均すもの
窓の向こう、行き交う人々を眺める。流れは絶え間なく行き先も様々で、一人一人カウントするのは至難の技だろう。それでも一人ずつに意思が宿っていて、歩む人生がある。
俺が見てきたもの。知らない電話番号、着なれないスーツ、血液をお金に換える少年、見た目に変化がない知り合い、意味不明なことを自信満々に宣う自称親友、自傷する学生、煽る学生、マスクをしたドクター、別人になった親友、欠けたままの俺。
──「失ったのは今日に至るまでの記憶であって、空白の六年間じゃない」
真関さんの言葉を反芻する。
俺が探していたのは、高校二年から二十三歳として目覚めるまでの記憶。六年の間に積み重ねてきた日々。
俺のことを知っていると話す人が、親しげに微笑んでくれた。愛しさに応えたくなるのは道理だろう。
六年も経てば、世界が根本的に変わっていたって不思議じゃない。小さな変化は、一日どころか一瞬で起こる。爆発的な力が加われば、瞬く間に世界は変わってしまう。
置いていかれたのなら、早く追い付きたかった。
たとえ思い出せなかったとしても、記憶に近づきさえすれば。理由で埋めれば、理解しがたいものも受け入れられる。
……なのに、空白の六年を知るほど、進んでいったのは非常識の侵食。
共感からはほど遠い。
抜け落ちただけだったならまだマシだった。
もとから記憶が用意されていないのなら、俺が持つ違和感はなんなんだよ。
どうして俺は、まかり通る理すら拒絶してんだ?
「記憶を取り戻せても、君はひとりぼっちかもね」
「……嫌味か?」
「まさか、皮肉だよ。ま、捉え方は人それぞれだぜ」
広がったままだった万国旗を畳んでいく。小さくなった旗たちは、真関さんのポケットに帰っていった。
「どうしたい? 目を背けて耳を塞いでも、非難はしないよ。君は嘆くだけの理不尽を知ってる」
幸い、記憶が抜け落ちている途中だ。真関さん曰く、俺ももう少しで元通りになる。
以前の状態に戻るのか、済のように全く違う誰かになるのかは不明。
どちらにせよ、三日前に目覚めた間明晴間の意識は、書き換えられる。俺も、″とって換わった側″らしいんだ、連鎖的に正しいのかもしれない。
俺じゃない俺の《目覚め》が繰り返され、今の俺は跡形もなく消える、それだけ。世界にとっては、それだけだ。
血液が、血管を圧迫している。どくどくと、脈打つのを感じる。こめかみを押さえた。
呼吸を忘れていたらしい。深呼吸をして酸素を取り込む。
……意味わかんねえオカルトに付き合わされて懲り懲りだった。眠って迎えた明日には、全部夢になっていてほしい。気だるげに入った教室で、おはようと挨拶を交わす。変な夢を見たって、笑い話をしよう。その輪に、真関さんが居る想像はうまく出来ないな。
……空想に浸る一方で、目はギンギンに冴えていた。
夢でない証拠ばかりを目にして来たのだ。微睡むことすら許されず、非常に残念だった。まさに皮肉。焼却したって食えやしない。
俺は消える。逃れようのない現実だとしよう。それが世界の理だと、一旦受け入れる。
人の記憶は一定ではなく、書き換え″られる″。証人は済と俺。
正直、済や真関さんが大がかりなドッキリを仕組んでいた方がよかった。持つべき友人に頭を悩ませる、それで済ませられた。
大切な記憶は、俺のものじゃないかもしれない。愛しいと感じる心も、俺と一緒に成長してきたものでないかもしれない。
俺は、何を以て、俺だと言える?
「誰かになる前、みんな……こんな思いをしてるのか?」
「記憶の混乱? 人によるかな」
もともと記憶が誰かと共有されるものなら、恐らく混乱は招かない。そもそも、自分を亡くして誰かに生る必要ってなんだ?
元通りってなんだよ。俺らがおかしいのか? 俺が俺でなくなる、意味がわかんねえよ。
「真関さんは、どうして覚えていられてる?」
済のことも、俺のことも。忘れるのが世の常なら、真関さんは?
「寂しがり屋だからかなー」
適当なことを。真面目に答える気はなさそうだ。マドラーでかき混ぜた氷が、涼やかな音をたてる。
「……ね。君は、君を諦められる?」




