死体専門探偵 真関塁
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「以上で、お手続きは終了でございます」
事務員が差し出したカードを受け取る。
俺の顔写真と、住所や生年月日等の個人情報が書かれていた。驚くほどに、違和感なし。俺は、記憶上の俺と相違ない。
ただひとつあるとしたら、これが学生証でないことだった。
「どうされました?」
「いえ。ありがとうございました」
会釈をして、住民課のカウンターから離れる。
「オレの手足となる以上、明かせる身分でないと困る。だろ? 丸腰野郎」と、済の助言がもう一度頭に響く。
再発行してもらった身分証を財布に入れると、スペースがまたひとつ埋まった。
「社会人、か」
実感がない。
記憶としてある『昨日』までは、学ランに身を包んでいた。
なのに、朝、部屋にかけられていたのはスーツだ。見知った自室が、酷くそっけなかった。
袖を通す度、世界に置き去りにされた恐怖が襲う。スーツに操られている錯覚に陥りそうになる。
「さて、先生に会いに行くか」
悩んだところで、俺のなかに答えはない。疎外感の特効薬は、現状把握だ。
小指の感覚を失う、その前に。俺が出来うる限りの、正義を果たす。
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この先の角を曲がれば、目的地だ。走るか一瞬迷って、結局やめた。
点滅していた信号が、赤く点灯する。
何から聞こう。何が答えられるだろう。俺は何に、疑問を抱いているんだろう。
俺がおかしくなったのか。それとも、世界が変わってしまったのか。
どうしたら、単を救えるのか。
思考の渦に囚われかけたとき、ゴンゴンと、なにかを激しく叩く音が耳に入ってきた。
顔をあげて、周囲を見渡すと、ハンバーガーショップの窓を叩く男と目が合う。
勢いよく手を振られている、ような。
「────」
声は届かない。ただ、手招きをしている様子だけがはっきり映っている。
「……俺?」
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「昨日ぶりだね!」
席に向かうやいなや、満面の笑みで俺を迎えた。
ワイシャツにスラックス姿の、十代の男だ。学生だろうか。
出会った記憶はなかった。
昨日は、目を覚まして、部屋に違和感を覚えて、端末のディスプレイに並ぶ電話番号の多さに気を失いそうになって、それから、──単と出会った。
「初対面の、はずですが」
知らぬ間に記憶が抜け落ちていなければ。
でも、男は気分を害するどころか笑みを深めた。
「だから『昨日』ぶりなんだよ」
意味深に協調される『昨日』に、息を飲んだ。
その昨日は、俺の考える『昨日』だろうか。
腰を落ち着けて、話が聞きたい。男の正面の椅子を引いて、腰を掛けた。出来る限り、平静を保つ。
「昨日って、……六年前?」
抑えきれなかった期待が声に乗る。
「六年前ときたか」
正答ではなかったにしろ、少なくとも通じてはいるらしい。
「馬子にも衣装、とはこういうことを言うんだね」
「何が」
「スーツの着心地はどう? 学ランとは違うんじゃない?」
ガタ! と音を立てて椅子が倒れた。店内の視線が俺に集中する。
男の着用しているワイシャツには俺の高校の刺繍が入っていた。
「立場を別つ、友人よ。語り合おうじゃないか。ねぇ?」
椅子に座り直す。
「……その前に名前を教えてくれないか?」
「あんなに呼んでくれてたのに、忘れちゃったの?」
「ショックだなあ」と、呟く表情から悲しみは一切感じられなかった。それどころか、楽しんでいるようにすら見える。
「仕方ないなあ。最初は、『ま』!」
「ま」
「次はひとつ飛んで、『ぜ』!」
「いや、ひとつ飛ばさないでくれないか?」
深いため息を吐かれた。
「人生に余剰は必要不可欠だぜ? 遊び甲斐のない突っ込みは誰も幸福にしないよ」
頬を膨らませて非難される。
「えっと、じゃあ『ま』と『ぜ』の間はなんだよ」
「調味料の頭に来るものかなー」
名前当てに興味をなくしたようだ。ストローの袋でバネを作り始める。釈然としないが、考えなければ話が進まない。調味料の頭。
調味料に頭なんてあったか……?
「そういえば、家庭科は家庭崩壊が目に浮かぶ点数だったね」
「るせー」
焼いたケーキは爆発し、クッキーは消し炭になった。うまくいったかと思えば、砂糖と塩を間違える始末。
……あれ? 調味料の頭。さ、し、す、せ、そ。
「砂糖?」
「そ。真関 塁だよ」
「途中で投げるな、……って、真関 塁? それって」
名刺に書かれていた名前も、確か。
「死体、専門、探偵」
「へぇ。……済くんには、なんて?」
「この世で生きるに、相応しい」
クズ、とは本人に向かって言うのは憚られた。でも、男はふっ、と笑う。
「クズ、でしょ? 酷い言われようだ! ま、その見解は正しいと言えば正しい」
「……自覚があるのに直さないのか?」
男は、ストローの袋で折っていたバネを畳むと、端を人差し指の爪で押さえた。弾かれたバネが、みょん、と跳ねる。
「生憎、それを生業としてるんでね。自殺しろって言ってるようなもんだぜ」
「それは、……困るな」
飛び出した単語の突拍子のなさに驚いていると、机の向こうから手が伸びてきた。
「この世は、デッド・オア・アライブだ。君が今日を生きているのなら、僕は全身全霊をかけよう。……ま、要するに。よろしくね!」
伸ばされた手を握った。冷房とシェイクで冷えた手のひらが熱を共有していく。
「よろしくお願いします」
握り返す力は強い。まるで、不安を握りつぶすかのようで、仄かに安心感を抱く。
「ところで、お腹減らない?」
男が眉根を下げて照れ臭そうに笑って、間もなく。男の腹が鳴った。
詰まっていた息がふっと抜ける。
「はは。お腹空いた!」