君の6年間
何個目のハンバーガーだろう。俺が来る前から食べていたから、少なくとも五つ目ではある。ハンバーガーとシェイクが男の胃袋に収められていく。
男はハンバーガーの包み紙を丁寧に折り畳んだあと、手を合わせた。
「ごちそうさま。少し待ってて」
トレーを持って、店の奥に消える。程なくして、シェイクを二つ持って戻ってきた。
嘘だろ? まだ食べるのか?
「腹壊すぞ」
「ひとつは君の分だよ」
「それは、どうも」
手渡されたシェイクを受け取る。急激に手のひらが冷やされた。口に含むと、シェイクはあっという間に熱を奪っていく。甘い香りが鼻を抜けた。おいしい。
「済くんは元気?」
「ああ。変わらねぇ」
六年の月日をあまり感じさせないほどに。
「だろうね。僕をクズと称した辺り、正気に違いないや。だとすると、君によっぽどのことが起きた、か」
「どうして」
どうして、そんなことがわかる?
「いくら、『かわいい子には旅をさせよ』って言ったってさ、火を見るより明らかな……生死に関わるような下手な真似を、普通はさせないだろ?」
ああ、まただ。また、深い溝が立ちはだかる。
「どうして」
俺は、こいつのことがわからないのだろう。
目の前の男は済の性質も俺との間柄も知っている。たぶん、仲が良かったんだと思う。失った六年のどこかで、一緒の時を過ごしていたんだろう。
ひとつだけ色褪せたピースみたいだ。どこにハメるのが正解なのか。わからない。
「悲しい顔しないでよ。僕の胸まで痛むでしょ」
はあ、と大きくため息をついても、笑みは絶やさない。
「知らないことっていうのは、案外単純なことでさ」
その声には、底抜けの希望がのせられていた。
「知ればいいだけなんだよ」
視界がひらけて、光が差し込んだ。そんな気がした。
「じゃあ、教えてくれ! お前のこと、世界のこと! その為に俺はお前を探していたんだ」
「危うく、鼻息で飛ばされるところだった」
「悪い……」
身を乗り出していたことに気づいて、静かに椅子に座り直す。
「変わらないねえ、全く」
憎々しげに笑う。
「僕はこれから、君に質問をする。何をどこまで知っているかの、擦り合わせだ。でも、君の考える通りに答えていい」
「わかった」
はあ、と深くため息をつかれる。
「君にとって、『昨日』は六年前、と言ったね?」
「ああ」
今の俺の年齢は二十三。済に確認をしたから間違いない。
そして、俺にとっての『昨日』は十七歳の春だ。高三に上がる直前の、三月。部屋に学ランをかけていた頃。
昨日のことなんだ。はっきりと思い出せる。
「でもさ、それにしては辻褄の合わないことが多いんじゃない? 例えば、変わらない幼馴染とか、さ?」
そうだ。何もかもが、記憶と一致している。六年も月日が流れれば、普通は姿形が変わって然るべきだ。なのに、建物はおろか、人も記憶上と相違ない。済も、行きつけの喫茶店のオーナーも、俺自身も。老けた様子はなく、そっくりそのままだった。だから余計に実感がない。
でも、変わらないなかで、わからないこともある。
「お前は、どうなんだ?」
単や目の前にいる真関が、どうして俺のことを知っているのか。ひっくり返っても思い出せない。
男は一瞬、考える様子を見せて、やっぱり笑みを浮かべた。
「いつも通りだよ。少し寂しいくらいだ」
「でも、それだけ」とあっけらかんと話す姿に、単の影がちらついた。
──「やだなぁ、忘れちゃったの? ま、お兄さんが『寂しい』のはいつも通りだよね」
単も、あくまでも冗談めかすような軽い口調だった。でもそれが余計に、隔たりの存在を浮き彫りにする。
俺は、いつも通りじゃない。基準になるものが、ない。
「記憶が、……ないんだ」
鱗が剥がれ落ちたように、言葉が零れる。
口に出してもしっくりこない。突きつけられても、未だに受け止めきれずにいる。
「安心していいよ」
満面の笑みを浮かべる姿に、言い様のない不安が胸に広がっていく。焦りすらあった。
「済くんも、僕をクズとしか認識してない」
知らない人間に、いつも通りに接されても、実感がない。本当にそこに存在していたのは俺なのか。到底信じることができない。
足元が、崩れていっているような錯覚すらある。
でも、だからこそ。知らなければいけない。目を逸らしてはいけない。
「俺は」
浅くなった呼吸を整えて、霧散する思考を繋ぎ止める。
「俺は、友達を思い出したいんだ」
俺と関わってくれる人とどんな日々を過ごして、どんな思い出を積み重ねていったのか。
俺の出来うることを見つけ出して、そして。単の抱える歪みを取り除きたい。
「ああ。君は、そういう人だよね」
左手で顔を覆っているから表情はわからなかった。でも、肩を震わせているからきっと笑っているのだろう。
声色も、ずいぶん明るい。呆れたような、でも納得もしたような、複雑な色をしていた。
「でも、その認識は改めた方がいい」
男は、俺の顔の前で人差し指を立てた。視界のど真ん中に飛び込んできた指が、煩わしい。顔を少し背けると、にんまりと笑う男の姿があった。
認識を改めるって、なんだよ。
「……記憶を取り戻さない方が良いっていうのか?」
そんなのは、酷だ。失ったのなら、誰だって取り戻したくなる。俺は、知りたい。俺の過去に何があったかを。記憶を失う原因があったのなら、それも。
けれど予想に反して、男は静かに首を振った。
「勘違いしないでほしいな。失ったのは今日に至るまでの記憶であって、空白の六年間じゃない」
「今日に至るまでの期間が六年、だろ?」
「いいや。君の昨日の先にあったのは、確かに今日なんだよ。……わからないかなあ?」
わざとらしく、語尾が上がった。何が楽しくて仕方がないのか。男の笑みが深まっていく。
「何もかもが変わらないのなら、それは実際、『変わってない』ってことさ」
未だ、状況が掴めない。
いや。掴めていたとしても、信じることができようか。俺の耳は正常か? 目の前に、男は座っているか?
常識を覆すことばかりが起きる。熱中症で浮かされた幻覚だといわれた方がよっぽどマシだった。
むしろ、そうであってほしいと願うほどに。
なおも、オカルト言説は続く。
「また明日。そうして当たり前のように迎えた次の日が、たまたま異質だっただけのこと。案外、気づいていないだけで世界っていうのは、そういうものかもしれないぜ」
そんなわけがあるか。荒唐無稽だ。
でも、否定しようにも、喉が乾いて声が出ない。
……違う。認めたわけじゃない。でも、……違っていてほしい。
「そして、こう繋がってくるわけだよ」
男はわざとらしく、咳をする。