『────』
「……間明さん、ですよね? 確か、人事部の」
「はあ……?」
遅れてきたなりの、ジョークか? 済は、そんなことするやつだったか? 五年も経てば変わる。それはそうかも、だけど、なんだこの違和感。
「……同期の顔も、覚えてませんか? そういえば、数日無断欠勤してるって……、学生服着て何してるんですか?」
見ず知らずの人と話すような、距離感。じっとりとした視線に、汗ばんでいく。
「……冗談きついって、なあ、済。遅れてきても怒らねえから。誤魔化すなよ」
思わず手を伸ばす。肩を掴もうとしたそれは、直前で振り払われる。
「なんで」
「スイマセン。これから約束があるので、資料をまとめないと。もういいですか?」
約束? してたのは俺だろ?
「マスター……」
俺が済を待ってたの、知ってるだろ?
「ええっと、……すいません」
マスターは注文書を片手に、眉を下げた。困らせたいわけじゃなくて、……だから、冗談はよせって……。
「……それに、どなたと間違えられているか存じませんが。私の名前は────です」
誰だ? 聞き取れない、知っている名前のどれにも当てはまらない音だった。
いや、どう見たって見た目も声も済なんだから、済だろ。変わらない風貌だ。黒い髪に、首のほくろに、たれ目と涙袋が特徴的で、それから。
「済、」
「それ以上は厳禁だよ」
「………………、真関さん」
振り返った先にいたのは、真関さんだった。済に視線を戻すと、ようやく解放されたと書類に向き合っている。ああ、もう、なんなんだ?
「こんにちは、間明くん。調子はどう? そろそろ新しい親友が出来た頃?」
探していた人は、向こうからやって来た。
「親友の名前、当ててあげようか! ズバリ、胃痛! ふふ」
「やめてくれ……」
頭が痛い。
「ま、座りなよ」
頭を抱えている間に、真関さんは奥の席へ移動していた。
学生鞄を下ろし、腰かけている。
「それ、俺の台詞じゃないか?」
「タルト頼む?」
「頼む……」
反射的に、唾を飲み込む。非常事態でも食欲はある。ちょっと憎い。
ここのタルトは安くて美味しい。その上おおぶりで、食べごたえもある。学生のときに、入り浸っていたものだ。
「……あは、戻ったみたいだ」
それは、真関さんも同じらしい。
真関さんはしみじみと呟くと、穏やかな笑みを湛えたまま、メニューを手に取った。
「……そうか」
正直、違和感の塊だ。でも、今なら真関さんの気持ちも理解ができるかもしれない。
親友に急に忘れ去られた、空白が。
「制服も着てることだし、ね!」
「これは、……着替えがなかったからで」
さすがに血がついたシャツとジャケットでうろつくわけにいかないだろ。
真関さんがすぐに貸せる服はこれだけだと渡してくれた、朝の出来事。
そう。これは、真関さんの制服だ。ローテーブルに映る自分の姿を眺めているうちに、記憶が蘇ってくる。
正直、制服は今の俺の肌に馴染みすぎていた。半ば着用を忘れていたくらいに。
……戻ったみたい、か。
シャツの袖口を擦った。三年近く毎日袖を通してきた生地。慣れた感覚は懐かしさを遠ざけ、崩壊ばかりを呼ぶ。
「無理しなくたっていいんだぜ?」
あくまでも、真関さんの目はメニューに釘付けのまま。なんでもないように装われていた。
「いや」
首を振って、呼吸を意識する。いつのまにか浅くなっていた。コーヒーの香りで、肺が満たされる感覚。ゆっくり、少しずつ吐き出していく。
「少しすれば、君も元通りさ」
真関さんは、アイスコーヒーについた水滴を指で拭った。線をひいたところだけ、アイスコーヒーの色が鮮明になる。
「なにを、……どこまで?」
俺は、元通りになる道標を何一つだって持ち合わせていない。
「僕らを引き合わせたのは?」
「済」
「なのに、僕のことをスルー!」
真関さんは頬杖をついた。目線の先には、資料に目を通す済の姿。
「あれだけ知りたがってたのに」
心なしか、寂しそうに見えた。当たり前か。友達に忘れられたんだ。……なんて、どの口が言うんだか、な。
「僕をクズ呼ばわりすらしてくれない」
「それは、……良かったんじゃないか?」
されたくないだろ、クズ呼ばわり。




