31.アルバイト代も入ったことだし、パフェでも食べに行こっかな
翌日。
見えない教会。
いつもの応接ルーム。
呼び出しに応じたカヤを待っていたのは、むろんノーエルだった。
「座りたまえ」
これまたいつも通りにニコリともせずに言う。
カヤが腰をおろすと、ノーエルは小さく溜息をついた。
仕方がない、とカヤは思う。
今回もルールを破ってしまったのだ。
それも、本職の天使でなければ戦ってはいけないという悪魔と対峙し、しかも勝ってしまった。
アルバイトの立場で。まさに逸脱行為。
それなりのペナルティは課されることだろう。
最悪、クビ。よくて謹慎か。
もしかすると時給を減らされるかも知れない。
どんなペナルティであろうと、カヤは受け入れるつもりだった。
だが、意に反してノーエルはこう言った。
「お手柄だ」
「はい?」
「毒をもって毒を制するという言葉がある。君の今回の行為はそれに該当する」
「それはデビーさんの力を使ってあの悪魔をつかまえたということですか?」
「プロパーの天使にはできないことだな」
「………」
実は当初、カヤはピリポの指示(悪魔とは戦わないこと)に従うつもりだった。
どう考えても自分の力ではあの巨漢に勝てる気がしなかった。
ただ、こちらに戦う気がないにしても、予期せぬことで対峙しなければならない状況に陥るかも知れない。
万一に備えてその対策は講じておきたかった。
「いざとなれば、おれが出る」
と言ったのはデビーだ。
「同じ悪魔同士なら負けるってこともあるが、悪魔に憑依されている人間になら負けることはない。基礎体力が違う」
では、最初からデビーに出てもらえばいいが……。
「そうなると、逆に憑依されている人間の身が危険だ」
相手はデビーには敵わないと判断し、逃亡するために自分が憑依している人間の身体を捨てるはずだ。
その際、その人間を殺すとは限らないが、そうしないと言い切れる根拠もない。
小さくはないリスクだ。
したがってデビーが姿を現した時は、一瞬でカタをつけなければならない。
では、どうするか?
最初の計画は、カヤが巨漢とある程度戦い、疲労困憊を装うということだった。
そのことで油断させる。
「あなたには勝てません」
と悪魔の前で膝をつく。
「悪魔は天使を跪かせることにこの上ない喜びを感じるからな。ま、劣等感の裏返しだ」
なるほど。であるならば、そういう状況を作ればいい。
膝くらい、いくらでもついてみせる。
デビーはいつでも出撃できるようにカヤの動きを把握しておく……という作戦のアウトラインが整った。
これはカヤがくーまとかーらの見舞いに行っている時にデビーとミロクとトキオが組み立てた作戦だった。
その時点ではまだこの作戦はいざという時の保険でしかなかった。
ところがカヤはくーまとかーらの見舞ったことでピリポの指示を無視することにした。
そのため急遽、作戦にゴーサインが出て、デビーがスタンバイすることになったというわけだ。
五郎坊が参戦しているというイレギュラー的な要素はあったし、あの巨漢が憑依した人間の身体を人質にしてカヤを屈服させようとした読み違いもあったが、作戦の基本路線がそれで影響を受けることはなかった。
カヤが巨漢から土下座を求められた時に空を見上げたのは、そこにデビーの姿を確認するためだった。
「とは言え、全面的に褒められたものではない」
と、ノーエルが言う。
「はい」
「そもそもピリポくんがいじけている」
「………」
「何らかのフォローはしておいてくれ。それをもって、今回のルール違反のペナルティとしよう」
「ありがとうございます」
とカヤは素直に頭を下げておくことにする。
その後、気になっていたことを聞いてみた。
「一つ、いいですか?」
「何なりと」
「悪魔に憑依されていたあの人はどうなりましたか?」
「ひどい打撲を負っている上に、数カ所で骨折が見られた。しかし命に別状はない」
「そうですか……」
それらはカヤと五郎坊の攻撃によるものだ。
「気にすることはない。彼はもともと素行の良くない人物だった。あの三人組の兄貴分で、いろいろと悪さをしていたことが分かっている」
「そうなんですか」
「あの三人組が君のリモコンで改心したことに激怒し、その負の感情が悪魔を招き寄せた……と、そういう話だ。リモコンの効果を打ち消したのも、その悪魔の仕業だ」
「分かりました」
「四人とも、まとめてリモコンで更生させておいたよ。記憶も消しておいた。あの街で悪さをすることはないだろう」
「いろいろとお手間をおかけしました」
「あの子天狗たちと同じ病院に入院している。気が向けば見舞いに行けばいい」
「……それは遠慮しておきます」
「ああ、そうだ。アルバイト代を渡しておこう。今回のことでボーナスが出ている」
とノーエルは封筒を滑らせる。
「ありがとうございます」
とその封筒を受け取ったカヤは一礼をして部屋を出る。
教会の礼拝堂に足を踏み入れると、ベンチの片隅に座り、腕に顔を埋めているピリポの姿が目に映った。
小刻みに肩を震わせながら「う……うう……ううう」と声を漏らしている。
泣いているようだが、笑いをこらえているようにも思える。
「ボクなんて、雑い扱いで充分なんだ……ううう」
カヤはピリポのそばを通り、しかし声をかけずに独り言をつぶやく。
「さーて、アルバイト代も入ったことだし、パフェでも食べに行こっかな」
そのまま通り過ぎ、教会の扉を開ける。
途端、
「いやいやいや、カヤカヤカヤ」
という声が追いかけて来た。




