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6 ぬいぐるみが喋った


 突然目の前に現れた家に、恐れや奇妙さは全く感じない。

 むしろ、これしか求めていなかったという納得感がある。何となくしか覚えていなかったにも関わらず、ルチアナの探していた小家はこれで間違いないと思えてくる。



「……本当にあったんだ」



 自分の妄想なんかではなく、本当に小屋があったことに嬉しくなり、今までの暗い鬱々としたものが一気に晴れていくのを感じる。


 ふらつきながらも、ルチアナはなんとか立ち上がる。


 まだまだ体中が痛いし足は不自由で、先ほどから体の状態は何一つ変わっていないのに、意識が前へ前へと小屋の方に向かう。


 少しずつ少しずつ足を引きずり、歩を進めていく。


 近づいていくたびに、人の気配はないわりに小屋は不自然なほど綺麗なことに気付く。

 

 ルチアナが去ってから、十年ほど経っているはずだから汚れていたり壊れているのが当然だ。


 しかし、小屋は記憶のまま変化がないようなのだ。


(おかしいわね? 誰かが住んでるのかしら。それにしてはあまりに静かだわ)


 小屋の小さな窓から中を伺うが、真っ暗で、やはり中には誰もいないのだろう。


 ルチアナは、扉のとってを掴んで押したり引いたりしてみる。

 

(びくともしない……)


 扉には鍵穴らしきものもない。どのように開けるのか全く分からない。


(こんなに綺麗なままなのに、それを私が蹴破って壊すのはさすがにしたくないわ。小さい時はどうやって開閉してたのかしら)


「うーん」


 小屋の周りを一周したり、近くに置いてある植木鉢をどかしてみるが、鍵やヒントになるようなものが隠されてあったりらしなかった。


 小屋は簡単な作りで、本当に小さなものなのだった。しかし、周りには小さな畑があり、桶には雨水が溜まっている。確かにこれなら、人間は生活できるだろう。


 そして、不思議なことに畑も雑草はなく手入れがされており、雨水も綺麗なものだった。


(これは確実に誰かが管理していないとおかしい。でも、誰が? 家が突然現れたこともそうだし、もしかして誘導されてたりするのかしら?)


 ルチアナは眉を顰める。

 注意深く周りに注意を払うが、人の気配が全くない。


「はぁ、もういっか」


 疲労もあり、これ以上気を張るのも馬鹿らしい、と玄関の前に腰掛け空を見上げる。


 大きなまん丸の月が夜に煌々と輝いていた。今日は雲ひとつない快晴で、たくさんの星も見える。


 だからこそ、いくら慣れない森の中でもなんとかここまで辿り着けたのだ。


「今日が満月でよかった……」


(昔もここで夜空を見上げていたような気がする。こんなふうに、ここで座って、誰かが帰ってくるのを、ずっと待ってて、それからーーーー)


 ルチアナは座ったまま、扉の方を振り向き、じぃと見つめる。


「ただいま」


 当然、返事もなければ何も起こらない。


 しかし、ルチアナには今度こそ扉を開けられるという謎の自信があった。 


 扉を押す。開かない。


(なら、)


 今度は手前に引いてみると、やはり扉は動いた。キィと控えめな音をたてながら開いていく。


 小屋に入ると、懐かしい匂いで胸がいっぱいになる。


「あ」


 そこは、正真正銘あの頃のままだった。記憶なんてない。しかし、そこは絶対にあの頃の温度、空気、匂いを保ったまま、家具や小物、落書きが貼られた壁に至るまで変化はなく、塵一つ落ちていなかった。


(誰かが管理してることは間違いないわ。でも、これは、あまりに、)


 ルチアナは、もしかしたらこの家もゴロツキの縄張りの一つにされてしまっているんじゃないか、誰かがここで生活し潜伏してるんじゃないかという疑いもあった。


 しかし、この部屋の状態がルチアナの疑いを吹き飛ばす。


 悪意なんてあるはずがない、この空間が何よりもそのことを如実に表していた。


 何者かがここを管理している。そして、守ってくれていた。それをルチアナは確信してしまうほどに、この部屋はその誰かの思いやりに溢れていた。


「ちっ」


 感動していたルチアナは、一気に意識を現実に戻し、警戒心をあらわにする。耳を澄ませて、左右を注意深く見回す。


(今、誰かが舌打ちを)




「ったく……おっせーんだよ! ルチアナぁぁぁぁぁぁ!」



 よく聞こうと耳をそばだてていたルチアナの鼓膜をビリビリとさせるほどの大声が近くから響く。とっさに耳を両手で塞いでしまう。



「え」

(男の子の声? それもこんな近くから?)


 キョロキョロと周りを見回すルチアナに、さらに苛立ったように、本来可愛らしいはずである少年の声が、これでもかとドスを効かせて怒りを伝えてくる。


「てめぇ、俺をどんだけ待たせる気だよ! すぐ帰るって言っておいて、11年だぞ! 11年! つーかさっきからどこ向いてんだ!」


 本当に声がどこから聞こえてきているのか訳がわからなくてルチアナはクラクラしてくる。確かに小屋の中に入った時人の気配はなかったはずだし、気配を消してやり過ごそうとしたりルチアナに危害を加えようとしていたのなら、ますます理解ができない。そんなことをルチアナが考えながらキョロキョロしてるが、声の主は見当たらないし、何かギャーギャー怒っている。


「だーかーらー、いい加減顔こっち向けろや!」


 何かが、ルチアナの目の前にすばやく飛び出してくる。

 咄嗟に身構えるが、身構えたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、それはあまりにも小さく、おかしな状況だった。


「久しぶりの再会に挨拶もなく、顔も見せてくれねえなんて悲しいぜ、ルチアナ?」


 悲しいなんて言いながら、全くそう思ってなさそうなルチアナを挑発する声で、口角を上げながら、喋った。




 小さくて、赤い、カエルの、ぬいぐるみが。




 そのことをルチアナの頭が理解するのに10秒ほど時間を用し、そして叫ぶ。


「ぬいぐるみが喋ったぁぁぁぁ!!」


 

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