慈善事業の延長線
振り向かずとも、声の主には覚えがあった。僕にとっては最悪で──曰く、絶交のタイミングでの登場。さすが、監視しているだけある。
「それにしては、ずいぶん楽しそうだね」
「誰? つーか、それ……」
ザリ、と音を立てて、塩上くんが後ずさった。
塩上くんの目の前に広がる光景を想像するのは、容易い。
些か、ショッキングだろう。でも、君も大概だぜ? という突っ込みを飲み込み、息を吐いた。
振り向いた先は、予想通り。
「志崎。……お前、また腕を落としたな?」
バッサリと。左肩から下を切った志崎が、見下ろしていた。月を背負って立つ志崎と、志崎が作った影に収まる僕と塩上くん。
いつどこであろうと、まず、長身に腹が立つ。
「慈善事業の延長ですよ」
今は長身以上に、いつも通りの剽軽さがカンに障った。聞き慣れているだけあって、察しはつく。慈善事業とは名ばかりの行為。
「よく言うよ。回してるのは口だけだろ?」
いったいどれだけの人間を貶めてきた? どれだけの人生を壊した? どれだけ破滅に誘ったら、お前は満ち足りる?
「睨まないでください」
「……、睨んで、ない」
ぬかに釘。罵ったところで、変わりようがないことも、知っている。この憤りはすべて、僕から発生していて、どことも繋がる術を持たない。
落ちている小石でも数える? ……暗くて見えないな。じゃあ、服の皺。数えられるならなんでもいい。冷静さを取り戻すのが、先決。
「塁」
「……」
「……お前、塁じゃなかったか?」
「え?」
あ、僕? 塩上くんにワイシャツを引っ張られて、名前を呼ばれていたことに気づく。
久々すぎて、反応することも忘れてた。
「るいるいだよ~!」
「コイツ、……知り合い、か?」
華麗にスルー。それはそうだ。我を失ってる場合じゃない。
「塩上くん。……コレは志崎」
「オや?」
人の存在に興味を示したように、塩上くんを覗き込んだ。長身であるだけで、威圧が生まれる。不敵な笑みを浮かべていようものなら、恐怖はさらに上乗せされるだろう。
塩上くんを背に隠す。どうか、興味を持つな。鼓動が早くなるのを感じ取りながら、一呼吸。
「……この人は、間明くんじゃないよ」
「ヘえ。それでは、お戯れの一貫で?」
戯れ? ハ、上等だよ。
「命懸けてこその道楽、だからね」
「ソうですか」
監視をしていても、興味さえ持たなければ干渉まではしない。志崎に限ってなら、間違いないと断言出来る。
問題は、いつ興味を示すか。予測がしづらい。いっそ、捕縛すれば最悪は免れる?
今だったら、腕も一本──。
「アンタ、腕は……」
「塩上くん!」
「アあ。コレですか?」
左腕の断面を、そっと撫でた。まるで壊れ物を扱うような、繊細さで。
「視るな!」
「は……、何言って……」
「生えますから、お気になさらず」
「生える? なにが……」
固まったまま動けない塩上くんの頭を掴んで、跪かせる。出来れば耳も塞いであげたかったけど間に合わない。
「御覧にいれましょうか」
言い終わる前に、それは始まった。
切断面からコードを象った志崎の神経が伸びると、無数の泡が沸きだし、覆っていく。瞬く間に皮膚が再生し、腕へと換わった。
手を握っては開くを二回繰り返し、微笑む。
それは本来、人が直視していい代物じゃない。
「……痛むか」
「全く」
そう。そうだろうなと、わかってた。
ただ、今は落胆に沈んでいる場合じゃない。
「いきなり何するんだよ、って、は……?」
何度目を擦っても変わらないよ。君の瞳は、正しく世界を映し出しているのだから。
「これが、現実なんだ」
志崎の左腕が刃物で切り落とされていたことも、それが一瞬で生えたことも。これは現実だ。
誰もが縋り、信じ夢見た世界の理には、からくりがある。




