5.天使が太っちゃ、話にならないでしょ
カヤはオレンジジュースを一口飲み、ピリポに言った。
「そういうわけで、私、アルバイトをする必要のないことがわかったんです」
「そっか」とピリポはうなずき、身を乗り出してくる。
「それはそれとしてさ、時給アップするから、考えてみて」
(人の話、聞いてない)
ピリポは今度はソファーに背を預け、頭の後ろで手を組む。
そして大げさにため息をついた。
「もうね。うちの業界、ヤバイの。かなりマジでブラック」
「相変わらず天使不足なんですか?」
「猫の手も借りたいくらい」
「そうですか」
「でね、試しに猫にやらせてみたんだよ。天使。さっぱりだったね」
「当たり前じゃないですか」
「いや、いまのは冗談」
(なんなんだ)
「ホントは、高校生の女の子。でも、この子猫ちゃんがもうね。くくく……」
と腹を押さえる。
(変わらないな、ピリポさん)
と内心で苦笑しながら言う。
「どうしたんですか、その人」
「瞬殺。すぐクビになったよ。だって、空飛んでるところ自撮りしてアップするんだよ。天使になった当日に」
「それは、さすがに……」
「でしょ? で、その子がアカウントを持ってるSNSからすべての“いいね”を抹消。さらにこの先、絶対に“いいね”がつかないようにした。生き地獄だよね、ああいう子にとっては」
「そんな操作、できるんですか?」
「あた棒。こちとら、神の使いだよ」
(だったら、なぜその人選?)
と思ってもカヤは口には出さない。徒労に終わるからだ。
そんなカヤをよそに、ピリポはため息をつき、手を上げてスタッフを呼ぶ。
「いや、もうホント。ボクもストレスが溜まってさ。最近は甘いものばっかり食べてんだ」
そしてやって来たスタッフに、今度はチョコバナナフラッペなるものをオーダーする。
「天使って太ったりしないんですか?」
「天使が太っちゃ、話にならないでしょ」
それがどういう話なのかは分からないが、分かる必要もないとカヤは思った。
「それでね、話をもとに戻すけど、カヤカヤのリモコンの精度は高かったし、担当してくれていたあのエリアのあの時間帯は“穏やか度”が増していたんだよ。ようは再犯者がほぼいないし、治安的にもクリーンになる一方だったってこと。早朝のオアシスタイムだね。安心で安全で善の心に満ちた時空間」
そう言われてカヤはうれしかった。
自分のしたことが誰かの役に立つというのはやはりまんざらでもない。
「でも、カヤカヤが辞めてからはかつての状況に戻りつつある」
「………」
「だから戻ってきてほしいんだ」
カヤはオレンジジュースを飲み干し、そしてピリポの目を見て言った。
「条件があります」
「時給は50円アップ」
「違います。私、夜も働きたいんです」
そう言うと、珍しくピリポが真顔になった。
その翌日。
カヤは本郷帝都大学の見えない教会を訪れた。
一ヶ月半ぶりくらいだろうか。
案内役の天使によっていつもの応接ルームに通され、テーブルごしにノーエルと向かい合う。
ピリポの姿はなかった。
「ボクは本来、バックオフィスのスタッフなんだけど、現場にも出なきゃならなくて」
とのことだった。
天使不足はかなり深刻なようだ。