痕跡
「全く、″この世に生きるに相応しい″とは、よく言ってくれたもんさ。間明くんも、そう思うでしょ?」
同意を求められても、イマイチピンと来なかった。生きることに相応しいも何も、ないだろ。生きてるんだし、ただ在るだけ。
「心中は承ってないのに、勘弁してほしいね」
「また物騒な単語が出たな」
「そりゃあもう、毎日命がけだよ!」
その割には、手を組んだ向こう側で笑顔を浮かべている。
「僕が、いつまで″僕として″今日を生きられるかわからないんだからさ」
──「君が今日を生きているのなら、僕は全身全霊をかけよう」
連想したのは、俺や垣内に語りかけていた特徴的な言葉。
「よく、わかんねえな……」
ただ、言い方が大袈裟なだけじゃないのか?
「済くんの生きた証は、誰かの功績に″とって代わられた″」
「はあ?」
とって代わる? 何が。……記憶が?
「あそこに座ってる済が、済じゃないっていうのかよ」
「本人が言ってたでしょ? ────だって」
馬鹿げてる。どこからどう見たって、俺の幼馴染だろうが。
「君を騙そうとしてるって?」
済のことは、俺なりに熟知しているつもりだ。
だからこそ、現状が受け入れがたい。あり得ないことばかりが起こっている。
頭が割れそうだ。
「僕はともかく。済くんは、君を欺くような人なの?」
首を振る。それだけはない。絶対に。
真関さんも済の人となりを知っていた。どんな付き合いか、俺にはわからない。けど、済の異変に気づいた人に違いなかった。
深呼吸をして────の様子を見た。
外見上は、済かけるだ。
けれど、書類に目を通す姿に抱いた、違和感。
耳に届く、ボールペンをノックする音。思考に耽る時の癖が済のそれと違う。
俺を見る眼差しも、済からはかけ離れていた。
済は、事件の臭いを嗅ぎ付けた先から首を突っ込む。
あからさまな行動もあれば、日常会話に扮してカマをかけることもあった。
先客を優先するなら、俺とは後日時間をとるだろう。例え、俺のことを忘れていたとしても。必ず。
興味の果てが世界の果て。それが、俺が知る済の性分だった。
「全く、大層な信頼だ。……ああ、刷り込みの範疇だっけ?」
「電話したときはまだ、済だった」
俺のことを覚えていたし、金のナイフの食いつきもよかった。
いつ? どうして。済にいったい何が?
────は、俺を同期だと言い、ジャケットに、金の蔦を象ったバッジをつけていた。
すなわち、銀行員。
済の職業は、ライターだった。収集癖が激しい情報通の済にぴったりだと納得した記憶が、俺の中にある。
真関さんの紹介のときに名刺をもらったはずだ。勤め先の記載は──ある。
企業名である″エウヘメタル通信社″、事業所の住所、済の名前と連絡先が、確かにあった。
「……俺はどうして、真関さんのことを忘れたんだ?」
「忘れてること? たくさんあるぜ。君は、どれだけ梅干しを食べてきたか覚えてるっていうの?」
「覚えてられないくらいだな……」
「種を飲み込んだ数は?」
「それはゼロだろ」
「梅の木が生えてくる! って焦ったことあるでしょ」
口の中だけじゃなくて顔まで酸っぱくなる話だな……。
「済はどうして、俺と真関さんが親友なのを黙ってたんだ?」
俺が記憶喪失だと気づいたなら、予め教えてくれていてもよさそうなのに。齟齬が生じたら、回り道になりかねない。
済の口から話を聞いていれば、真関さんの話だってもう少し真に受けられた。それがどれだけ突飛な話だったとしても。
俺と親しかったのなら尚更だ。親しい人と話すことで、失った記憶が蘇る……とまではいかなくても、俺の中の空白は埋まる。
……俺が真関さんと無関係だと思っていた? それとも、余計な混乱をしないように?
そもそも──、済はどうして、済自身が真関さんと親しい前提で話さなかったんだろう?
「そりゃあ、済くんが僕のことを忘れているからだね」
想像の外。緩やかなカーブを描いた球が飛ぶ。
日常の延長線であるかのように言葉は続いた。
「たった今、君のことを忘れたように」




