2-1 東国の王子vs異端審問官
(これじゃ実質極刑じゃない!)
モニカは心の中で悲鳴をあげつつ、表面上は銀髪の異端審問官――サイフォスに微笑み返した。
(この人絶対媚びたりが効かないタイプだ。わかる。目が笑ってないどころか死んでるもん!)
モニカは泣きたくなってきた。サイフォスと目を合わせているだけで冷や汗が出てくる。目を逸らそうにも、視線を外した瞬間に刺されそうで恐ろしい。
「モニカ!」
どこからか名前を呼ぶ声のおかげで、先にサイフォスの視線が外れた。
モニカがほっと息をついたのも束の間、突然、腹部に強い圧迫感を覚えた。身体が地面から浮く。サイフォスの姿があっという間に遠ざかる。
「なんかあいつ物騒なもの持ってるけど、知り合い?」
小脇に抱えて運ばれたのだとわかったのは、そう尋ねられた後だった。たくましい腕がモニカの腰のあたりにしっかりとまわされている。
「さ、先に確認しておきたいのですが、あなたは昨日で会った黒狼のマハ、なんですか」
モニカは小さく手を上げ、自分を抱えている青年を見上げる。
さすがに今度は全裸ではなかった。
が、モニカはとっさに顔を背けた。
(なんでそんなお腹出してるの!?)
青年は、黒のトップスの上に赤色の上着を羽織っていた。そのトップスの丈が妙に短く、鍛え上げられた腹筋が丸見えになってしまっている。
いったいいつどこで調達したのか、それらの服は聖王国製のものとは素材や仕立て、デザインなどが異なっていた。
温暖な期間が短く、冬の長い聖王国では、肌を大胆に露出するような服装はあまりしない。男性ならなおさらだ。
「その男はマハヴィル・クー・エル・トゥグア。火の神を主と崇める東の隣国、エルヌールの第三王位継承者です」
モニカの疑問に答えたのはサイフォスだった。短剣の切っ先で青年を指し示す。
「違う。俺は三男だが第四位だ」
マハは面倒臭そうに髪を掻きあげた。
「それは失礼いたしました。ですがどちらにせよ、無断かつ不法に我が国に入り込んだ異端の徒に変わりありません」
サイフォスの瞳が刃物よりも冷たく剣呑に光る。
「彼女を放していただきましょうか。聖女を巻き込むのは本意ではない」
(……異端って私のことじゃないんだ)
モニカの口から安堵のため息が漏れる。
だが完全に安心できたわけではない。
サイフォスの目的はマハの粛正。異端審問官の言う「粛正」は「処分」と同義だ。
「色々ちゃんと説明したいけど、ごめん」
モニカの身体を丁寧に降ろし、マハはサイフォスと向き合った。
「神はこう仰っておられます。『いい歳した野郎が腹を出してケモ耳ケモ尻尾をつけてるなんて恥ずかしい』と」
サイフォスはふっと鼻で笑う。
「どこの神がそんな俗物的なこと言ってんだよ! 全部ただのお前の意見だろ! あと耳と尻尾は好きで生やしてるわけじゃないから!」
マハの頭頂部に生えている狼耳が前のめりに倒れ、尻尾が天に向かって逆立つ。それとほぼ同時に、赤みを帯びた陽炎がマハの全身を覆った。
「おや我が神を愚弄するのですか。これだから異端は」
「さっきからお前が個人的に難癖付けてるだけだろ!」
「神の尊き言葉に耳を貸さない愚か者に制裁を」
予備動作なく、サイフォスが一気に距離を詰めた。マハの首めがけて、逆手に握った短剣を横薙ぎに振るう。
「聖職者がそんな物騒なもん振りまわすなよ!」
マハは上体を反らして短剣をかわし、バク転の要領で後退しつつサイフォスの手元を蹴りあげる。足の動きに合わせ、炎が半円の軌跡を描いた。
サイフォスは後方に飛んで避けるが、炎によって袖口と手袋が焼け、皮膚が炙られる。
「異端審問官は神の剣です。剣としての名を賜り、剣をもって神の敵を誅する」
サイフォスは両手の短剣をベルトに付いた鞘に納め、腕を軽く揺らした。いくつものきらめく細長い何かが袖口から滑り落ちる。それらを指の間ではさみ、すくい上げるようにして投擲した。
マハは顔をかばうように腕を出す。痛覚がないゆえか、投げつけられた物が突き刺さってもいっさい動じる様子がない。
「なんだこれ? 針? 釘?」
ガードした腕には、銀色の釘状の何かが服を貫通して刺さっていた。
「神罰を下す目印です」
サイフォスは目を細める。
薄い唇が艶めかしく動き、聞き取れない言語を紡ぐ。
直後、マハに向かって空から紫に明滅する雷が落ちた。
「はぁ!?」
マハは驚愕の声を上げつつ、飛びのいて紫の雷をかわす。避けた先にも紫の雷が落ち、マハは止まることを許されない。
(あれって禁術に見えるんですけど……!)
二人の攻防を見守っていたモニカは頭を抱える。
サイフォスが使用しているのはあきらかに禁術――しかも「冥術」と呼ばれ、その術に関する記述のある文書の所持すら罪に問われる禁忌中の禁忌だ。
精神を犠牲にして四大元素すべてを操る禁術で、発現時には紫の明滅する光を伴う。
(今見たことを元にあのサイフォスって人を脅して――いやいや、なんか頭やばそうだし実力行使されたら死ねる。仮にマハがあの人のことをどうにかしてくれたとしても、異端として追われてる人と一緒に行動するのは得策じゃない。ここで一人で逃げたとして、私の足じゃ遠からず捕まるだろうし……)
どうするのが自分にとって最善なのか、モニカは全力で思考を稼働させる。
(泣き落とし……は効かなそう。それでどうにかなるなら、そもそも私追放されてないし。っていうかあいつが上に雑な報告したせいでこんな目に遭ってるのよね、多分。私も根回しがたりなかったけどさ。そんなことしてる暇もなく刑が確定しちゃったし)
その結果、
(……なんか腹立ってきた。私の人生、いつも誰かに決められてばっかり)
頭の中で何かが焼き切れる音がした。
悩むのも面倒くさい。
(マハには申し訳ないけれど、ちょうどいい機会だからちょっと試してみたいのよね。もしこれが上手くいけば、変調を治すまでの手札になる)
モニカは手をぐっと握りこみ、立ち上がった。スカートの裾を持ちあげ、ずかずかと大股で二人のところに近付く。
「モニカ危ないって!」
「お下がりください、聖女」
異変に気付いたマハとサイフォスは、さすがに戦いを止める。
「お二人とも、争いは何も生みません。怪我はすべて私が治しますので、ここはひとつ、先の交戦は水に流し、平和的にお話し合いでもしませんか?」
モニカは慈愛に満ちた笑顔の仮面を被り、マハとサイフォスの手を取った。淡いオレンジ色を帯びた治癒の光を両手に灯す。
「あ」
「はい?」
心当たりに顔を引きつらせるマハと、ただ訝しむサイフォス。
次の瞬間、異なる二人の男性の絶叫が森の木々を震わせた。