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Re:act


 ■■■


 喫茶店の場所は、覚えていた。

 歩道橋を渡って靴屋を右折、数メートル歩いた先のティーカップの看板が目印。

 来た道を振り返っても、記憶は飛ぶことなく鮮明に思い出せた。

 歩道橋の階段を上ると、小さな影が視界に入る。思わず駆け寄って声をかけた。

「単!」

 歩道橋の欄干によじ登って下を覗いていたのは、見覚えのある金髪の子供。

「やあ、こんにちは。間明のお兄さん!」

「落ちるぞ」

 風が吹いてバランスを崩せば、道路に真っ逆さまだ。

「もう。挨拶はビジネスの基本だよ?」

 口を尖らせながら、欄干から飛び降りる。良かった。

「こんにちは、単」

「はい、こんにちは!」

 単は嬉しそうにパタパタと右手を振る。ほぼ反射的に、目が小指を追った。

「……その、指」

 凝視する俺に、単は一瞬首を傾げる。すぐに思い至ったようで、自分の右手の指を「いち、に、さん、よん……」と一本ずつ数え始めた。

「ご。……うん、生えてるねえ」

「は?」

 生えたって、小指が? すんなり肯定されて、混乱する。

「だって一昨日……やっぱり、あれはマジックショー」

 だったのか、と腹立たしさよりも安堵が上回る、寸前。

「あ、でも。ほら!」

 無邪気な笑顔と突き出された左手に遮られた。

「お兄さんと指切りした左の小指は、変わらず、あのときのままだよ!」

 切り落とした小指。巻かれている包帯で、断面こそ見えない。

 それでも、一昨日の光景は目に焼き付いている。止まらない血も、単の表情も、金属が落ちた甲高い音も。

 一瞬、吐き気が込み上げる。飲み込まされた常識は、未だに根付かない。

 ……ああ、そうだ。まだ(、、)根付かずに、在る。

「……覚えてる?」

 単は、恐る恐る俺の小指を握った。

 しゃがんで、単の目を見る。不安に揺れる紫色の瞳。

 控えめに握られた手を、握り返す。

「全部、こびりついてるよ」

 忘れられるわけがない。あんな衝撃。二度とごめんだ。

「ほんと~? 嬉しいな」

 くすぐったそうに、繋いだ手を揺らす。浮かべた笑顔は年相応に見えた。

「間明のお兄さんとお話をするの、今日は二回目だね」

 今日は、二回目? 変な言い回しだ。

「……今日で、だろ?」

 言い間違いを正したつもりだった。けれど、単は首を振る。

「朝、真関のお兄さんを追いかけてたでしょ?」

 ああ、また。俺が知らない、俺の影がいっそう濃くなる。ドッペルゲンガーを追っているようにすら思えてきた。目眩がして、眉間を押さえる。

「邪魔したの、やっぱり怒ってる? だからごまかすの?」

 俺を巣食っている空洞の輪郭は、今だ不明瞭。

 手にした瞬間から手放す始末。

「だって、全部、覚えてるんだもんね……?」

 識らない。わからない。

 その感覚には、もはや慣れが来ていた。驚くだけ今更。腐れ縁が顔を見せた感覚すら抱き始めた。

「なあ、俺、指の話も……朝してた?」

 まさか、しないわけがない。聞きながら、答えは分かっていた。

 単の反応が物語っている。不思議そうな顔も、不安に揺れる瞳も。同じ話を繰り返す知り合いと遭遇すれば、誰だって戸惑うし心配する。

 繋がっていた手が、そっと離れていく。

「待っ……」

 なくした感覚に思わず顔をあげた。

 包帯が巻かれた左手が視界に入る。

 約束を破りたくない、守りたい。嘘じゃない。

 それでも、俺は……いつまで誠実で居られる? いつか、約束すら忘れるんじゃないか?

「もー、仕方ないお兄さんだなあ」

 カーテンを突き抜ける光のような、明るい声だった。

 真関さんと重なる。安心していいよ、と笑うあの姿が。

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