ひと月記念日
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「背中をざっくりとかさあ、君も手段を選べなくなってるんだねえ」
「…………は」
息を呑む気配がした。背中に刺さったナイフが持ち主の手から離れる。でも次の瞬間には、より深く押し込まれた。
「ゔ……っ」
今度迎えに来るときは霊柩車だって言ったのに、呼ぶのはパトカーの方が良さそうだ。
「……君が浮かべている表情を当てて見せようか? 僕の第三の目で! なんて」
和やかなジョークでも……と笑いかけて、飛びそうになったのは僕の意識だった。
「い、いたいいたい! 引き抜──いッ」
全神経が異物に集中した。小刻みに、肉を抉る感覚に涙が滲む。浅くても整えることで平静を保とうとしていた呼吸が詰まる。
「はあ、はあ……。引き抜くときくらい、優しくしてくれても、よくない?」
うまく、頭が回らない。
痛みで遠退きそうな意識。
よたった体を、壁に預けて、なんとか座り込むことは回避する。
「……はぁ」
頭を冷やせ。数を唱えようか? それとも……。
──いや、現状を再認識する方がもっとスリリングに覚醒できる。
僕の名前は真関塁。
取り立てて特徴のない高校生だ。
年齢は、十八。
今日の日付は? ……いつだっけ。
質問を変えよう。
日付に意味がなくなってから、何日が経った?
──今日で、ひと月。
世界が僕を忘れてから、一ヶ月が経った。
「……はぁ」
まさか、一ヶ月記念日にナイフで一突きされるとか、趣味悪くて笑っちゃうね。
甲高い音がビルの隙間に響く。恐らく、金のナイフがコンクリートの地面に落ちた音だ。
「なんでお前、なんも流れねえの?」
温度のない声だった。それでいて、夢を見ているような浮遊感。
僕の心臓は今も脈打ってる。刺傷箇所は熱を持っているし、涙以外の何かが滲み出しそうな気配だってある。
だけど、そこは虚ろに穴が開くばかりだった。
一言、文句を言いたい。でも、振り返って漏れたのはため息だった。
君はもっと早く、気づくべきだったんだよ。
迷子だってことにさ。
「あー……。ナイフをくれた人から、聞かなかった?」
血は流れなくても、残念ながら痛みはある。曝した穴に、夜風が涼気を運んできた。皮膚がヒリつき、脂汗が滲む。
「金の亡者の、都市伝説」
曰く、″この世で生きるに相応しい″クズ。
「違う、俺は」
「どちらにしても、君はもう助からないよ」
悲痛に歪む顔。どうして刺された側の心が痛むかなあ。
「ちなみに今日の刺客は、君で二人目」
二人を示すピースサインをピッと向けると、呆けた顔を浮かべた。少し意識が逸れたようだ。まあ、本題からはズレてないんだけどね。
……痛みも少し和らいだ。刃渡りが短くて助かった、というより助けられた。それだと、言い方がおかしいか。
ギリギリ、気絶に至らない程度に“調整”をされていた。
「……やっぱ趣味合わないな!」
「それが人のやることかよ」って笑ってあげたいけど、それこそ冗談で済まないんだろう。
歪みに気づいていなければ、金のナイフなんて御守り以上の役目を持たない。
人であるなら、金のナイフを使用しなくても生きていけるんだから。
屈んで、ナイフを拾う。落下時の衝撃により、装飾部分はボコボコになっていた。
当然ながら、ナイフに血液は付着していない。
殺めようとしていた痕跡は残らず、何事もなかったと主張している。
絢爛豪華な金色のナイフ。




