現実はブラックコーヒー並みに苦く、黒いものなのだ
いつもと変わらない朝の通学路。道路を広げる前に家を周りに建てすぎたせいで歩道、車道が狭くなっている。その為軽自動車はともかく、普通車でここを走行する運転手は歩行者と対向車により一層の注意をはらって運転している。しかし、そんな運転手の気苦労を知らずに小学生達はいつも『車に轢かれたら負けよゲーム』と称し、度胸試しの一環として車が来たらわざと車道に飛び出す遊びをやっている。さすがに運転手も小学生の行いに腹が立ち、近隣の小学校に苦情を入れたがそれほど効果はなかったようで、未だに登校、下校にこの遊びをやっている子供はいる。それを踏まえて今日の通学路を見てみると、小学生達はいつもより大人しく登校しているようだった。何故か?それは通学路にパトカーが何台もサイレンを鳴らしながら通っているからだ。だが、小学生達を監視する為にパトカーは来ていない。彼らの目的地はここより少し行った先にある花咲家だからだ。
「あ、来たぞ。」
桃太郎の父・政則が母・亮子の背中をさすりながら言った。
「貴方が行って。」
「ああ・・・だが第一発見者は亮子なんだから事情を聞かれた時は、話してくれ。」
「分かってる。」
息子を心配しているのか、いつもの活き活きとした声ではなく、かすれたような声だった。そんな状態の妻を気遣ってか、政則は自身のスマートフォンを取り出し、勤める会社に休みの連絡を入れた。
そして、異世界で話は進み出す。番人と色々あった結果、不法入国者となってしまった桃太郎は、高校生とはいえ罪人になってしまった。どんな事情があるにせよ、罪は罪。しかし、当の本人は自身が罪人であることを自覚していない。というより、それどころじゃない。彼は、今を生きるのに必死なのだ。いわばアフリカの大草原でライオンに追われているシマウマのような状態なのである。運動能力は平均ちょい下位なので、逃げ切れるかどうかは分からないが。
「くそっ・・・何で俺がこんな目に・・・!!これならまだ、クラスメイトとリレーの練習やってる方が良かったってもんだ・・・!!」
ぜーぜーと息切れしながらまっすぐに逃走する桃太郎。ふと、後ろを確認する。どうやら、番人は撒けたようだ。桃太郎は立ち止まり、息を整えた。
「・・・後悔よりまずはあのクソ亀だ・・・・・どうしてくれようか・・・」
桃太郎の頭の中には諸悪の根源とも言える亀にどう復讐するかでいっぱいだ。あの亀が番人に対してあんな事言わなければ、最悪不法入国者にはならなかっただろう。桃太郎は近くに噴水のある公園があったので、水分補給も兼ねて寄ることにした。
「公園の水ってやつは菌が繁殖していてばっちぃイメージしかないが・・・背に腹は代えられん・・・」
キュッと水栓をひねり、上向きの蛇口から出る水を飲もうと口を開けた瞬間、異変に気付いた。
「うげ・・・これは・・・っ!!」
蛇口から出てきたのは・・・ブラックコーヒーだった。
「何でブラックコーヒーが出てくんだよ!?」
桃太郎は口の中に入ったブラックコーヒーを吐き出し、水栓を閉めた。
「そ・・・そういえば聞いたことあるぞ、どこかの県にはオレンジジュースを出す蛇口があると・・・!!あれのブラックコーヒー版か?でも何でブラックコーヒーなんだ?子供飲めないだろ!!あ~喉が何か変な感じだ~・・・せめてカフェオレにしろよ。」
桃太郎はブラックコーヒーが苦手である。かといって砂糖を入れすぎたコーヒーも苦手である。何事も程々が一番良いのである。
「クソが~・・・踏んだり蹴ったりじゃねぇか・・・」
ドカッと公園のベンチに腰を落とす桃太郎。手洗い用の蛇口から出る水でもこの際いいと思ったが、それもブラックコーヒーだった。この世界の人間、言っちゃあ悪いが頭おかしい。
「・・・さすがに噴水から出ているのは水だよな・・・?うん、これは水だ。・・・・・飲むか。」
周りをキョロキョロと見回し、両手で噴水の水を汲もうとした時、後ろから声がした。
「あの~・・・もしかして、水が飲みたいんですか?」
桃太郎はドキッとし、後ろを振り向いた。そこには、桃太郎と同じ位の歳の一人の少女が立っていた。彼女は、ランニングをしているのか半袖短パンといったスポーティな恰好をしていた。黒髪のショートボブが日光に照らされ、キラキラしているようにも見えた。
「・・・まあ・・・」
桃太郎はブラックコーヒーの下りを見られたと思い、固まってしまった。陰キャラにとって恥をかくというのは黒歴史として何年経っても色濃く脳内に残るものなので、絶対に避けたいものである。しかし、見られてしまった。桃太郎は、誰もいないからといって少し気を抜き過ぎたみたいで
「(くっそ~・・・そういえば、公園ってよくランニングコースになってるよなあ~・・・公園に入る前にもっと周りを見とけばよかった・・・)」
と後悔していた。だが、それも後の祭り。少女は、桃太郎に自分の水筒を差し出してきた。
「よかったら・・・これ、飲みかけだけど・・・どうぞ。」
その言葉で桃太郎は余計に固まった。『この少女は自分が何を言っているのか分かっているのか。』そんなことを言いたそうな目で少女を見た。桃太郎は、この少女が心の中では自分のことを馬鹿にしているのではないかと疑ってかかった。しかし顔を見る限り、喉が渇いている自分のことをただ純粋に助けようとしているのは少なくとも伝わったようで、
「いや、いいです。」
と愛想笑いをしながらやんわり言った。そして、その場にいるのが耐えられなくなり、とりあえず公園から出ようと入り口兼出口の方へ踏み出した。取り残された少女は、
「・・・もしかして、潔癖症の人だったのかな・・・?」
とか思っていた。そして、再びランニングを始めようとその場でピョンピョン跳ねている時、出口の方から男の声が聞こえてきた。
「お前が不法入国者かああああああああああああ!!」
あまりにも大きな声だったので、少女は振り向いた。なんと王国軍の兵士が桃太郎を取り囲んでいたのだ。
「やべぇな・・・」
冷や汗を流しながら、桃太郎は自身の周りを見た。剣を構えている上に取り囲まれているので、もう逃げられない!!再び絶体絶命の状況に陥ってしまった。ここで兵士の後ろから若い男の声が聞こえてきた。
「朕の国に不法入国するとは中々度胸のある奴じゃないか。」
ウマシカ王子である。王子はパンパンと拍手をしながら桃太郎の前にゆっくりと出て来た。そして、拍手をやめてこう言った。
「だが、こんなチンケな男にあの番人は何をやっていたんだ?朕ならこんな男、その場で仕留められるぞ。」
「どうやら、何者かが邪魔をしたと・・・」
「ふん、そんなの言い訳に過ぎない。朕は、国家なりッ!!国家は朕なりッ!!国に不法入国者の侵入を許すということは朕の腹の中にアニサキスの侵入を許すことと同じなのだッ!!あの番人には重い罪を課せなくてはなぁ~。」
王子と兵士のやり取りを聞いていた桃太郎は、
「(俺は寄生虫と同じ扱いなのか・・・)」
と困惑していた。ちなみにアニサキスとは海産魚に寄生している虫である。寄生された魚を生で食べると感染し、その人間は激しい腹痛やおう吐をおこすのだ。いわゆる一種の食中毒である。
「その前に・・・このチンケな男の処分をどうするか・・・だな。」
王子は、じろじろと桃太郎を見て、鼻で笑った。気に障ったのか、桃太郎が半ギレでこう言った。
「さっきから朕朕言ってるけど、それでキャラ立ってるとでも思ってんのかよ。痛いわ~。」
王子は驚いたのか目を丸くし、隣の兵士に言った。
「こいつ、今朕を馬鹿にしたぞ。」
「しましたね。」
「国家侮辱罪で現行犯逮捕だ。」
王子の声に合わせて、兵士が押し寄せる。桃太郎はしゃがんだ。兵士の数があまりにも多かったので、兵士同士がぼこっているようにしか見えなかった。ここで、王子は後ろにいる少女に気付いた。
「おお、大丈夫か?朕の大切な少女よ。」
すごく誤解を生みそうなセリフだがこの少女と王子はお互いに面識は無い。
「どうした?もしや、あのアニサキスに何か酷いことされたのか?」
桃太郎は、アニサキスにされてしまった。
「いえ、何もされてません。・・・というより、王子に今されてます。」
王子は少女の手を握り、もう片方の手で少女の手をさすっている。
「朕は国家なので何か困っている事があれば、国を挙げて君の力になろう!!」
「(だったら手、離してくれないかな・・・)」
ぐいぐいと来る王子に少女は困惑した。
「王子!!捕らえました!!」
一人の兵士が声を上げ、敬礼のポーズをする。桃太郎はごつい縄で手足を縛られ、身動きが出来なくなった。だが、口は縛ってないので喋る事は出来た。
「放せ!!国家権力の分際があんま調子に乗るなよ!!」
「おい、何だあ?その口の利き方はよお~・・・おめえー、自分の立場が分かってないようだな~?」
一人の兵士が桃太郎の胸ぐらを掴み、パンチをかます。桃太郎はもろにくらってしまい、その場に倒れた。それを見た兵士達は桃太郎に指を指して、馬鹿みたいに笑い転げた。
「あひゃひゃーほう!!まるで芋虫だな!!少しは抵抗してみろよ、んん?」
桃太郎は心の中でこういうやつが結婚したら妻とか子供に暴力を振るうんだなと思った。そして、この集団的なノリというか雰囲気にちょっとしたデジャブ感を抱いた。そして、思い出した。
「(あ~嫌だ嫌だ。このノリ・・・ッ!!うちのクラスの野球部連中のそれと一緒だ・・・うげ~。ま、あいつらはこの兵士どもと違って暴力は振るってこなかったがな。その点考えるとやはり、野球部なだけにスポーツマンシップというものが心の中にあったということか・・・。)」
帰れそうにない故郷を思い出し懐かしんでいると、王子が目の前まで来てしゃがんだ。
「おい、陰キャ。朕はこう見えても凄く優しい。もし、この朕の靴を舐めるのであれば許してやらんこともない。最後のチャンスをくれてやろう。」
靴を桃太郎の前に出し、舐めさせようとする。兵士達はクスクスと笑っている。
「本当か?」
「うむ、朕は嘘吐かない。」
口を開け、舌を出す。兵士達は『こいつ、マジでやる気だ。』等とコソコソ話している。王子は、にやりと笑って人の上に立つ喜びを実感していた。しかし、桃太郎の取った行動は王子たちの意に反するものだった。
「カァ~~~~・・・・・ペッ!!」
ドチャッと王子の靴に痰を吐き出した。王子は悲鳴を上げた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!こ・・このクソがッ!!痰を靴に・・・朕の靴にぃ~ぃいやああああああああああああああああああ!!」
その悲鳴はまるでサイレンのように国中に響き渡った。王子は噴水まで走り、痰の付いた靴を投げ入れるとバシャバシャと凄い勢いで洗い始めた。一方兵士達は、さっきまでの馬鹿騒ぎが嘘のように血相を変えて桃太郎に群がった。
「てめぇーよくも王子の靴に汚い痰を吐きやがったな!!もう許さねえからなあ!?」
「おい、早く城の牢屋へぶち込もうぜ!!」
「お前!!おい、お前!!これはもう懲役刑だけじゃあ済まされねえからなあ!?」
沢山の兵士達にやいのやいの言われる桃太郎だが、もう慣れたのかシカトをキメ込んでいる。その態度が余計に気に入らないのか、蹴りを入れる兵士がちらほらいた。身動きが出来ない桃太郎を蹴る様子を見た通りすがりの王国民は、『こんな連中が国や我々を護る立場にいていいのか』等と疑問に思ったが、兵士達が怖いので見て見ない振りをした。
「(王子や兵士にゃあ、逆らえないってことね・・・。)」
そうこうしている内に王子が噴水から戻ってきた。王子の顔は憎しみで酷く歪んでいた。別に親を殺したわけでも恋人を取ったわけでもないのにあそこまで歪むものなのか。桃太郎にとってウマシカ王子は、初めて出会ったタイプの人間だった。きっと元の世界に戻ってもこういうタイプはそうはいないだろう。王子は桃太郎を睨むと
「この靴・・・高かったんだぞ・・・貧乏人でも知っている超有名なブランドの靴だ・・・。」
ぼそぼそと言っているので、あまり聞こえなかった。なので、桃太郎は耳を澄ませてみることにした。
「その辺のキャビアやトリュフ・・・フォアグラよりも高価な物だ。ネットオークションじゃあ二千万前後で取り引きされる・・・たとえ使用済みの、足が臭そうな奴が一回履いた物でもなあ~・・・。おまけにこのモデルは昨年のモデルで今はもう販売されていない・・・」
ぶつぶつと言っている王子に桃太郎は心の中で『なら、ネットで探せや。金はたんまりあるんだろ?』と思いつつも、顔には出さずに適当にうんうん頷いていた。今の王子に何か言うと面倒臭いことになりそうだから。
「このブランドの靴を毎年集めている貴族の間では、靴のデザインが今までの物より神がかったものらしい。『神がかった』・・・そう、『神』・・・朕は国家、国家は朕ッ!!朕は王国民にとって神のような存在・・・。」
王子の言葉にどことなく威圧感を感じる。桃太郎は危険を感じ取った。
「(この感じ・・・母さんのへそくり封筒に入ってた千円札を一枚抜いたのがバレた時の母さんの威圧と同じだ!!確か小学四、五年位の時かな?あの時、どうせばれるんなら一万円札の方を抜いとけばよかったって後悔したんだよなあ。)」
屑すぎる過去である。王子は、桃太郎の近くに靴を叩き付けた。それもかなり力を込めていたので、砂が舞っていた。
「そんな朕の靴に・・・『神がかった朕』の『靴』に・・・ッ!!よくもよくもよくも・・・よくもォッ!!痰を吐きやがって!!呪ってやる~・・末代まで呪ってやるぞ・・・」
神がかっているのは靴のデザインであって、お前じゃない。桃太郎は、唾を飲み込んだ。
「そ・・・そんなに大切なもんならよ~・・・箱とかに閉まって、倉庫に収めとけば良かったじゃん。もしくは、部屋で履く用にするとか。・・・外で履くだけが靴じゃあないんだし・・・」
言われてみればそうである。汚れるのが嫌なら外で履かなければいいのだ。そりゃあ、部屋履きにしても汚れる時は汚れるが、歩道に落ちてある犬の糞を踏みつける事はないし、さっきみたいに他人に痰を吐かれる事は無い。だが王子からすれば、そういう問題ではなかった。
「愛すべき王国民に自慢したかったんだよッ!!」
つまり、そういう事である。実際、去年の夏にこの靴を手に入れた王子は王国民に知らせるべく、わざわざ城下町の広場まで出向き、自慢をしていた。広場では、売れないロックミュージシャンが気持ち良く演奏していたのだが、無理矢理王子に追い出され、悔し涙を流しながら帰っていったという。その後、追い出されたロックミュージシャンは別の国に行き、有名になったらしい。
「いや、自慢って!!お前、あれだろ。『有名ブランドの靴』が好きなんじゃあなくって、『有名ブランドの靴を履いている自分』が好きなんだろう?」
「そうだよ。」
素直に返答する王子。桃太郎は、もう言い疲れたのかぜーぜー言っている。こんなにも人に対して発言したのはいつ以来だろうか。ここ数年、赤の他人と言い争うのは面倒臭いし無駄だと考えていたので、桃太郎はこの王子とのやりとりにどことなく懐かしさを感じていた。それは幼い頃聴いていたCDを大人になって聴いた時にその当時の記憶が蘇ってくるような感じと似ていた。
「王子、こいつを城の地下牢にブチ込んでおきます。」
「うむ、頼んだぞ。朕の愛すべき兵士達よ。」
「はッ!有り難きお言葉!!」
懐かしんでいる桃太郎を担ぐ兵士。そいつは、昔の少年漫画に出て来そうな体格をしていた。
「ちょ・・・ちょっと待てよ・・待ってくれよ!!そもそもお前らの仲間の番人が攻撃をしてきたのが原因で・・・」
無情にも桃太郎の訴えは誰も聞こうとはしなかった。こうして兵士達が去り、王子もぷんぷん怒りながら公園から出て行った。公園は再び静けさを取り戻した。しかし、静かな公園にポツンと突っ立っている人がいた。桃太郎に水筒の水をあげようとしていた少女である。少女は、決意を固めたような表情で言った。
「・・・城の地下牢・・・か・・・」
一方、クソ亀ことメタリーは関所の近くを流れる川でアイスキャンディーをしゃぶりながら、涼んでいた。ちなみにソーダ味である。関所の近くにいたアイス売りのおじいさんから買ったんだろう。メタリーは、今桃太郎が大変な事になっているのを知らず、こんな事を言った。
「あ~アイスキャンディー美味しいなあ~。んっん~最高!!喉が潤うわあ~。・・・あの人もせっかちだなあ、このアイスキャンディーを食べてから王国内に入れば良いのに・・・。ハーレムが嫌だあ何だと言ってた癖にノリノリじゃあないですかあ~。フウウゥゥゥゥゥゥゥ!!」