君の意志
「君は良いの? それで」
学生は答えない。
真関さんのやることは全部、無茶苦茶だ。
「良いんだ」
俺の返答に、学生は頷くことも首も振ることもなかった。目を瞑り、俯いたまま。とても、答えられる状態じゃない。
「そう」
真関さんから洩れたのは、平淡な声だった。嬉しいも、残念もない。ただ、受け取った事実を示す一言。
ゆっくりと、ナイフの拘束が解かれた。
「試すなよ。だから、俺も真関さんもここにいるんだろうが。……気が済んだかよ」
「面白味がない。バカ真面目。盛り上がりにかける。一番緊迫したシーンって、発砲音が鳴り響いたところじゃない? 全く、人生に余剰と余興は必要不可欠って言ったじゃん」
「悪趣味だな」
「君も大概、悪食だけどね」
「それで、真関さんの望みは?」
「もちろん、垣内祥貴くんの力になりたい。それだけだよ」
かいと、よしたか?
聞き覚えのない名前だった。でも、今、このタイミングで名前を呼ばれる人間は恐らく、ひとりだ。
学生を見る。やはり、見開いた目が、真関さんを映し込んでいた。
「お、れの? どうして」
学生──垣内の拳が力む。疑問を抱いて、呆気にとられていたのは一瞬だった。皺が寄った患者服から感じ取れるのは、憤り。
「僕の望みは、君の意志。……知ってるんでしょ? 僕のこと」
「……探偵」
「そう! 解決したい謎があるのさ。それには、君の協力が必要不可欠。だから助けてほしいんだ」
「俺には何もありません、それは証明されました、あなただって見たはずです」
そう、早口で捲し立てる。苛立ちが募っていってることは火を見るより明らかだった。纏う空気がヒリつきはじめて、顔も背けられる。全身から否定の意思を感じた。
それでも尚、真関さんは笑う。親しい友人に向けるような、優しさを湛えて。
「僕のことは気軽に、真関さんって呼んでよ」
「……それ、気軽か?」
パーソナルスペースが半径一キロくらいありそうじゃないか?
思わず口に出たけど、話の腰を折る気はない。小声の突っ込みは拾われることなく、話は進んでいく。
「僕は他でもない、君の、君が持つ意志を借りたい」
「赤いです、俺。何も……力になれない」
赤い血。それは、生きているのなら流れて当然のものだったはずなのに。どうして苦しめられなければいけなくなった?
俺はどうして、その苦しみを理解できない側に立っているんだ?
垣内の呼吸は浅い。右手は腹をおさえたまま、顔を伏せた。患者服に、染みが生まれる。
涙は一円にもならない。単の言葉が、頭の中で反響する。
ああ、涙は、一円にもならないだろう。
だって、それは一円にならなくてもいいのだから。
「君の価値を証明をするのは、ナイフじゃない。これは僕の持論でね。話す度に笑われちゃうんだ」
「……わかりません、そんなの」
「でも、君ならわかってくれるんじゃないかなって、僕は夢を見てる」
ベッドから体を起こした状態のまま、顔を伏せている。真関さんが垣内の目線の高さに合わせて屈んだ。
顔を上げたときに、目を真っ直ぐに見つめられるように。
「言えないよ。異端は俺だ。俺だけ、なのに……助けて、なんて」
「存在を否定されてまで、生き抜こうと前を向ける人間は僅かだと、僕は思ってる。この世界なら、尚更。それでも問うよ。これはルールや常識上ではなくて、君の意志で答えてほしい。……君は、生きたい?」
「死にたくなんか、殺されたくなんか、ない」
顔はあげられた。でも、目は泳ぎ、声も小さい。静まり返った室内でなければ聞き逃しそうなほどのか細さ。
でもそれは間違いなく、垣内自身の意志だ。
「生きるって、前向きにとらえないといけないなんて解釈をされがちだけど、生まれた上で与えられる──ただの、権利だと僕は思う」
少しだけ赤く充血した目が、真関さんを捉えた。浅い呼吸を繰り返すのを落ち着かせるためか、腹部を押さえていた右手が胸に移動する。
「俺は……」
「……うん」
「俺、……生き、たい」
「うん。……ありがとう。応えてくれて」
つまっていた息が抜けた。安堵が室内に広がっていく。




