赤い血
「は?」
殺す? どうして。助けたんだぞ?
思わず駆け寄ろうとした俺の肩を、真関さんが掴んで制す。真関さんは相変わらず、笑ったままだ。この状況で、なんで笑えるんだよ。
「自覚があるなら、わかるんじゃない? 君の置かれた立場ってヤツがさ」
「俺の気持ちも……、理解されませんか」
その声には、落胆の色が滲んでいた。
理解? 殺してほしいと願う、それを?
……わからない。俺は、何も知らない。胸がざわつく。心臓が鉛になったみたいだ。なにかが、取り返しのつかないところまで来てしまっている。それだけは、ヒリヒリとする空気から感じ取れた。
「こんな僕だけどさ、連続殺人鬼扱いされるのは堪えるんだよね。案外、血は苦手かもしれないし」
「待て」
四つの目玉が、俺の顔に集中した。何を考えている? その目玉に、何を映している? 俺の目玉と、何が違うっていうんだよ。
「殺すとか、殺人鬼とか。なんなんだよ」
「お兄さんこそ、なんなんですか。横槍入れて。見たんでしょ? ……俺の血、赤かった」
なにを、当たり前のことを。
「知らない振りをするなんて、意地が悪いよ……」
どうして泣くんだよ。
俺は、生きていてくれてよかったって声をかけたかっただけなのに。
「人であることの価値を、お金に換えられるなら。肉の塊に成り果てる残酷さは、計り知れないってことさ」
さも当然というように、真関さんは補足する。
実際、当然のことなのだろう。
すすり泣く声が室内に響いている。それが、答えだ。
真関さんが目の前にいる限り、俺は、俺の理解の範疇で物事を考えてはいけなかった。けれど、染み付いた常識はそう易々と塗り変わってはくれない。
理不尽だと、声の限りに叫び出したかった。握りしめた拳を床に叩きつけて、それから、ナイフを壊したかった。
──でも、それで何になる?
何が解決するんだ? 晴れるのは鬱憤だ。しかも、その場限りの。
憎悪を悪戯に漏らしてたまるか。
すべて炉にぶち込んでやる。燃やすべきは憎悪じゃない。俺は、俺の出来得る限りの正義を尽くす。単とも、そう約束した。だから俺はここにいる。
暴れる心臓を落ち着かせるために、鼓動の速度を無視して深く息を吸った。取り込んだそれ以上に、吐き出して、瞼を開く。
「でも、残酷であることの何が嘆かわしいんだろうね」
視界の端で、真関さんが一歩踏み出す姿を捕らえる。
「気を取り直して、自己紹介をしようか」
凛とした声には、室内の湿っぽさを乾かすような眩しさがあった。
「僕は真関塁。整合性が欠けた世界に全てを懸ける者。また、旧友曰く。この世に生きるに相応しいクズ。……君のような、“死体”と呼ばれる人も、全て等しく国の血液として愛する者さ!」
「だからそれ、自己紹介になってねえ、って」
支離滅裂だ。年齢も、何をしているかも、何が好きか……は答えているけど、それだって捉えどころがない。
それなのに、どうしてここまで笑みを浮かべて、胸を張れるのか。結局、何もわからないままだ。
でも、だからこそ俺は真関さんに接触をした。
──「そうでなきゃ、君はここにいない」
真意はまだ計りかねているけど、理解には近づいている気がする。
「……違う、そんなの」
学生は静かに首を振った。
「聞いてた話と違う」
二度目の否定からは、明確な意思が感じ取れた。
「なら参考に、お聞かせ願おうか。それは一体、どんな都市伝説?」
たぶん、真関さんは承知の上で、聞き出そうとしている。学生の様子を窺っているのだろう。
少なくとも、俺の目にはそう映った。
事情を知らない俺としては、現状把握という特効薬を得るチャンスだ。
だから、口を挟まず学生の言葉を待つ。
ピン、と張り詰めた空気が流れている。学生も察しているのか、真関さんに向ける眼差しが鋭い。
「……生きている価値はおろか、死ぬ価値すらもない。俺みたいな屑を、殺して、それから、お金に換えてくれる──」
「神様?」
「そう。死神」
「そりゃあいい! 僕は一度、神様になってみたかったんだ」
パァン!
真関さんが言い終わるやいなや、破裂音が室内に響き渡った。




