救急車は「なる」もの
「血生臭いったらないよ」
「なんだよ急に」
ここはハンバーガーショップだ。血の臭いなんてするはずがない。
それなのに、真関さんは眉根を寄せている。それもため息をつきで。
「視野は広く持たなきゃ。腐敗が進むぜ」
言われて、店内がざわめきに包まれていることに気づく。店内にいる人間はもれなく、カウンターを注視していた。
三人組の学生と、女性店員の姿。
「店長、店長……!」
青ざめた店員が、ふらふらと覚束ない足取りで店の奥に消えていく。
一方、三人組の学生は……と、目をやって愕然とした。
再び、大きな音を立てて椅子が倒れる。
「間明くんってさ、周りのこと気にできないタイプだよね」
「だって、真関さん、アレ」
血だ。鮮血が、床を濡らしていく。視線をあげると、学生の腹部にナイフが刺さっていた。あの、金色のナイフが。
学生は、患部を眺めて固まっていた。学生の両手がナイフに添えられているのをみて、血の気が引いていく。
「待て、引き抜くな……!」
駆け寄って、ハンカチで患部を押さえた。糸の切れた人形のように、学生はその場に崩れる。
深くは入っていなかったらしく、崩れた反動でナイフが学生の体から抜け落ちた。キン、と甲高い音が店内に響く。
「何してるんだよ!?」
刺された学生と向かい合う男の手にも、金のナイフが握られている。目の前に怪我人がいるのに、男は平然としていた。
「聞きたいのはこっちだよ」
それどころか、男は薄笑いを浮かべる。
「あ?」
「そいつは、人じゃない。自分で証明してみせたんだ。ざまあねえ」
これは、この理不尽は。目覚めてからずっと。
ぶつけられた『常識』が脳裏を過り、吐き気が込み上げた。無理矢理飲み下して、男を睨む。
「その目は節穴か? それとも、キマっちまってるのか?」
「アンタもそっち側?」
そっち側?
聞き返そうとして──寸前で止めた。支えていた身体が、小刻みに震えている。
「お前に構ってる場合じゃねえ。早く、救急車を」
店内には人がたくさんいるのに、誰も手を貸そうとしない。怪我人が居るのに、好奇の目ばかりが注がれていた。
──焦るな。考えることを放棄するな。今、必要なのは感情じゃない。適切な処理だ。
鞄は、席に置いてきた。止血をしているから、この場を離れるわけにはいかない。
「なあ」
少し離れた場所でこちらを窺っている男──三人組の一人、眼鏡をかけた学生と目を合わせる。一瞬目を泳がせた後、泣きそうな顔で俺を見た。
「電話を貸してほしいんだ」
「……、何をしても、無駄だよ」
言葉とは裏腹に、すがるような声だった。
「ありがとう」
無駄だと言いつつ取り出した電話を、受けとろうと手を伸ばす。でも、叶わなかった。
「救急車は来ない。なぜなら、彼の云う通り、もう人じゃないからだ」
終わりを告げる鐘のように、酷く冷静な声が店内に響いた。
学生が言葉に怯む。こちらに向かって進めていた歩みが止まる。
「……ッ、冗談抜かせ!」
誰かもわからない、声の主に向かって叫ぶ。
人じゃないとか、そんなの、誰かに決められるわけじゃねぇのに、なんで。
「なんでだよ、真関さん!」
野次馬を掻き分けて現れたのは真関さんだった。先程まで張り付けていた笑顔は、影も形もない。
「噛みつく相手を間違えないでほしいな」
「なに……?」
「仕事が増えるのは勘弁だよ。さ、退いて」
「何をするつもりだ」
怪我人の学生の前にしゃがんだ真関さんに、警戒心が沸く。二人の間に体を滑り込ませると、真関さんは肩をすくめた。
「いつまで押さえてるつもり?」
真関さんの手に握られていたのは、包帯。
「それは、……頼む」
ハンカチを離してすぐ、患部に包帯が宛てられる。鮮やかな手つきだった。ものの数秒で処置は終了し、包帯はよれることなく、患部に巻き付けられた。
「僕は、迎えに来たんだ。他でもない、たったひとりの君を」
真関さんは、血に染まるカッターシャツの上から患部を擦る。慈愛に満ちた声だった。「人じゃない」と、否定したときとは、同一人物だと思えないほどに。
「行こう。ドクターには連絡済だ」
「さっき、救急車は来ないって」
「そうとも。呼ぶ時代は終わった。救急車には、『なる』んだよ」
「は?」
「最先端を走れ! さ、おぶったおぶった」
「いや、お前」
おぶるのは別に問題ないけど、救急車はなるもんじゃねえだろ。
突っ込みかけて、それどころでないことを思い出す。
傷が開かないように、慎重に学生を背負った。穏やかな呼吸が耳に届いて、胸を撫で下ろす。
同時に、血の臭いが鼻を抜けた。まだ安心できない。
早く診てもらわないと。
「よ、……っと」
人ひとり背負うのは久々なのに、妙にしっくりする。いつ以来だったかは、思い出せない。
「どこにだって、そいつの居場所はねえ」
挑発めいた言い草が背後から投げられる。ナイフ男の声だ。
「まだ言うのか……?」
落ち着いた怒りが、ぶり返す。先導していた真関さんが振り返った。このハンバーガーショップで何度も見た、食えない笑顔を浮かべながら。
「引き留めてもらったとこ、悪いね! 生憎、この救急車は一人乗りでさ。ま、近いうちに迎えに来るよ! 今度は、霊柩車でね!」