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8 私を11年も待っててくれた人? ぬいぐるみ?



「お母様」


 ぽつりと小さく呟く。ルチアナに母がいるという事実がじわりじわりと染み渡り、胸が熱くなる。


「今はどこにいるの? 私、お母様に会いたいわ」


 前屈みになってぬいぐるみに尋ねる。


「お前がここを出て行ってからイアンナも帰ってきてない、だから今あいつがどこにいるのかもわからない」

「……そうなのね」


 ルチアナは目を伏せる。


(11年間消息がわからないなんて……)


「だが、向かった場所ならわかる」

「え」

「魔法国家ローライナ」


 魔法国家ローライナは、この大森林を挟んだ隣国である。魔法に優れて発展しており、魔法士の数もスタニチア王国とは比べ物にならないくらい多い。


「でも、ローライナは11年前にはもうスタニチアとの国交はなかったはずよ」


 かつてローライナがスタニチアと国交があった時代は、魔法具や魔法士が流入してきていた。しかし、ローライナで内政が変わってから段々と国交を狭めていき、11年前には完全に国交は途絶えた。それからは所謂鎖国状態となっており、近年のローライナの内情はまったく分からない。

 また、それまでスタニチア王国は魔法関連の開発や研究を完全にローライナからの人材に頼っていたため、今魔法士の人材不足に困っている。魔法のノウハウや教育制度が整っていないのも理由のひとつだ。


「それにしても、どうしてお母様はローライナに向かったの?」

「お前の親父を助けるためとかなんとか言ってたな」

「お父様!? 私にはお父様もいるの?」

「そりゃいるだろ」


 呆れたようにぬいぐるみは言う。

 血の繋がった家族の記憶が皆無だったルチアナは、母に続き父までも存在していることに喜びを隠せない。


「……ということは、お父様はローライナの人間なの?」

「ああ、会ったこともねえし名前も知らねえけどな。ちなみにイアンナもローライナの人間だ」


 ルチアナは魔法国家ローライナの人間だった。はからずも己のルーツを知ることができた。両親は魔法国家ローライナにいるかもしれない。父と母に会える希望を得て、ルチアナは段々と元気になってくるのを感じる。


(お母様が無事にローライナに着けたのか、お父様と会えたのか、今どう過ごしているのか、……生死は分からないってことね)


 まだまだ聞きたいことはあるし、これからどうするのか決めなければならない。でも、その前に何より聞きたかったことがまだ聞けていない。


「ねぇ、あなたのーー」

「これ以上話す前にルチアナ、一回着替えろ。血で汚れてるし、寒いだろ。そこにイアンナの服があるから」

「あ、うん」


 話を遮られ、ルチアナはまたもや聞けなかった。


 ぬいぐるみは小さなクローゼットから勝手知ったる様子で服を取り出す。選んだものは質素なワンピースで、それをルチアナに着替えるように促す。


「そこにいるから着替え終わったら声掛けろ」

「わかったわ」


 自然にぬいぐるみは外に出て、ルチアナが着替え終わるまで待っててくれるようだ。ほんのすぐさっきまで一緒だったのに、あのカエルのぬいぐるみの可愛らしい声が聞こえなくなると、急に寂しくなってしまう。


(言葉は乱暴だけど、優しいわ)


 怪我を心配して治してくれたり、服に気付いてくれたり。出会って間もないが、ぬいぐるみは気遣いができて優しいことがなんとなくだがわかる。そして、何より、


(11年間も、私を待っていてくれた人がいた……人? 人っていうかぬいぐるみだけど)


 ルチアナはひとりぼっちじゃなかった。


 この事実が、あったかくて、どれだけ前を向く力をくれているのだろうか。崖から落ちて、未来が真っ暗だったあの時の気持ちがもう思い出せないくらいには強い何かを与えてくれていることは確かだ。ルチアナを待って迎えてくれる人がいる、そのことに気付けただけでも、ここまでボロボロになった甲斐があったというものだ。


 ルチアナの母のものだというワンピースに袖を通す。ふわりと、懐かしい匂いに包まれてる。すんすん、と手首部分を服に引っ込め匂いをもっと嗅ぐ。やはり深く匂いを吸い込んでも母の姿は思い出せない、分からない。

 しかし、確かにこの部屋の匂いとも違う、懐かしいと感じる匂い。それだけで、母が存在していて、ここで一緒に暮らしていて、体は母を覚えているということがわかる。母の顔も、声も、思い出せなくても、今は匂いだけで。


「充分だわ」


 ルチアナは、ふわりと微笑んだ。






 着替え終わったので外にいるぬいぐるみに声をかけようと扉を開けた時、扉近くの壁に貼ってある何枚もの落書きが目に入った。


 どれも拙い絵で、おそらく母とルチアナ、そして赤い何かーーカエルのぬいぐるみを描きたかったのだろうーーが全てに描かれている。絵の端には、読めるには読めるが、なかなかに汚い字で『ルチアナ』と記されてた。


 少なくともこの絵は描かれてから11年は経っているはず。それにも関わらず、やはり家と同じように紙もまったく劣化していない。


(やっぱり、これはーー)



 扉の近くで、ぬいぐるみは宙に浮いて待っていた。


「着替えたか」

「うん、ありがとう」


 じーっと分かりずらいが、ぬいぐるみに見られていることに気付く。


「や、やっぱり、どこか変かしら? ちょっと私には大きいような……」

「いや、確かにイアンナより背が低いから少しお前にはでけえが、」


 ぬいぐるみは、軽くルチアナの周りをくるくると周った。すると、ルチアナの着ている服から緑の光が出て、長かった裾や丈がルチアナのサイズに直された。


「わ! すごい」

「変じゃねえよ、ちゃんと似合ってる。これでもう転けずに済むな」


 ぬいぐるみは、魔法で服の大きさのルチアナに調整してくれたのだ。


「あなた、やっぱりすごい! 家だけじゃなくて、服もーー」

「! 静かに!」


 何かを気付いたようで、ぬいぐるみはルチアナの口を塞ぐ。


「もがもが」


 最初何が何だか分からなかったがしばらくすると、ガヤガヤと大人数で近づいてくる音が聞こえてくる。



「ほら! ここに家があるんすよ!」

「本当だ。俺は随分ここらに居着いてるが、こんなところに家なんてなかったはずだ」

「とにかくなんかあるかもしれないから、さっさと物色するぞ」


 それは、ルチアナを追いかけていたゴロツキたちの集団。

 それももっと悪いことに、ルチアナが最初に見かけた時より人数が増えていた。



 

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