30.はい、そこで両手をついて、こっち来て!
「うほほ。じゃあ、こっちからも攻撃しちゃおうかなー。反撃に移ろうかなー。うほほほ」
そう言って巨漢は三人組に「おーい、あれ」と言った。
唇にピアスがタタタと駆け寄ってきて何かを渡した。
「……ナイフか」
と五郎坊がつぶやく。
「うほほ」
と巨漢がかざしたのは刃先がギザギザとしている、凶悪な光を帯びたナイフだった。
五郎坊とカヤは緊張する。
「うほ。顔が真剣。マジな表情。うほほ。でも大丈夫、これはね」
そう言って巨漢は自身の腕に刃先を当ててスッと引いた。
鮮血が流れ出る。
「!」
「痛ってー! でもおれの身体じゃないし。おれの身体だけど。うほ、今は今だけは」
「気でも狂ったか」
「うほーん。それって放送禁止用語じゃないの、天狗おじさん」
そう言って、また自身を傷つける。
巨漢の左腕はすでに真っ赤に染まっていた。
「あなたは何がしたいんですか?」
とカヤが言うと巨漢はニッコリと笑って答えた。
「うほ。天使ちゃんに土下座してもらいたい。ひざまずいて、ここまで四つん這いでやって来てよ。うほほー」
「そんなこと、」
と言いかけて口を閉ざし、しばらくしてカヤは言う。
「あなたは、その身体を人質にとっているということですか」
「人質?」
と五郎坊がカヤを見る。
「うほー。良く分かったし、すぐ分かったね、天使ちゃん。察したね、素早く。うほ」
「どういうことじゃ?」
「言うことを聞かないと、あの人は自殺します。でもそれはあの人に憑依している悪魔には影響がない。悪魔が死ぬわけじゃない」
「死なぬのか」
「死ぬならあんなことはしないはず」
「うんぽーん、じゃなくてぴんぽーん」
と言って巨漢はくるくるとナイフを回し、その切っ先を自身の喉元に向ける。
その後、泣き顔になった。
「天使さん。おれ、人間だよ。助けてよ。悪魔から救ってよ。おれがやったことじゃないんだ。気がついたら身体を乗っ取られていたんだ。怖いよ助けてよ。土下座して這いつくばってここに来てくれるだけでいいんだよ。見殺しにしないでよー」
それが本来の巨漢の声なのだろう、これまでとは違う声で言う。
カヤは空を仰ぎ、目を閉じる。
「……分かりました」
そしてエンゲルセイバーを収める。
巨漢を見つめながらその場に片膝をついた。
「天使殿!」
「そっちまで這っていけば、その人から出て行ってくれるんですね」
「うほー。出て行く出て行く。でも少しだけ、もう一つだけ、お願いごとするかもね。うほほー、放送できないようなこと。うっほ」
「何をさせるつもりじゃ、貴様!」
五郎坊が叫び、木刀を構えて数歩前に出る。
「待って下さい」
とカヤはそれを制止する。
「私が気にしなければ、それでいいだけのことです」
カヤはもう一方の膝を折る。これで膝立ち状態だ。
「うほー。はい、そこで両手をついて、こっち来て!」
巨漢はよだれを垂らさんばかりに興奮していた。
「そんなに楽しいですか?」
とカヤは冷静な口調で言う。
「楽しいねー。うほうほするほど楽しいよ」
「そうなんですか」
「悪魔にとって天使を屈服させることは何よりの喜びなんだよ。うほほ」
「知ってますよ」
「うほ?」
カヤは膝立ちから正座に移行し、背筋をまっすぐにして言った。
「愚か者」
途端、上空から嵐のような風圧がかかり、ついでズンという音が響く。
「え」
巨漢の背後に悪魔の姿に戻ったデビーがいた。
「はい、ここまで」
とデビーは言ってナイフを持った手をつかみ、反対の手を巨漢の口に突っ込んだ。
「ぐっ、がっ、うぐ……」
巨漢の手からナイフが落ちる。
カヤは立ち上がり、そのナイフを手にして安全な場所に放り投げる。
そしてエンゲルセイバーを起動させた。
白い光が巨漢の顔を照らす。
目がまん丸に見開かれていた。
「お、いたいた、つかまえた」とデビーが喉の中を探りながら言う。「カヤカヤ、いいか?」
「はい」
「おらよっ!」
とデビーが気合いをこめて腕を引き抜く。
その勢いで巨漢の口から真っ黒な物体が宙に飛び出した。
カヤは冷静かつ的確にエンゲルセイバーを叩き込む。
「ぶにゃあ」
という叫び声をあげ、その物体は地面に落ちた。
すかさずデビーがそれを踏みつけ、爪を喰い込ませる。
「ふん」と鼻を鳴らした。「雑魚だぜ、こいつは」
デビーの足の下でもがいているのは、タコのような生き物だった。




