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記憶の再分配


 ■■■


 挑んだのは、無謀な賭けのはずだった。

「立て付け、……悪くねーな」

 ……なんで?

 あまりにもあっさりとした感覚に、思わず手を離す。

 バタン、と目の前のドアは音を立てる。

 建物を間違えた可能性は、表札を確かめることで消えていた。

 思い出すのは、真関さんの言葉。

──「どちらにしても。開かないんだ」「一階の玄関」

 財布も端末も忘れたと気づいたとき、あんなにも血の気が引いたっていうのに。

「なんで、嘘なんか」

 ただの意地悪で言った、とか。……あり得る。けど、わざわざ一階を塞ぐ意味は?

 ため息を漏らしながら、ドアノブに手をかけた。

 相変わらず理解が追いつかない。

 でも、扉が壊れていなくて良かった。

 直すより注意する方が遥かに簡単だ。

「真関さんなら、早々に出たが?」

「は、……痛!?」

 人の姿に驚いてドアに頭ぶつける。衝撃の強さに、うずくまった。

「大丈夫か?」

 心配そうな声が上から降り注ぐ。顔を上げると、ドクターの姿があった。

「すいません……」

 謝りながらも、マスクを凝視してしまう。

 昨日はキリン、今日は鶏のマスク。……朝だから?

 素顔はわからないまま。仕草はたおやかだけど、口調は堅苦しい。表情がわからないのは、やっぱり不安に感じる。

「その……行き方、忘れて……」

 口にしながら、今でも信じられない。だって俺は、道を覚えるのは得意なはずだった。

 訪れたのが数年前だったなら、記憶が朧気で辿り着けないかもしれない。でも、真関さんに連れられて来たのは、昨日。

 エウヘメタルは生まれ育った街だ。目印も通りも把握している。

 なにより、失った″後″の真新しい記憶、なのに。

 来た道を戻ろうと振り返ったとき、なにも思い浮かばなかった。

「でも、助かりました。悪くなかったんですね、立て付け」

「……ああ」

 いつから立て付けが悪かったんだろう。

 事務所というよりは、倉庫の一部分に足を踏み入れたような玄関スペース。

 玄関として機能していない、誰かを迎え入れる空間とは言えないくらいの乱雑さ。立て付けを理由に、掃除をサボっていたんじゃないかとすら思える。

 続く廊下も、事務所と同じような統一性のない小物が並んでいた。本は本棚に並べられているかと思えば、はみ出て積まれているものもある。

「あれ、これ」

 本棚の上の写真立てに、目を奪われた。

 瞬間、強烈な違和感を抱く。

 エプロンをつけた真関さんと、俺と済の姿。

 おそらく、調理実習。記憶にある家庭科室と全く同じ。

 だけど、俺の記憶では真関さんは──。

「……ああ、垣内のクラスメイトだったんですね」

 写真の中で笑顔を浮かべる、真関さんと垣内と、ハンバーガーショップに居た二人。

 クラスメイトだったのなら、真関さんが垣内のことを知っていても不思議じゃない。

「……君は」

 凛とした声が響く。思考が止まり、反射的に顔を上げる。

「五秒前に考えていたことを思い出せるか?」

 馬鹿げたことを聞かれた。でも、あまりに大真面目なトーンだから、一瞬怯む。

「……そりゃあ道には迷いましたけど。そのくらいなら」

 五秒前は、写真の違和感を探っていた。

「真関さん、ちゃんと馴染めてそうで良かったです」

 真関さんの言動は、現実から浮いているように感じた。わざとはぐらかして振り回しているんじゃないかと、疑ってもいたけど、笑顔を浮かべる姿は幼い。友達に恵まれているみたいで、良かった。

 もう一度写真をみる。

 そこには、雲ひとつない青空が広がっていた。

「問おう。真関さんは、どこに?」

「え……」

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