【第一章】生まれてから、〈episode 1〉
俺の家庭は、普通ではなかった。
兄と母の間で、包丁が飛び交うような。
いつ、誰が死んでもおかしくないような。
そんな家庭だった。
家は貧しかった。
兄は高校の受験期にも関わらず、全く勉強をしなかった。母が親戚に頭を下げてお金を借りて、塾のお金を払っていたというのに、逃げ出すと言う始末だ。
だが、やはり手が掛かる方が可愛いと言うことなのか。母は俺に構うことはなく、俺よりも兄を贔屓していた。
それでも、
「──こんな息子なんて殺してやる」
「──殺してみろよ」
そんな二人の声が響くことなんて、日常茶飯事とも言えた。
俺の居場所は家になく、ずっと、部屋の鍵を閉め、部屋に引き篭もっていた。
俺ができることなんて、高が知れているのだから。
「──ふ、二人とも、喧嘩は良くないよ……」
そう、力なく宥めるだけ。でも二人は、
「お前とは話していない」
との一点張り。
だから、部屋に引き篭もる。
何の音にも邪魔されないように。
疲れた脳を休ませるために。
──傷口に、絆創膏を貼るように。
イヤホンを耳につけて、自分の世界に入り込んだ。
全てを忘れたかった。
全てを無かったことにしたかった。
逃げ出してしまいたかった。
この、間違った家庭から。
この、間違った身体から。
こんな間違いだらけの世界から。
……両親は兄の方につきっきりで。
俺に居場所はないから、身体のことなんて言えるわけがなかった。
むしろ、誰にも迷惑が掛からぬよう、極力、女子らしく、女性らしく過ごしていた。
正直に言えば辛いことしかない。
家族のことも。
性別のことも。
それが言えないようなこの社会も。
全てが辛い。
でも、きっとこれは、我慢するしかない。
仕方がないんだと、自分に言い聞かせて。
耐えて、耐えて。
嗚呼──でも。
なんで? と。
そんな疑問が湧いてきてしまう。
なんで、自分だけなのか。
自分の身体に違和感を覚え。
自分の身体に嫌悪感を覚え。
どうして、自分の身体を見る度に気分を悪くしなければならないのか、と。
……もう、嫌だよ……。
"普通"に生まれて、"普通"に生きたかった。
でも、それは叶わない。
明日も生きたくなくなる。
早く居なくなりたい。
人生を、やり直してしまいたい。
次は、きっと、正解の世界へ。
そう願っても。
どんなに、そう願ったとしても。
現実は何も変わらない。
「──ああ……」
この世界へ、絶望の音を吐いた。一粒の滴と共に。




