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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

青い血の流れる国

トライデント陥落

作者: 空原海




 参謀本部合議室(ごうぎしつ)へと、一人の若い兵が転がり込んだ。



「伝令! トライデントが敵に制圧されました!」



 自軍が伝令兵の悲痛な叫びに、エノシガイオス公は弾けるようにして立ち上がった。

 がたりと大きな音を立て、重い椅子が倒れた。



「制圧だと! 司令官はどうした!」


 憤怒で顔を赤黒くさせたエノシガイオス公は、ツバを飛ばして、まだ年若い兵に噛み付いた。



「それが」


 若い兵が言い淀む。



「言え! はよう! 我が息子は! あやつはどうした!」



 エノシガイオス公の求めに、兵はぐっと顔を中心に寄せた。

 鼻や眉間、顎にシワが寄り、泥や血、その他得体の知れぬ汚れにまみれた顔から、ポロポロと乾いた塵埃(じんあい)が剥がれ落ちた。



「司令官殿は」

 兵の声はしゃがれていた。

「捕虜となられました」


「なんと……!」



 エノシガイオス公は、見開ききった目の片方を手で覆うと、膝から崩れ落ちた。

 エノシガイオス公の後ろに控えていた従者が、慌てて倒れた椅子を立て直し、公はどっかりと尻を落ち着けた。


 報告に参じた兵は膝をつき、悔しそうに肩を震わせた。


 彼の属する斥候(せっこう)部隊。

 小隊長を始めとした各小隊は、総隊長の指揮に従い、斥候の身ながら前線に参じた。

 当然、他部隊長らも同様。

 そしてまた、彼等の率いる部隊も。







「者ども、まいれ! いざ、不浄なる畜生どもを蹴散らしてくれよう!」



 指揮官の鼓舞に応えるように、あちこちから咆哮が上がった。

 男達は槍に、戦鎚(せんつい)、剣、弓など、それぞれの得物を振り上げ、突進した。

 誇り高く戦った。


 そうして戦い、敗れた。


 だが、司令官は違った。

 司令官、トリトン公子。

 エノシガイオス公の息子。

 難攻不落を誇ったトライデント。その守護神と畏れられた猛将。


 それが、司令官トリトン公子。


 かの英雄トリトン公子は、誇り高く戦って、敵に討ち取られたのではなく。

 自ら投降し、薄汚く敵の情けを乞うて、その首を差し出したのだ。


 だが、司令官が降伏を宣言せねば、この若き兵は、命からがら、索敵哨戒の目を逃れ、報告に戻ることも適わなかった。


 誰一人、残らなかっただろう。

 あの魔女の前では。


 魔女が妖しげな術であたり一帯を吹き飛ばし、大地を裂き、木々を倒して焼き払うまでは。


 それまでは、確かに押され気味ではあったものの、エノシガイオス家の軍も、その旗主ら援軍も、他家の友軍も。

 全軍が善戦していたと言えよう。


 敵は妖しげな術を使う。


 それは知っていた。

 敵国には、他のどの国にも存在しない、力があった。

 彼奴(きゃつ)らはそれを魔法と呼んでいた。あるいは魔術と。


 油断ならない術ではある。

 だが万能ではない。


 所詮は小手先の術。

 仕掛けられる前に、矢で射抜き、槍で突き刺し、剣で薙ぎ払い、斧でかち割ってやればよい。


 地理はエノシガイオス家を始めとした、味方に利があった。

 当然だ。

 エノシガイオス家が誇る鉄壁の要塞が、トライデントなのだ。


 逃げ込まざるをえないほど追い詰められたと言えなくもないが、果たしてそれは、敵軍をトライデントへ誘い込むための誘導作戦だった。

 勢い勇んで、まんまと攻め込んできた敵軍を前に、トライデントで待ち伏せる兵士らは、上機嫌で笑った。



「畜生にはなるほど、考える頭がないと見える」



 敵国の将。

 君主である国王を筆頭に、八人の大将は、いずれかの鳥獣虫をそれぞれ象徴として掲げているらしかった。

 つまり畜生どもだ。



「怪しげな術を使う畜生どもは、人間にあらず」


 声の大きい一人が叫んだ。



「ならば駆逐すべし」


 また別の、声の大きい者が賛同した。



「下劣なる畜生どもから、この大陸を取り戻し、真の人間による、正当なる統治を!」


 声の小さい者、大きい者を問わず、大勢が声を揃えた。



 血濡れた槍が、戦塵(せんじん)を切り分ける。

 槍騎兵(そうきへい)の槍が、敵兵の喉を刺し貫いた。

 槍の穂先は敵兵の、頭巾状のメイルコイフを見事突き破った。だが、折れた。

 だから彼は、すぐさま剣を抜いた。

 しかしそこで、彼の戦果はとだえることとなる。


 彼の首は(かぶと)をつけたまま、空高く舞い上がった。

 肉体をもってしては適わぬ高度まで浮かび上がった彼は、眼下に広がる戦場を、ゆったりと見下ろした。

 何かに急がねばならない理由を、もはや彼は持たなかった。


 圧倒的かと思われたエノシガイオス軍は、敵軍におされていた。

 乱戦の最中、彼は最期に眺めた。


 首から上のない騎兵。

 彼だ。

 すっぱりと斬られた断面から噴き出す鮮血を浴び、咆哮する女騎士。

 彼を斬った敵だ。


 女騎士と背中合わせの騎士が、すかさず剣を構えた。


 女騎士を守るように、薙ぎ払い、突き出し、ひねり、引き抜き。

 ふたたび、味方兵士の血の雨が、敵兵二人へ降り注ぐ。


 首だけで空を飛ぶ彼は、薄れゆく意識の中、ああ、と音にならぬ声で嘆いた。


 女騎士の、血よりも赤いくちびる。

 それがにいっと吊り上がる。



 ――あれは、魔女だ。



 彼の意識が完全についえる寸前、トライデントは魔女の手から放たれた、青白い球体、そこから生じる光、熱、稲妻に包まれた。

 その先を、首だけとなった槍騎兵が知ることはない。


 だが、伝令兵は見た。

 トライデントが魔女の放った球電に飲み込まれ、破壊されゆく姿を。


 彼は剣を振り上げ、駆け出そうとした。



「待て!」


 司令官が伝令兵の胸を、強く押し戻した。

 長袖のチェインメイルに金属片を(うろこ)上に並べて縫い付けた、伝令兵のスケイルメイルと、司令官のプレートメイルとが重なり、鈍い金属音がした。


 司令官は伝令兵を眼光鋭く睨みつけた。



「おまえにはまだ、為さねばならぬ使命が残っておる」



 それは敵と戦うことではないのか。

 一人でも多く、敵兵の生命を。戦力を削ぐことではないのか。

 たとえこの生命尽きようとも。



「司令官殿! 敵を討つよう命じてください! 我が生命を賭け、使命を全ういたします!」

 

 伝令兵は言いつのった。



「ならぬ」


 だが司令官は首を振った。

 そして投降した。

 残る兵士ら全て、捕虜となった。

 伝令兵を残して。



「おまえは逃げろ。逃げ帰り、知らせよ」



 彼は司令官によって、一人逃された。


 敵国からの愉悦に満ちた勝利宣言が寄越される前に。

 エノシガイオス軍の伝令兵として、我軍の死戦を伝えるべく。






 司令官の判断は、間違っていない。


 間違ってはいないが、おめおめ生き残り、生き恥をさらすくらいならば。

 若き伝令兵は、戦場で散る名誉をその名に刻みたかった。



「そうか……。よく戻った」

 エノシガイオス公は震える声で、兵を労った。

「よく、知らせてくれた」



 若き伝令兵は顔を上げられなかった。

 エノシガイオス公は立ち上がった。うつむいてくちびるを噛みしめる兵を見下ろした。


 細く頼りない肩が、屈辱に震えていた。

 エノシガイオス公は若き兵の肩に、己の分厚い手を置いた。



「そなたが戻ったことは、喜ばしい」


「しかし……!」


 伝令兵はエノシガイオス公を見上げた。



「信じろ。そなたの父を」



 エノシガイオス公は血の気の失せた真っ青な顔に、壮絶な笑みを浮かべていた。

 若き伝令兵の喉が、ひゅっと鳴った。



「司令官殿は、その、しかし、」


「そなたがたとえ私生児であろうと、そなたに我がエノシガイオス家の血脈が流れることを、誰が否定できよう」



 エノシガイオス公は伝令兵の肩を強く掴んだ。

 伝令兵は思わず、痛みに呻き声を漏らした。



「我がエノシガイオス家は不滅だ。トリトンはトライデントそのもの。あやつが生きておれば、いくらでも再建できる」

 エノシガイオス公は伝令兵の両肩を掴み上げ、奮い立たせた。

「そなたも、我がエノシガイオス家の血を継ぐ者ならば、いつまでもメソメソするな。哀れに泣いてみせたとて、慰めの乳をくれる母親は、ここにはおらぬぞ」


「泣いてなど、おりません!」


 伝令兵はかっとなって言い返した。


 返り血や脂に肉片、煤や泥であったり、洗い落とされずにたまった垢など。様々な汚れが伝令兵の顔を覆っていたため、顔色はわからなかった。

 だが彼の口調から予想すれば、おそらく赤く染め上げていたのだろう。

 戦に出る以前には、なよなよと青白かった肌を。



「威勢がいいな。それでいい」

 エノシガイオス公はにやりと不敵に笑った。

「それでこそ、エノシガイオス家の男」



 海の覇者、エノシガイオス公。

 彼はひとまずの撤退を命じた。

 水夫達が忙しなく、渡り板を行き交いしていた。

 次々に荷が積まれていく中、船首にも旗が掲げられた。


 エノシガイオス家の旗印。


 旗は濃紺色。

 描かれる紋章は、交叉する金色(こんじき)三叉槍(さんさそう)。その上に浮かぶ、銀色の月。


 若き伝令兵は、決して忘れない。


 戦場で掲げた旗。

 その紋章は、赤い血で塗り潰された。


 代わりに、戦場に浮かび上がったのが、敵味方で交叉する、血と脂に塗れた槍。

 それから、血煙の空に浮かぶ、真昼の月。


 恥辱にまみれたエノシガイオス家の旗印。

 それが今、船首でなびいている。


 本来ならば、敵将の首を高く掲げ、エノシガイオス公は歓喜と(ほま)れを称えられ、凱旋(がいせん)するはずだった。


 しかし、船に乗り込むエノシガイオス公の背中は、(しお)れてなどいなかった。

 若き伝令兵の記憶にある通り、威風堂々と大きく。

 彼の前に(そび)え立ち、甲板から水平線を眺めている。


 空には分厚い灰色の雲が覆っていた。

 揺れる水面は、船からこぼれ落ちるオイルランプのかすかな光を拾って、ちらりと時折きらめく。

 空と海はどちらも重苦しい鉛色で、境目は曖昧だ。



「必ずや、あの魔女を討ち取ってくれる」



 若き伝令兵は拳を握り、決意した。


 彼の身体を巡る、エノシガイオス家の血が、雪辱(せつじょく)を果たさんと沸き立っていた。

 エノシガイオス家の覇する海を前に。


 エノシガイオス家の紺色の旗が、その紋章をくっきりと浮かび上がらせていた。

 この旗を、血で塗り潰されたまま、終わるわけにはいかない。


 此度の戦では、塗り潰された紋章。

 交叉する金色(こんじき)三叉槍(さんさそう)。その上に浮かぶ、銀色の月。


 雲間に隠された、銀色の月よ。

 エノシガイオスの金色の槍で、鬱陶しい雲を薙ぎ払い、切り裂き。

 おまえをふたたび、輝かせてやる。

 トライデントの美しき、濃紺の空に。

 俺が、この手で。





ご覧くださり、ありがとうございました。



今作は連載作「魔女の恋 〜150年前に引き裂かれた恋人達〜(https://ncode.syosetu.com/n1523gz/)」の閑話を独立した短編として抜き出し、掲載しております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 手痛い敗戦。 彼らはこの物語の本編に当たる物語では敵方なのでしょうか。逆に、ここで恐るべき敵として描かれる女騎士が、本編では主要人物なのでしょうか。 敵をただ敵と、悪役をただ悪役として描か…
[良い点] 面白かったです! 生々しい戦場……! とってもドラマチックでした!
[一言] 他の方の感想と被ってしまうのですが、かっこいいですね。 時代的には近代くらいかなぁと想像したのですが、実際はどうなんだろう? 文章から雰囲気が伝わって来てぐいぐい引き込まれました。
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