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AMF - ACD財団極東支部 対バケモノ特務部隊  作者: 惰犬
1 - 新たな世界と新たな秩序
2/6

1.1 - 作戦開始

新たな世界は非情である。

新たな認識は困難である。

新たな現実は想像不可能である。

 空は雲一つとない快晴が広がり、風は優しく吹いているがまだ少し肌寒さを覚える。旧部 朱璃(ふるべ あかり)は肩まで伸びた茶色の髪を持ち、大きく開いた栗色の瞳は彼女の良い特徴だろう。服装は非常にカジュアルで、少し薄着にも見える。大きなロゴの入ったTシャツの上に紺色の薄いジャケットを羽織り、下は白いズボンをはいている。傍から見ればオシャレなのかもしれないが、旧部としてはあまり好みのコーディネイトではなかった。実はこれらの殆どがつい先日迎えた二十五度目の誕生日に貰った友人達からの贈り物である。彼女は大きな施設前のベンチに座り、小さな本を読みながら迎えを待っている。彼女のそばには大きなキャリーバッグといくつか紙袋がおかれている。

 旧部が読んでいる小さな本は、現在この世界で非常に評価されているアニメーション作品の原作である。ジャンルはミステリーだがアクションもあるシリアス系のファンタジーらしい。旧部はこの物語のアニメーション作品の方は何度か見ていた。だが、あまり興味を持つ内容ではなく、ありふれた作品という感想を持っていた。

 旧部が普遍的だと感じるのも無理は無いだろう。この作品には、大厄災という人類存亡の危機を乗り越えた直後の世界。という設定が根底にあるようだ。この大厄災という設定は、ここ数百年もの間ジャンルを問わずよく扱われる設定であり、今や王道にも等しい。

 大厄災とは、この世界で生きる者達ならば必ず耳にしたことがある人類一存続の危ぶまれた一大イベントである。全世界で同時多発的に発生した大地震は大陸を割り、大陸の原型を無くすほどの隆起と沈降を引き起こした。荒れた地面は陸地や海底関係なしにマグマだまりはあふれ出し、山のように大きな津波が何度も押し寄せ、地上どころか大陸自体を破壊する。正に天災地変を体現した出来事である。

 しかし、現在において大厄災は一般教養レベルのお話にしか語られることは無い。大厄災について見られるのは歴史の教科書や教育番組程度だろう。他にあるとすれば、創作物における前提の設定や世界観に用いられるか、信心深い宗教家の持つ怪しい本ぐらいだろう。今を生きる者がこれほどまでに関心を失ってしまった理由は幾つかあるものの、一番の理由としては、大厄災が数百年も昔の出来事であるからだろう。更に、研究結果として今後数千年の間は同規模の災厄は起きないともされている。大衆の関心が神話や口承伝説程度にまで下がるのは自然なことなのかもしれない。

 旧部は、静かに本を読み続けている。しかし、あまりページの進みはよくない様だ。旧部は新聞や専門誌などは好んで読むのだが、小説やライトノベルなどは苦手だった。この本は以前友人に啓蒙活動された際、強制的に渡されたもので、棚の隅にあったのを偶々持ち出していたのだ。だが、今の彼女はどこか上の空。といった印象を受ける。

 そんな彼女は本日より、二年と半年に及ぶ実習研修を終えてACD財団へ正式に迎えられることになった。ACD財団は大厄災以前より唯一現存する世界人類保護機構、通称WHPOと呼ばれている世界機構の管轄下にある。ACD財団の主な目的は治安維持であるが、治安維持に繋がるインフラの整備や要人保護など、様々な分野にも対応している。

 そして、ACD財団は国の実質的な管轄も行っている。ここ、極東地域は大厄災により生まれた新たな大陸の最東端に位置し、大厄災以前に存在した島国の生き残りが主に集まってできた地域である。まだ国としては認められていないものの主要な諸外国に負けず劣らずの活気を持っている。口惜しい事があるとすれば、島国の文化の再現はある程度出来ているものの、その心は表面的であるという事だろう。

 冷ややかな風が一人寂しく迎えを待つ旧部の頬を撫でる。本来であれば、二年と半年を過ごした学び舎であるこの研修施設前の大きなグラウンドには、多数の部署へ向かうバスがあった。そして旧部の隣には苦楽を共にした友人を含めた三十人近くの同期の面々がおり、共に配属場所へ移動するはずだった。だが旧部の配属部署が諸事情により一時的に受け入れ不可となったので、一人だけ二日遅れとなってしまった。その弊害としてほとんどの荷物を配属部署へと送ってしまったため、貴重品以外の日用品の大半が手元になかった。

「はぁ……」

 旧部は大きくため息をついた。向こうにも都合がある手前、あまり強くは言えないが不満や不安は旧部の中で重さを増していた。三十人近くいた同期の中で彼女だけ、という事実はいらぬ想像を掻き立てる。ただ、それだけならばまだ旧部も前向きに考え、偶々運が悪かっただけ。と思い直すことが出来ていた。旧部の心に影を落とす事となったのは今朝のニュースだった。

 今朝のニュースでACD財団の関係者が何者かによって拉致され、凄惨な遺体として発見される。という事件が公にされた。更に、このACD財団の関係者というのが旧部の様に、新たに財団に受け入れられた者だったらしい。大勢と共に配属場所までバスで移動していた際、バスごと襲われ、被害者だけが攫われたのだという。この犯行は非常に計画的で、組織的なものだと示唆されてはいるものの、犯人と思しき者は既に捕らえているらしい。ただ、以降の情報は無く、詳細はいまだ不明とのこと。この事件の発生が今から一週間前。犠牲者の発見は三日前。犯人逮捕は昨日の出来事だという。

 きっと、この状況下であれば、誰しも嫌な想像が頭をめぐる事となるだろう。世間の一大ニュースに自身と条件の合う被害者。事件と自身の予定延期の嫌な重なり。情報不足と言えど、もし、という確証のない想像が自身を無理やり結び付けて縛り上げてくるのだ。「分からない」というスパイスは時には理性を消し飛ばしてしまう。そうでなくとも、無知であるからこそ人は恐怖という感情を抱き、時に理解しようと自身を危険にさらしてしまう。ダメだと思い、他の物事に意識を向けようとしても、恐怖が身近にある状況下では上手くいく訳が無いだろう。

 旧部は本にしおりを挟んで閉じると左腕を持ち上げ腕時計を確認する。針は8時32分を指していた。配属部署から迎えが来る予定時刻は9時。まだ時間があることに旧部は本日n度目となる大きなため息をついた。

 うなだれ、ぼんやりと足元を眺める旧部。そんな彼女の背後から、一人の男性が静かに近寄ってきた。男性はぼんやりと足元を見つめる旧部の背後で止まると、腰を曲げて横から旧部の様子を眺める。しかし見事に旧部は気付いていない。少しづつ男性の表情が緩んでゆく。

「……ん?」

 違和感を感じた旧部が顔を横に向けるとそこには男性の顔があった。およそ0.84秒の間を開けて旧部は情けない声を上げベンチから飛び退いた。まるで猫さながらの飛び上がり方に男性は心底楽しそうに笑った。

「いやーごめんごめん! つい魔が差しちゃってさ!」

「もう! ホントにびっくりしたんですから!」

 親し気な雰囲気を見せるこの男性は荒樹 叶斗(あらき かなと)という。荒樹はオールバックの黒い長髪が特徴的な男性で、全体的に細身ながら高身長なので良く目立つ。彼は旧部が研修生時代から教育担当としてお世話になっていた正規のACD財団職員だ。財団職員に支給される制服であるズボンとジャケットを羽織っている。

「お詫びと言っちゃぁなんだけど……さぁ、どっち?!」

 荒樹はそういうと後ろに隠していた2つの缶コーヒーを旧部の目の前に出した。2つともカフェオレの様だが、メーカーが違う様で柄は違う。一方は凝ったデザインをしているが、一方は少し古めかしいデザインをしている。どうやら旧部は見た瞬間、どちらにするか決まった様だ。

「じゃ、こっちで」

「アッハハ! やっぱり君はこっちだよね」

 旧部が選んだのは少し古めかしいデザインの方だった。荒樹も始めから分かっていたという感じで旧部の選んだカフェラテを手渡す。受け取った旧部には自然に表情が柔らかくなる。

「相変わらず好きだよね。それ」

「小さい頃からよく飲んでましたから……なんか安心するんですよね」

 旧部は研修施設内での生活中もこのカフェラテをよく飲んでいた。他のカフェラテと比べるとかなり甘い方なのだが、幼い頃から飲み続けているなじみ深い味に少し笑みがこぼれた。

 二人はそのまま他愛のない会話を続けた。荒樹は、研修中は厳しいもののそれ以外の時間を良き友人の様に振る舞ってくれた。時には親身な相談役、共におふざけをしたこともあった。二日受け入れが遅れた際も、親身になって色々と動いてくれた。旧部にとって荒樹は信頼できる者の一人だった。

「っと、そろそろ時間は……お、いい感じかな?」

 荒樹が携帯端末を取り出し時刻を確認する。旧部も自身の腕時計を確認すると、針は8時54分を指していた。

「さて、それじゃ僕は仕事に戻ろうかな」

 荒樹は立ち上がると缶を勢いよく傾け飲み干した。そして旧部へ身体を向けると真っすぐな瞳で彼女の目を見つめる。

「何とは言わないけど、今回の様にこれからも不安っていうのは沢山経験する事になると思う。君は真面目ちゃんだからきっと一人で解決しようとするだろう。だけど、そんな時こそ自分の為に誰かを頼って」

 聞き入る旧部を横目に荒樹はジャケットの内ポケットから一枚の紙を取り出した。

「はい。これ僕の名刺ね。何かあったらこの名刺に書いてる連絡先にかけてきて。いつでも相談に乗るよ」

 荒樹は先ほどと打って変わり、いつもの笑顔を浮かべながら旧部に名刺を手渡した。名刺といった通り、荒樹の名前や住所、連絡先と連絡可能時間などの諸情報が書かれていた。

「それじゃ、頑張ってね! 応援してるよ!」

 荒樹は「じゃ!」と短く手を上げるとそのまま背を向けて歩き始めた。

「あ、ありがとうございました!」

 旧部は急いで立ち上がり、後姿の荒樹へ頭を下げる。声は無事届いたようで、こちらに振り向きながら満面の笑みで手を振ってくれた。荒樹が建物に隠れるまでその後姿を見送ると、旧部はまたベンチに腰掛けて迎えを待った。

 数分後、車高の高い車がグラウンドへ入ってきた。車は旧部の座るベンチ付近まで近づくと停車した。運転席から男性が降りる。続けて助手席からは真っ白の長い髪を持つ少女が現れた。男性と少女は旧部を見つけるとゆっくりと旧部に近づいてくる。

 男性は黒の短髪をしており、赤い目は印象的だ。荒樹同様、財団職員の制服を着ている事から、迎えの人で間違いはなさそうだ。

 男性と共に来た少女は背格好から推測するに高校生ぐらいだろうか。遠目でも分かる程彼女はかわいらしい顔をしており、目を引く金色に見える大きな瞳は角度によっては輝くように見える。少女は柔らかい表情を浮かべているが何処か大人びているような、不思議な感じを受ける。ただ、少女が人では無い事は一目瞭然だった。頭部にはピンと立った毛量の多い耳。背後で揺れる同じく毛量が多く長い尾。どちらも少女の髪同様に真っ白で、特徴としては狐や狼といったところだろうか。彼女の細かな動きに合わせる様に動いている。

「予定時刻より遅れて申し訳ない。念のため確認させてもらうが、お前が旧部朱璃で間違いないか?」

「は、はい。私が旧部朱璃です」

 少女に見惚れる旧部の前にやってきた男性は、少し細めた目で旧部を真っすぐに見つめる。威圧感は決してないのだが、どことなく気を抜く事が憚れるような、奇妙な感覚が旧部を襲った。少女に目が行き見えていなかったが、男性の赤い瞳は澄んでいながらとても鋭く感じる。そして服の上からでも体格の良さは、旧部からすればまるで熊のように見えるかもしれない。ただ、この男性の目線は旧部の顔ではなく、顔より少し下を向いている様だ。

「――コホン」

 男性の様子を見かねた少女が咳払いをした。おかげで旧部と男性の間に流れていた奇妙な間が消えた。

「あー、すまない。ここ数日碌に休めていないのでな。まぁそういう事にしといてくれ」

「良かったね。気付かれてなくて」

 男性の苦しい言い訳に少女は少し呆れたように表情を少し崩した。繰り返すが、旧部は気付いていない。黒瓦谷は改まったように咳ばらいをすると、自己紹介を始めた。

「俺は黒瓦谷 勤慈(こくがやきんじ)。お前さんについては既に書類なり届いて確認できている。形式上お前さんの上司になるが、敬称やら諸々の気遣いは不要だ」

 黒瓦谷と名乗った男性に続き、少女も自己紹介を始めた。

「ボクの名前は子月 護留(ねつき まもる)。見ての通りのPositiveだよ。今回は護衛もかねて一緒に来てるんだ。何か起きてもボクが何とかするから安心してね」

 子月と名乗った少女は、始めに受けた印象とは変わって無邪気な笑みを旧部に向けている。旧部は、彼女の言動がいまいち一致しない事に不思議な印象を受けていた。あまり顔に出さない様に、と意識はしている様だが、少し困惑の色が見える。

 子月が口にしたPositiveとは、この世界で猛威をふるい続ける、ゲノビリタと呼称されるウイルスに感染した者の事を指す。ゲノビリタは、発見からおよそ150年以上がたった現在でもその殆どが謎に包まれている。ハッキリと分かっているのは、ゲノビリタと呼ばれるウイルスが発見されている事と、ゲノビリタに感染した者は身体の原型が分からなくなるような変異を引き起こす。という事だけである。

 現在はゲノビリタに対抗する事の出来る唯一無二の薬がある。俗に安定剤と呼ばれているこの薬は、摂取する事により、ゲノビリタによって引き起こされるあらゆる影響を最小限に抑えることが出来る。安定剤は、その俗称の通り、感染自体を予防する事は出来ない。だが、Positive達の延命の手段としてはまさに生きる希望そのものであり、安定剤の登場はPositive達を絶望の渦から解放したのだ。そしてPositive達は現在、社会を構成するに実に多様かつ重要な位置づけを担っている。

「まぁ色々と気になる事はあるだろう。だがまずは目標であるお前さんの送迎が先だ。こちらにもいろいろと事情があるのでな、基地についたらしっかり説明させてもらう。なので今は我慢してくれるとありがたい」

 黒瓦谷の釘は旧部に刺さった。実際、旧部にはいくもの疑問が浮かんでいた。

 1つ目は、これからどこへ行くのかという点。実のところ、旧部を始め同期の面々も配属先は知らなかった。二年と半年に及ぶ実習研修は適性検査も兼ねており、それぞれの適性に合わせた職場への移動が決められる。その際、公平の観点から事前には移動先は知らされず、移動し、受け入れが完了した時点で初めて明かされる。この方式は離着率の問題や福祉の観点などから様々な賛否両論がなされているが、移動した本人の意思はほぼ尊重されるので大きな問題には至っていない。実際、旧部もこの方式については中身の分からない箱を開ける程度の認識を持っていた。

 2つ目は、何故自分だけが二日遅れでの受け入れとなったのかについて。これには相応の理由が向こうにはあるのだろうが、やはり旧部にはどうしても聞いておきたい事であった。もし、今朝のニュースと自身に何らかの関係があるのであれば、それは一体何なのか。旧部としても、この疑問は2つ目と言わず真っ先に聞きたい事ではあった。なのだが、旧部の中で知るのが怖い。という感情が渦巻いていたのだ。もし、何らかの関係があり、自身が狙われていたのなら。もし、まだ解決しておらず、これから狙われてしまうのなら。未だ確証の無い話である以上、分からないと答えられても嫌だったのだ。

 そして3つ目は、現在の旧部の心情的にあまり重要な事ではないのが、どうしても気になっている事だ。それは子月という少女の衣装についてである。黒瓦谷と共に来た彼女は間違いなくACD財団に所属するPositiveだろう。ACD財団に所属するPositiveはFoundation Positiveと呼称されており、略称としてFPとも呼ばれている。FPはその証として活動時はFP専用の衣装の着用義務が課せられている。FPにも様々な役割が振られているため、単にPositive達の識別、というのもあるが活動上の誤解や誤認を防ぐ記号である意味合いが強い。それに対し、子月の着用している服装はとてもシンプルでラフだ。白一色のシンプルなTシャツに白の差し色の入った赤い色のスカンツ。まるで遊びに来ているようにしか見えない。彼女が口にした護衛という言葉と、何か起きても何とかするという自信には旧部はどうしても結びつけが出来なかった。

「……分かりました」

 旧部はスッキリとはしないものの黒瓦谷に顔を向けた。色々と思うところはあったはずだが、今回は我慢する事を選んだようだ。旧部の様子に黒瓦谷は「すまんな」と小さくうなづいた。

「今の荷物はそこに置いてあるものだけか?」

 

 旧部は自身が持ってきていたキャリーバッグと複数の紙袋を荷台に乗せる。荷台の中は二段になっており、上の段にはゴルフバッグの様なものが横に収まっていた。旧部は不思議に思ったものの、黒瓦谷の基地に着いたら教えるという言葉を信じて何も言わず荷台を閉じた。

「よし、乗ったな。じゃ、出発するぞ」

 黒瓦谷と子月は変わらず運転席と助手席に乗り、旧部は後部座席に座った。確認の取れた黒瓦谷は車のエンジンを起動させると、手慣れた腕で車を運転し、グラウンドを周り外へとでる。目的地は、旧部の新たな職場である。




「今日も平和だねぇ……」

 子月は開けられた窓から入ってくる風に、気持ちよさそうな表情をしている。ピンと立った長い耳はぴょこぴょこと動いているのが目を引く。

 極東地域は全部で5つの区画で構成されている。壱区、弐区、参区といった風に名称がつけられているが、この番号に深い意味は存在しない。壱区から肆区までは標準的な居住区画として作られており、産業施設や商業施設もそれぞれ作られている。5つある区画の内、零区は極東地域における中心的な役割を持った行政施設が主に占めており、ACD財団の極東支部もここにある。旧部が研修を受けていた施設もこの零区に存在する。

 三人の乗ったこの車は、出発した研修施設より零区を抜けて現在弐区に入っている。弐区は全体的に発展しており、極東地域の全区画と比べても面積が大きい。住居者も多く、商業施設も充実していて他の区に比べ治安も良いのが特徴だ。今走っている場所は、弐区のほぼ中央を南北に横断する様に存在する通称特大通りは圧巻の規模を誇っている。特大通りは、弐区の中で一番繁盛しており、露店も多数開かれ歩道を行き交う人々の表情は明るい。だが、行き交う人々の中に、時折人ではありえないシルエットをしている者達が見られる。Positive達だ。

 Positive達は往々にして独特の見た目をしている。ある者は左腕だけが獣のようになっていたり、ある者は下半身が鱗に覆われていたり、ある者は腕に鉤爪と羽がをもっていたり。中には頭部だけ、胴体だけが変異している者も居る。弐区は全体的に見て発展はしているものの、Positive達の数は相対的に少ない。理由として考えられるのはPositive達の事を考えて発展していない。という事だろう。

 Positive達はその身体の特性上、非感染者と同等の生活を送ることが難しい。サイズや見た目が少し違うだけで、人の形を保っている者はまだ良い方だと言える。Positive達の中には羽の生えた者や、身体の大きさが極端に大きくなった者も居るのだ。更に変異したことによる食に対する傾向も変わってしまう。肉食であれば昆虫や生肉、腐肉を好む者。草食であれば毒草を好む者など、非感染者の隣にはいられない者も中には居るのだ。

 その為、弐区は主に非感染者に向けた開発が行われており、Positive達には少し肩身の狭い区画なのだ。それでも一定数のPositive達を見ることはできる。FP達だ。彼らは独特の意匠をした上下の白い服を着用しており、遠目でもFP達だと分かる。外に居るFP達は決められた範囲を巡回し、有事の際には迅速に動くことが出来る様にしているのだ。

「だぁくそ、いつになったら進むんだ……」

 堪えきれなくなったのか心底面倒くさそうな顔をして黒瓦谷が大きなため息と共に悪態をついた。施設を出て早一時間。この車は現在、大渋滞に巻き込まれており十数分もの間全く進めていないのだ。

 車内は外から入る喧噪と風、そしてエンジン音と車体が揺れる音。それ以外の音は殆どなく、会話は出発当初に少し交わした程度だった。子月は黒瓦谷を横目に窓から見える車外の様子を眺めており、黒瓦谷は分刻みで不機嫌さが少しづつであるが増している。その様子を後部座席から見ていた旧部は背を伸ばし、早くこの時間がすぎないかと祈っていた。

「大分想定外だけど、どうするつもり?」

 子月は黒瓦谷の様子をうかがう様に顔を向けている。黒瓦谷は顔を真っすぐに向けたまま数秒口を閉ざして考えている様だ。現在時刻はもう少しで10時30分となる。

「面倒だが車を置いていくってのも手だな。寧ろ、そっちの方が手っ取り早いかもしれん」

「……こんな場所で?」

「少なくともここで足踏みするよりましだろう。虎穴に入らずんば何とやら、だ」

 子月は窓から見える景色を見て少し悩んだ素振りを見せたが、すぐに納得したのか「うん」と静かに頷いた。黒瓦谷と子月はどうやら車を置いて歩いてゆく算段をしている様だ。ただ二人の会話には前提となる物があるようで、旧部は黒瓦谷の言う事がいまいち理解できていなかった。

「旧部、すまんが子月と一緒に車を降りて先に向かっていてくれ。道はコイツが知ってる」

 黒瓦谷は姿勢を変えず左手の親指で子月を指さしている。子月は変わらず柔らかい表情をしていたが、ルームミラーに映る黒瓦谷の顔は少しこわばっていた。

 旧部は黒瓦谷の様子に不信感を覚えた。だが今はどうする事も出来ないと判断し、二人に促されるがまま下車の準備を始める。財布を始めとした貴重品をたまたま持っていた小さなバッグへと放り込んだ。

 「気を付けろよ」旧部が車を降りる際、前を向いたままの黒瓦谷が発したその言葉はどことなく弱々しかった。歩道に出ると、いつの間にか子月は装いを変えていた。長い髪を1つに結い下げており、何処から取り出したのか黒いキャップを被っている。キャップからは白い耳が飛び出している。黒のキャップに白い耳というのは目に留まりやすい。そしてTシャツの上に、独特の意匠をした白いジャケットを羽織っていた。このジャケットは、街を巡回していたFP達が着ていた物と同様の物の様だ。

「この上着があると色々と都合が良いの。じゃ行こっか。こっちだよ」

 子月は軽い足取りで大通りを進んで行く。旧部は言い合わらすことのできない漠然とした不安を抱えながら子月の後を追う様に歩いてゆく。

 特大通りはその名の通り非常に大きい。歩道ですら車が三台は並行に走れるほど広いのだが、それが四車線ある道路の両側に存在している。特大通りには高層ビルが乱立しているのだがその広さゆえに圧迫感は少ない。それでいて歪みなく真っすぐに敷かれたこの道はどこか現実離れした感覚を覚える。車内から見えていた通り、この歩道を歩く人達は本当に多い。通行を妨げられることは無いが、旧部は見失わないようにと注意深く子月の後ろをついてゆく。

 学生時代ではあるが、旧部もこの辺りの特大通りはよく歩いていた。特大通りの中央辺りは遊ぶ場所が多く、友人たちとショッピングを楽しんだり、食事を楽しんだり。時には一人でこっそり贅沢をしたこともあった。あの頃は暇を見つけてはこの辺りに繰り出していたが、見ないうちに露店を始めとしたコンテナショップ等の半分近くのお店が変わっている事に旧部は少し驚いた。

 旧部が二年と半年を過ごした研修施設での生活は、殆ど外へ出る機会が無かった。単純に研修施設内での生活に暇がないというのもあったのだが、異様に外出許可が下りづらかったのだ。旧部も何度か外出許可を求めたが、一日でも日をまたぐ外出の許可はまず下りなかった。半日の許可も事前に提示する理由によっては容赦なく棄却される。そのような条件だったため、距離という物理的な理由で区画を跨ぐような外出はほぼ不可能にも近かった。その代わり、研修施設のある零区にも様々な施設は存在していた。面白みは無かったが日用品の買い物程度であれば一時間の外出でも何ら問題はなかった。

「ごめんね。急にこんなことになって」

 旧部が露店や歩道に面したお店を眺めていると、いつの間にか子月が旧部の真横に居た。子月は少し申し訳なさそうに旧部に顔を向けている。

「碌に説明もしないまま振りまわしちゃってさ。やっぱり、不安だよね?」

「ううん。大丈夫。良く分からないけど、着いたら説明してくれてるって言ってたから」

 旧部は子月に心配かけない様、少し言葉に迷いながらも気丈に振る舞った。だが、旧部の胸中には今朝のニュースが確実に不安の感情を刺激していた。

「そうだ。規則に触れない程度でいいから、あなたやさっきの人の事教えてくれないかな」

 旧部は自身の気持ちを切り替える為にも話題を振る。子月は旧部の切り替えに少し驚いた様子を見せたが、すぐ笑顔を見せた。

「いいよ。まぁ規則なんて気にせず話してもホントは良いんだけどね」

「そうなの?」

「うん。バレなきゃ」

 子月は少し意地悪そうな笑みを浮かべている。旧部はまさかの返答に困惑したものの、少し緊張が和らいだのか表情が柔らかくなった。

 子月と旧部は歩きながら少し話し合った。子月は話す内容もそうだったが、話し方がとても上手かった。旧部は大学では心理学や社会福祉等を専攻しており、特に心理学は得意でないものの好きな学部だった。あくまで勉学レベルではあるものの、旧部から見ても子月の話し方や所作はとても少女とは思えないものだった。相手の癖や特性に合わせた相槌や話の繋げ方、ボディーランゲージなど。紙面上の問題ならともかく、完全な本番でそれらを容易く行う子月に旧部はある意味で恐怖を覚えた。

 ともあれ、子月との会話で旧部もいい感じにほぐれたようで、笑みを浮かべることが多くなった。バレなければいい。と子月は話していたが、性格や様々な好み等、殆ど雑談程度にしか話は出来なかった。

「何だろ。あの人込み」

 旧部は足を止める。前方には、歩道いっぱいに人が密集しているのが見えてきた。辺りを見渡してみるが、信号がある訳でも何か催し物が開かれているわけでもなさそうだ。

「ん~……これじゃ先に進めないなぁ」

 子月も困った表情を浮かべている。旧部は聞き耳を立ててみるも、この人込みに対する疑問の声ばかりだった。この辺りは横にそれる道もなく、迂回するには一度来た道を戻る必要がある。ただ、それなりの距離を戻らないといけない事を考えると、かなり面倒だ。

 どうしたものかと二人考えあぐねていると、何の前触れなく人込みが進みだした。相変わらず耳に入るのは疑問の声のみで、何が起きたのかは分からない。

「何だったんだろ。まぁ行こっか」

 腑に落ちないが、子月と旧部はまた進んでゆく。進んでゆくと、向こう側から歩いてきた人たちの話が耳に入ってきた。要領の得ない話が多い中、不審物や爆弾といった単語がよく出ていた。

「物騒だね。早いとこ抜けちゃお」

 子月も聞こえていたようで、旧部の手を引いて足早にその場を離れようとする。手を引く子月の手は小さくも力強く旧部の手を握っている。人込みを難なく交わしてゆく子月の表情は角度と帽子で見えづらい。だが、その口元は固く閉ざされており、口角は全く上がっていないのが分かった。

「も、もう大丈夫じゃないかな?」

 人込みを過ぎてなお足早に進む子月に旧部が問いかける。

「ダメ。さっきのFP、あれは違う。早く離れた方が良い」

「さっきの……?」

 子月はスピードを変えず、困惑する旧部の手を引き続けている。どうやら先ほどの人込みの中にFPらしき者が居たらしいのだが、子月いわく違うとの事。姿が見えていない事もあり、そのFPの何が違うのかも分からない。だが、声を潜めていながらも低く、鋭い彼女の声色から旧部は異様な緊張感を感じた。

 旧部は、ふと今朝のニュースを思い出した。まさかと思いつつも、先ほどまで笑顔で話していた彼女の変化。先ほどの人込みの中で聞こえた不審物や爆弾といった単語。全てが嫌に結びついてくる。言いえぬ恐怖や不安感。子月に握られ、引かれる手に自然と力が入る。そして、それは最悪の形で現実となる。

「――?!」

 突然の光。爆音。爆風。そして辺りに広がる独特の臭い。

 旧部はこの瞬間、何が起きたのか理解が追い付かなかった。耳鳴りがする。頭がガンガンと痛む。身体の側面も熱を持ったようにじんわりと感覚が広がり、段々痛みへと変わってゆく。目の前には多数の瓦礫やその破片が散らばり、黒煙が巻き上がっているのが見える。そして、この場に居る皆が酷く慌てたように走り出している。耳鳴りが徐々に消え、代わりに叫び声や喚き声が強くなってゆく。気が付くと、辺りは大混乱に陥っていた。

「大丈夫?!」

 呆然とする旧部に子月が駆け寄る。子月が来てくれたことで旧部は、自身が倒れ込んでいる事に気が付いた。

「ケガはない?」

 子月は慣れた手つきで旧部の状態を確認する。周りには逃げ遅れた人や倒れ込んでいる人も見られる。

「一体、何が……」

「説明は後。とにかく、まずは離れよう。立てる?」

 子月は旧部に手を差し出す。旧部は子月の手を借り、立ち上がろうとする。すると旧部の視界はグラリと揺れ、へたり込んでしまった。どうやら頭部を打った衝撃が残っている様で、自身で立つことは難しいだろう。

「大丈夫。支えてあげる。ほら、手を貸して」

 子月はこの様な状況だというのに酷く冷静だ。旧部にかける言葉、声、表情。どれをとっても優しい色を含んでいる。旧部は子月に手を差し出すと、子月は手を肩に回し、腰に手を当てて一緒に立ち上がった。

「よし、ゆっくりでいいから、まずは離れよう」

 こんな少女に助けられるなんて、情けない。と旧部の表情は申し訳なさと情けなさでいっぱいの様だ。子月は「大丈夫だから」と旧部に声をかける。

 そして、子月が一歩、踏み出した瞬間。銃声が鳴り響いた。

「しまっ……!」

 子月は体制を崩し、二人そろって倒れてしまった。旧部はまた何が起きたのか理解するまで数秒要した。子月の顔が苦悶の表情を浮かべている。まさかと思い子月の足を確認する。スカンツには穴が開いており、何やら液体でにじんでいる様だ。間違いない。血が流れている。

「ん? おいおい。まさかの大当たりじゃねぇか?」

 どこからか、少しかすれた男性と思しき声が聞こえる。旧部は辺りを見渡すが、近くに人影は見当たらない。いるのは爆発に巻き込まれ、倒れた数人と旧部と子月。そして、距離を開けて壁を形成しているの大量の野次馬達。

「ワハハ! 何処見てるんだ? こっちだよ。こっち!」

 こんな状況だというのに楽し気な声が聞こえる。声がした方へ顔を向けると、モクモクと巻き上がる黒煙が目に入った。

「正解だ!」

 満足そうな声を出したその者は、黒煙の中からゆっくりと姿を現した。その姿は細身で、なんともガラの悪そうな男だった。男の片手には銃が握られており、特徴的なガスマスクをしている。

「くだらない遊びね。で、この二人がそうなの? 私はさっさと帰りたいのだけど」

 黒煙の中から続けて二人歩いてくる。一人は身体のラインを隠していない衣装を身にまとった尊大そうな女。そして、まるで大きな熊のような四肢を持った大柄な男が現れた。この表現は決して比喩ではなく、細身の男と尊大な女と比べても2回り程大きい。この二人も細身の男同様に特徴的なガスマスクをしている。

 Positiveという存在は、身体が変わるから恐れられているわけではなかった。Positiveとなったものは、身体の一部の変化から始まり、いずれ全身を変化させる。そして、全身が変化したPositiveは遅かれ早かれ、理性を失う運命にあったのだ。理性を失ったものはその命果てるまで見境なく暴れ始める。Positiveへと成る。それはつまり自分自身を失う大きな爆弾を抱える事でもあった。しかし、そんな大きな爆弾を抱えているから恐れられていたわけでもなかった。安定剤がまだ無い時代。Positive達は、非感染者と戦争間近にまで関係が悪化していた。

 身体の不定形への変化。自我の喪失。恐怖や侮蔑に満ちた非感染者達の目。内外から来る様々な不安や恐怖に、板挟みにされていた。その心的な疲労は凄まじく、治療法も現状維持の術もない現実に自ら命を絶つ者も多かった。そして、行き過ぎた恐怖は怒りへと変わる。理不尽という運命にさらされていない非感染者達への恨みや妬みは募っていった。

 ある日、あるPositiveが一人の非感染者を殺害し、その後自らも命を絶つという事件が発生した。この事件を皮切りに、Positive達は非感染者に対する理不尽な報復を開始した。Positive達は非感染者達から金銭や食料、時には命を奪い合う行動を起こし始めたのだ。この火種は周囲の街から国に広がり、やがて世界を巻き込むこととなった。だが、実際に行動に出たPositive達の数は全体的に見ればそう多くはない。大半のPositive達は悲観の末に気力そのものを失っていたからだ。

 だが、数的有利のはずの非感染者達は、暴徒化したPositive達の鎮圧を行えずにいた。その理由は、Positive達が理不尽の代価として授かった力が、あまりにも厄介だったからだ。その力は変異した肉体の部位ごとに、変異した動物の特徴を持つ。簡潔に言うならば、変異部位の動物の特徴をそのまま扱える。という事だ。

 分かりやすい例として、兎を想像しよう。兎の耳は人間の耳よりも遠く、より小さな音を聞き分けることができる。その足は、兎の大きさに似合わない太さと強靭さを持ち、素早さの実現と跳躍することが出来る。それが、人間サイズになった場合、どうであろう。耳は大差ないかもしれないが、足は人と比べより太く、より強靭さを増すのだ。その足から出される力は人間の域を超え、跳躍すればゆうに3階建ての建物の屋根まで行けるだろう。この理論上不可能、説明不可能な現実は、人を恐怖へ陥れた。

 この悪事を働くPositive達をCrimitiveと呼称し、専用の対Crimitive抑止団体として設立されたのがACD財団だ。Crimitive達を捕縛し、管理下に置くことは難しい。その為、目には目を歯には歯を。同等の力を有するPositive達を雇用し、Crimitiveに対抗するための治安維持部隊を作ったのだ。だが、組織と水面下に居る数の不明な特定不可能な脅威。表面を整える事で日和見的な犯行は無くなった。その代わりに、組織的な犯行は増えていた。

 そしてその新たな恐怖は今、旧部の目の前に迫っている。大柄な男は何も発せず、ゆっくりと、旧部へと向かってくる。旧部の脳裏にはまた、今朝のニュースやそれから想像した数多の不安や恐怖で埋め尽くされていた。

「逃げて! 早く逃げて!」

 怯え固まる旧部に子月は何度も叫びかける。しかし、旧部は大柄の男から目を離すことが出来ず、身体がこわばり後ずさりも出来ない。大柄の男は二人のすぐ前で止まると、じろりと目だけを動かし旧部と子月をとらえる。まるで慈悲の欠片も感じさせない冷たいその目は確かに旧部の心を恐怖で染めてゆく。

「その顔、覚えがあるぞ。お前が旧部朱璃だな」

 ドスの効いた声が目の前の大柄な男から発せられる。旧部は恐怖により顔が引きつり、子月は苦痛を感じながらも男ににらみつける。その様子に男は気持ちの悪い笑みを浮かべ、その巨大な腕を上げて大きく振りかぶる。

 ズドン! という大きな音が風と共に辺りへ散る。何が起きたのか。旧部は理解する前に、突然聞こえた叫び声に反射的に反応する。旧部が向けた顔の先には身体をのけ反り、声にならない叫びを上げる子月の姿があった。子月の足には先ほど大柄の男が振りかざしていた大きな拳があった。

「これで逃げられまい。なぁ、財団の犬め」

 男は満足そうな、気味の悪い笑みを浮かべて腕を持ち上げ、数歩下がる。潰された子月の足はスカンツが邪魔をし、よく見ることはできない。だが、歯を食いしばり苦痛に耐えている様だが、目の焦点が合っていない子月の様子は異常だった。

 これから死ぬ。そう考え、感じてしまった旧部。計り知れない恐怖が全身を駆け巡り、生存本能が現実に拒絶反応を引き起こす。あれがしたい。これをやってみたい。脳裏に浮かぶ生存への希望は、現実との差に生じた暗闇へ意識が染められてゆく。

「ビート、アレを出せ」

「へーい」

 ビートと呼ばれた細身の男は懐から球状の物体を取り出すと、子月と旧部のそばへと放り投げた。コロコロと少し転がった後、静止した球から白色の濁った煙が噴き出た。煙は動くことのできない旧部と子月にまとわりつくかの様に立ち込めてゆく。

「は、やく……に……」

 子月の、旧部に伸ばされた小さな手が力なく地面へと落ちる。どうやら意識を失ってしまった様だ。旧部も、グラリと意識が揺らぐ。どうやらこの煙は一種の麻酔の様な効果を発揮するものらしく、どういう訳か旧部も意識を失って倒れてしまった。

「はぁ、つまらないわね。期待して損したわ」

 女は心底残念そうに二人の姿を見下ろしている。ビートと呼ばれた細身の男も二人の姿を見てへらへらと笑っている。

「長居は無用。撤収だ」

 大柄の男は意識を失った旧部と子月を雑に持ち上げて担ぐ。そして三人は未だ巻き上げ続ける黒煙の中へ進み、姿をくらませた。その数秒後、また大きな爆発が起きた。始めに起きた爆発の数倍の大きさだ。

 一部始終を眺めていた野次馬達は、不意に起きた再度の爆発に叫び声をあげながら次々と走り去ってゆく。その中に、微動だにせず現場を眺め続ける黒瓦谷の姿があった。黒瓦谷は表情を一切変えず、野次馬が走り去ってゆく方向へ身体の向きを変えるとゆっくりと歩き出した。そしてジャケットのポケットに突っ込んでいた手を抜くと、その手には携帯端末が握られていた。

「各員に通達。作戦の第一段階、完了。続いてコードをイエローからレッドへ変更する」

 黒瓦谷の表情に変わりはなかった。だが、端末を握る手には力が入り、足取りは重い。そして、発するその声色には明らかな怒りが含まれていた。

「これより、作戦の第二段階へ移行する」

ここまでで1話という導入のおよそ1/3です。

もしかしたら半分かもしれませんが、もっと長くなるかもしれません。

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