラル領だ。いくつもの美しい湖沼と、四季によって色彩を変える山林を有する地域で、別荘地として持てはやされている。


 街道が整備されており交通の便はいいが、登城するにはいささか時間がかかる。異端審問官が本宅を構えるのには向かない場所だ。


 そういえば聖王家所有の別荘もどこかにあったな、とモニカはぼんやりと思い出した。


「お帰りなさいませ、セラ様」


 屋敷の中に入ると、家令と家政婦だと思しき二人に出迎えられた。二人とも五、六十代くらいに見える。彼ら以外に人の気配はない。


「セラ?」

「本名はセラ=サイフォス・ルカルファスと申します。『サイフォス』は異端審問官就任時に神の剣として与えられた名です」


 モニカが発した疑問に、サイフォスは丁寧に答えた。


(ルカルファスって、聖人を輩出してる法服貴族じゃない。根っからの審問一家のご令息なわけね)


 司法機関である審問院の高官は約半数が世襲。その中でも三代以上続いている家は特別に「法服貴族」と呼ばれていた。序列としては上級貴族と同程度と見なされている。


「では、セラさん、とお呼びしたほうがいいですか?」

「好きに呼んでいただいて構いません、聖女モニカ」

「……あの、名前の前に『聖女』ってつけられると居心地悪いんですが。自分で言うのもアレなんだけれど、追放された身ですし」


 モニカは眉間に手を当て、寄ってしまった皴を隠す。


「『どこからどう見ても紛うことなき素晴らしい聖女だよ』と神も仰っておられます。ですが、もっと親密な呼び方が良いというならやぶさかではありませんハニー」

「距離の詰め方おかしくない!?」


 熱はあるが生気のない目で愛しい人(ハニー)と呼びかけられると、背筋がぞくっとするのだとモニカは初めて知った。


「申し訳ありませんお嬢様。セラ様はコミュニケーションにややクセがありまして」


 家政婦が申し訳なさそうに頭を下げ、モニカとサイフォスの間に入った。


 年齢はおそらく四十代半ばほど。豊かなグレイヘアをひっつめにしているせいか、吊り目がちで気が強そうな顔立ちだ。しゃんと伸びた背筋や、きっちりと着こなされた黒いロングドレスの仕事着などから若々しい印象を受ける。


「申し遅れました。ルカルファス家の家政婦をしておりますクロエと申します。あちらにいるのが家令のローガン」


 クロエの手振りに誘われてモニカが視線を向けると、白髪の老紳士が首を垂れた。所作(しょさ)に年齢相応の落ち着きと品がある。


「お客様はわたくしがご案内いたしますね」


 言うが早いか、クロエはモニカとマハの背を軽く押して促した。


「突然お邪魔してしまって申し訳ありません。すぐにお(いとま)しますので」


 勢いでサイフォスの屋敷にまで来てしまったが、長居をするつもりはなかった。

 色々様子がおかしいとはいえ、相手は異端審問官だ。油断はできない。


「いいえ、セラ様がご友人を連れていらっしゃるなんてめったにないことですから。どうぞゆっくりしていってください」


 クロエは立てた人差し指を唇に当て、にっこりと微笑んだ。

 流されるままに階段を昇り、二階奥のゲストルームへと連れていかれる。


「それぞれのお部屋に簡易的な浴室が備え付けてありますので、よろしければお使いください。すぐお着替えもお持ちいたします。お食事の用意が済み次第お声がけに参りますね。何かお好みのものや、逆に苦手なものなどございますか?」

「いえ、特には……」


 モニカは微苦笑し、首を横に振った。初めて訪れる場所で図々しく好物は答えられない。


(いきなりお風呂を勧められるくらい汚いかな)


 クロエが階下に降りたのを確認してから、モニカは自分の服を見た。スカートの裾が土で薄汚れ、あちこちに動物――マハの黒い毛がついている。


(……うん。結構汚いわ)


 気恥ずかしさで頬が熱を持つのを感じ、モニカは目蓋を伏せた。


「じゃあまた、あとで」


 よそよそしく言うと、マハは向かいの部屋に入ってしまった。

 街に着いたあたりから、急にマハの口数が減っていた。神の言葉と称して、サイフォスがあれこれ喋り続けていたせいもある。


「マハ!」


 扉が閉まりきる直前、モニカは名前を呼んでいた。どうして引きとめたのか、自分でもよくわからない。


「ん、どうかした?」

「ええと、なんだか元気がないように見えたので」


 モニカは自分の髪をいじりながら、どうにか言葉をひねり出した。具体的な理由があってしたことではないため、うまく言語化できない。


「あー、ああ。勢いで変なこと言っちゃったなと思って」


 マハは前髪を掻きあげ、口元を歪めた。


「変なこと?」

「モニカを国に連れて帰るって」


 がしがしと髪をかき乱すマハの頬に赤みが差す。


 腰にまわされた腕の感触と、肩に乗せられた頭の重さを思い出し、モニカの顔の温度が一気に上がる。


「あはは、大丈夫ですよ。あれは様子のおかしいサイフォスさんから引き離すためにやってくれたことですよね」


 モニカはせわしなく手をぱたぱたと振った。


「今でも連れて帰りたいと思ってる」


 マハの大きな手によって、モニカの手が包むように握りこまれる。


「伝わらないと思うけど、俺には世界がひっくり返るくらいすごいことだったんだ。痛みを感じることが、他人と触れ合う感覚が、どれだけ大事か思い出した」

「……た、たまたま私の治療術におかしな副作用があって、マハが人間だと知らずにモフっただけですよ……?」


 まっすぐに見つめてくる金の瞳に耐えきれず、モニカは顔を背けた。


 狼だった時は深く考えることもなく見つめ返せたのに。見た目が人間になったというだけで、こんなにも意識してしまうものなのだろうか。


(こ、こういう時はどうすればいいの? 聖女的微笑(アルカイックスマイル)でなんとなくお茶を濁す? それとも、気を持たせるために手を握り返しちゃう? でも本気にされたら申し訳ないし……いやいや、マハを利用するつもりなら、それこそ好きになってもらったほうが――)


 モニカの頭の中で様々な思惑が入り乱れる。


(……本当に利用しちゃっていいのかな)


 ふと、胸の奥に質量のある違和感が沈んだ。石を投げ込まれた水面のように、心がざわざわと波立つ。


 聖女だった時は、援助や寄進をしてもらうために貴族や商人に散々媚びてきた。今もそのことに対して罪悪感はない。むこうもモニカに見返りを――「聖女の加護と威光」を期待していた。


 彼らとマハとで、何が違うのだろう。

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