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サルビア  作者: 葉流香
1/1

同性愛要素含みますご注意を

 プラスチックのプランターに植えられた、サルビアの赤が目にギロリと映ろった。


夏の熱い空気がどすん、と半分落ちてきて、砂糖水のようにゆらゆら蠢く。


霞む視界に染みのようにして広がるその赤に意識が吸い寄せられる…




…突然、不細工な蝉の鳴き声が背後で響いた。

驚いて振り返ると、真っ白な開襟シャツがぱあっ、と、ちかちかする瞼に眩しく飛び込んできた。どでかい蝉が、日によく焼けた顔に、満面のにやにや笑いを張り付けて、みーん…とまた下手くそに鳴いた。


「…それ、何。」


「蝉だよ、せ・み。みーん…」

唇をとがらせて、みーん、みーんとしつこく泣き続ける。

嗚呼、もう。本当の蝉より五月蝿い。

しかめ面で、両手を伸ばして開襟シャツの襟元をつかみ、強引に口を塞ぐ。

―ぴたりと鳴き止む。

やがてするりと柔らかい感触が唇から抜けた。「何してたんだよ、ぼんやり突っ立って。」

名残惜しむように唇に指を滑らせて、穏やかに彼が聞く。

「あそこ」

人気のない中庭の、更に片隅。

幾つかの樹木に覆われ、隠れ家のようにひっそりと、俺たちの秘密を隠してくれる。

ゆるゆると彼が俺の指先を視線でなぞった。

彼が、指した場所に焦点を合わせる。

――赤い染み。

プランターに植えられた赤いサルビアの花が、無造作に中庭の隅におかれている。 来週の参観日に向けて、美化委員会あたりが植えたものだろう。

みどりの雑草ばかりの中庭に、赤がよくはえていた。

「あれが?」

訝しげに彼が聞く。

「血、みたい。」


彼は何も言わない。眉を上下に動かして、複雑な顔をしている。


「何してたの。遅かった。」

唐突に話題を変える。

別に、沈黙が気まずかった訳ではない。

自分が感じたことに、彼に同意を求めてはいなかったから。だから、適当に自己満足をすることにした。


「ああ、別に。トイレ行ってた。」

――ため息。

彼の視線はあらぬほうを彷徨っている。

それに、もうすぐ昼休み終了の予鈴がなるころだ。物まねが下手なら、嘘も下手。

「どこで、ご飯食べたの。」

少し困らせてやることにした。

本当は、彼がどこでなにをしようが、一向に構わない。

「ごめん。昼休み前に言っておこうと思ったんだけど。ちょうど移動教室でいなかったんだ。その後俺も移動でさ。すれ違い。」

さっき自分でした言い訳をもう忘れている。

「で?」

長々と前ふりをして、一呼吸おいた彼に、すかさず畳みかけた。

「で、末永達と食ってた。」

達、と言うのは嘘だろう。

末永、のあとに一瞬小さな間があった。

末永。末永鎖。彼女は狙ったものは絶対につなぎ止める。たとえ、人のものであろうと、いつの間にか片手に手錠がはめられていて、はっと気づいて手錠についた長い鎖の先をたどってゆくと、鎖は必ず彼女の手の中にある。

とうとう、彼も彼女の毒牙にかかってしまったのか。

…やれやれ。


ずっと黙って深く考え込んでいた俺を、さっきから不安げに彼がちらちらと横目で盗みみている。

…やれやれ。

彼に覆い被さるようにしてまた深く口づけをした。

彼女の毒を全部すいとってしまおうとでもいうように。 俺たちは付き合ってはいない。でも、キスもセックスもする。

だが、そういうことをするだけの友達、というわけでもない。

俺たちは、幼なじみで親友。

―普通の友達ではなかったから。


…既に十年以上もの月日を共にしていて、幼なじみで、親友という証を、どうやって示したものか。


一概に親友、といっても、やはりなんだか曖昧で、そう、もっと普通の友達とは違う。

ただ、証がほしかっただけだ。 だから、友達以上のことをしよう。 それが、俺たちの見つけた答えだった。 すなわち、恋人じゃない。

俺たちは、あくまで、 幼なじみで、親友。


隠す必要なんかこれぽちもないのに。

クスリと笑う。

俺にだって、彼を束縛する権利はない。

この関係をやめてしまったら、親友でなく、普通の友達、ありふれた存在になるだけだ。


だって、これは証なのだから。


長いキスを終え、彼の耳元でぼそりと囁いた。

「あの女は、やめとけよ。」 予鈴が鳴った。 重い腰を上げて、ふらふらと立ち上がる。

彼は起き上がらない。頭のうしろに両手を挟んだまま、じっ、と、さらさらと落ちてくる木漏れ日を眺めている。

「行かないの。」

肩についた芝生を払いながら、聞いた。

「サボる。」

彼は短く答えた



――なにを考えているのだろう。

彼のぱっちりと透き通った瞳は半分閉じかけ、どこか遠い世界を泳いでいるように見える。 それとも、単に眠いだけなのか。

「わかった。」

そっけなく返事をして、歩き出す。

日陰から一歩外に出ると、途端に暑さが襲いかかってきた。


嗚呼。まさに天国と地獄。

――彼の世なんか、信じてはいないが。


本鈴が鳴るまであと五分。余裕で間に合うが、授業の初めに、簡単な単語テストがあるため、少し早歩きで歩く。


―怠惰な授業。変わらない日常。べたりとまとわりつくような暑さの蜃気楼に映ろうのは、ただ、一滴の赤。


――灰色の影がのったりと迫ってきたかと思うと、あっという間に影は世界をモノクロームで覆ってしまっていた。

最終時限の始まる少し前、未だに帰ってこないあいつの空席をちらりと伺い見て、心中でため息を付き、ぼんやりとその背後の窓を見やった。

蒼天の山の頂の向こうに、奇怪な塊、真っ白な入道雲が聳え立っている。

―ゆうだち。今はあんなに遠くにある雲でも、知らぬ間に、ひっそりと傍らに忍び寄ってくるだろう。



―――なで肩のせいかよくずり落ちる学生鞄の紐を肩にかけ直し、予想通り怪しげな空気を漂わせた始めた空を見上げた。


遠く微かな雷鳴がだんだんと近づいて、けたたましく、空を震わせる。

どんよりとうねった曇天に、音も起てず、煌びやかな稲妻が、一瞬閃いた。


ぽつりと天から降り注ぐ水滴。 途端に、バケツの水をそのままひっくり返したような雨が、息せききってどかどか落ちてきた。

焦って学生鞄を頭上に翳し走り始めた。

しかし時、すでに遅く、帰り道は一瞬にして、小川の如く変わりはて、緩やかな上り坂のてっぺんからばしゃばしゃと水が流れ込んで来た。


――仕方がない。

雨宿り。


いつもなら絶対にやらない。


もう帰るというのに、何故わざわざ雨の止むのを待たなければいけないのかが、自分にはわからなかった。

いくら濡れようが、構わないではないか。

早く帰って、濡れた服をさっさと乾燥機に投げ込む。

あとは熱いシャワーを浴びればいいのだ。

――その点はあいつも、同意見だった。

だから、突然の雨の時など、軒下に群がる生徒たちを横目に、二人でこの坂を駆け抜けた。



――錆び付いたシャッター、今は固く閉ざされている――古い店の軒下に、冷えた体を抱きしめてうずくまった。


何でだろう。

雨宿りなんて。


隣にいないあいつを待っているのだろうか?無意識に?



――結局あいつは帰ってこなかった。



少し探してみたが、何処にも見つからなかった。



非情に冷たい風が、豪雨の間から剥き出しの肌をうった。

細かい水飛沫が全身に降りかかる。


そのまま幾数分待った。


――雨のやむのを。


直ぐに通り過ぎるはずの夕立は、一向に止む気配を見せない。

路端の溝は既に満杯で、水が溢れ彷徨っていた。

雨は強く、一時も隙を見せない。

そろそろ諦めようと、ふと視線を上げた。

雨でぼやけた視界の先に、趣味の悪いショッキングピンクが見えた。

執拗に高く掲げられ、危なっかしくふらふら揺れている。

その下に、同じ学校の制服を着た男女がいた。

女の方が、低身長な体を伸ばして、小さな折りたたみ傘を支えている。

どちらもずぶ濡れだった。 「ねえ、雨宿りしよう」

粘り着くような女の声が耳障りだった。

茂みに隠れ、こちらの死角で話をしている。

「どうせ帰るだけだよ。意味ないって。」


男の声は、聞き慣れたもの。

――散々待ったのに。

怒り。戸惑い。安堵?

…違う、沸々と忍び寄る妬み。

昼休みが終わって、一限さぼって、帰ってきたらいなくなっていた。

遂に、歩いてきた二人と、…ばっちり目が合った。







――銀色の靄が周りを埋め尽くしていた。

幾本もの針が剥き出しの腕と首と、突き刺し、瞼から透明の血がながれた。

絶えず水の塊が足元にまとわり付く。

滝のように滑り落ちる水の流れに逆らって、緩やかな上り坂を、一気に駆け抜けていた。


……

濡れそぼった茅野の草村の隙間に、泥まみれになったお気に入りのハイカットが埋もれていた。

べったりと張り付いた開襟シャツ。

紺色の長ズボンには、紋様のように黄土色の泥が染み込んでいた。


雨なのか分からない。

けれども陽一には、それがはっきり涙なのだと分かっていた。


延び放題で手入れもされていない雑草だらけの庭の上に立っている。

目前に、通常の家庭にありがちな、安っぽい玄関扉が見えた。

陽一は動かない。そこが自宅の入り口であることは、当然知っている。

ただ陽一は、触れられた肩の感触だけを、感じ取っていた。

少し湿っていて、ほんのり温かいその手に、神経の全てを集中させ、あえて振り向かずにいた。



「よういち」

……呼ぶ。止めろ。言うな。


さめほろと涙を流し続けていた。

遂には何もかもぐちゃぐちゃで分からなくなり、いつの間にか手のひらで握りしめていた学生鞄が、ぽとりと水たまりになった地面に落ちた。


既にびしょぬれになっている布製の学生鞄に、無情にさらに、雨粒が降り注ぐ。


――じわりと融けてゆく。


しばらく足元の光景を眺めていた。


突如大きな水飛沫が迸った。

背後でぐらりと動く気配がする。

陽一は走り出した。

真っ直ぐ玄関へ向かって。


―――開かない。開かない!

ドアノブが激しく上下する。

――鍵、、、


無造作に鍵を探し始めた陽一に、容易く優希は追いついた。

背後から抱きしめ、鍵を握りしめたまま、行き場なく空中で静止した陽一の腕ごと、手にとり、鍵を差し込む。

――かちり、


放心したままの陽一は、雫をしたたらせながら玄関を這い上がった。

その様子を優希は無表情な瞳で見つめる。


陽一は纏っていた衣服を全て脱ぎ捨て、備え付けの洗濯機に放り込んだ。

そしてそのまま陽一は、浴室の扉を、ピシャリと閉めてしまった。


無表情な瞳で、優希は時を待った。

陽一の匂いが溢れている。




出てきた陽一を、優希は正面から抱きすくめた。

石鹸の匂い。よういち。 抱きしめた体が、腕の中で急速に冷えてゆくのが分かる。

水蒸気が立ち上った。

――優希も、随分濡れている。

陽一は黙って優希の開襟シャツを脱がせた。

優希はなにも言わない。

為されるままにまかせた。

それら、下着類も全て、陽一はまとめて洗濯機に投げた。

黙って優希を浴室へと促す。

―頑なに優希と目を合わせようとしない陽一。

伏せ目がちの瞼が愛おしい。睫毛が瞬きにぱちりと揺れた。

――淡い口付け。

(しるし)でしかないこの行為を、幾度も繰り返してきた。


陽一は黙ったままだ。嫌がる素振りも見せない。


――いったい、何を考えているのだろう。


さらに深く食い込んだ。

甘い、香り。


――陽一と口付けを交わしていると、いつも、赤いサルビアの花を思い出す。


―まだ、出会って間もない。ようやく出来た友達は、澄んだ瞳をきらきらと輝かせ、何時も、赤いサルビアの蜜を、美味しそうに舐めていた。


幼稚園の、小さな園舎を囲むようにしてプランターに植えられたそれは、小さな赤い花の中から、さらに赤い、長い花弁を伸ばしていた。

その長い花弁は、近頃になってそれが花そのものであると知った。

摘み取って、窄まった方を口にくわえてゆっくり吸うと、花の甘い香りと味が、口いっぱいに広がる。

一日に一度出されるおやつでは飽き足らない、幼かった僕らは、すぐにその、甘い駄菓子のような味の虜となった。


――これは二人だけの秘密ね。大きな瞳に木漏れ日を映しながら、木陰でひっそりとした約束。

それでも、僕らの尊い秘密は、すぐにばれてしまった

なにせ、プランターの横に転々と、赤い花弁がまき散らされていたのだ。

――

「なんで。なんで末永といたんだ。」

「どうして怒んのさ。先に裏切ったのって、陽一じゃん。」

「あの時は、無理やりだったんだよ、末永がさ…」口を窄めて俯く陽一を、 ふーん、と軽く受け流す。


「……だいたい、末永はやめとけっていったの、優希じゃないか」

ここぞとばかりに勢いよく陽一は顔を上げた。


「…付き合ってんだよ、」


にべもなく答えた優希に、陽一は睫毛を震わせて絶句した。


「それにさ、俺が何処で何をしようと、陽一には関係ないでしょ」

「…関係ないだ?どうして!」


「どうして、って。そりゃあ、僕らは所詮、親友だからさ…」 冷たく、冷たく。

優希は容赦ない。

「親友…友達同士で、抱き合ったりなんか、しない」


「友達じゃない、親友。これは証なんだ。…ただの、尊い、約束。」


優希の脳裏にまたもや幼少期の陽一と自分の姿が現れる。

…ふたりだけの、秘密だよ、

今より随分と小さく、綺麗な高声で笑う陽一…


二人の間には、屈強な沈黙がそびえ立っていた。

何も。なにもなくただ裸体の互いを見つめ合って、しばらくして陽一が無言で運んできた着替えに優希はくるまった。


外に出た優希は、コンクリートの上に、通り過ぎた雨の匂いをかいだ。


まるで嘘のような夕焼けの落日が、雨上がりの水滴を残らずオレンジ色に染め上げている。


嗚呼、まったくもってどこもかしこも閉ざされてしまっていた。


――冷たい、冷たい優希。


しかし裏腹に、目頭は熱く震えた。


崩れ行く風景を見つめながら、優希は、空を仰ぎつつ。


――嗚呼、真っ赤な真っ赤なサルビア。


――何処にあるのだろう…

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