優しい勇者の話
これは短い旅の記録。
一人の少女と一人の少年が幸せになった話。
もういない、私の大切な友の話。
*
私は旅人だ。世界を知るための旅をしている、しがない旅人。
その日、私は初めて訪れた町でスリに遭い、路銀を盗まれてしまった。食料も運悪く尽きていたし、町に着くのが遅かったせいで、商人ギルドに預けてあるお金をおろすこともできない。長旅の疲労感と空腹で、そうとう悲惨な顔をしていたのだろう。小汚い姿で座り込んでいた私に、一人の少女が手を差し出した。
「やあ、そこの旅人さん。なにかお困りのようですが、どうかいたしましたか?」
朗らかに彼女は言った。とても眩しい笑顔だったのをよく覚えている。
私は少女に事情を説明した。何か食べ物を貰えたらと、期待をして。すると少女は、
「では旅人さん。私とご飯を食べませんか? 一人は寂しいので、是非」
そうして私は、彼女とご飯を食べ、色んな話をした。私が旅をしている目的や、その切っ掛け、到底初対面の人に対して話さないことも、彼女の前では何故かスラスラと言葉が溢れた。きっと彼女が手を差しだしたときに、私は心を許していたのだろう。あのときに、優しい少女の魅力に取り憑かれていたのかも知れない。
私は色んなものを己の目で見たいのだと、彼女に語った。海を超えた向こうにあるという大陸、世界樹を守るドラゴン、エルフが住んでいるという聖地と呼ばれる森。…………そして、かつて魔王が住んでいた城。その話をしたときに彼女は反応した。
7年程前に、今は勇者と呼ばれている若者によって倒された、魔王が住んでいた城。今は結界が張られていて、誰も入ることができないし、出ることもできない場所だ。たとえ、そこに住む生き物がいなくても、人々の心には魔王率いる魔族がもたらした恐怖が染み付いおり、そのままにはしておけなかったらしい。
「奇遇だね。私もそこにようがあるんだ」
彼女はそう言った。良ければ共に向かわないか、とも。私はその提案に悩むことなく飛びついた。それほどまでに、魅力的な誘いだった。誰も近づかない元魔王城の周辺には強い魔物が出ると噂され、一人で行くには大いに不安があったのだ。私は自分の弱さをよく知っているつもりだ。
彼女は私よりも強いだろう。万が一何かを企んでいたらひとたまりもないに違いない。それでも、彼女がそんなことをするような人物には見えなかったから、私は自分の直感を信じた。その選択に間違いはなかったと、私は胸を張れる。
彼女との旅は平和なものだった。なにかに襲われるようなこともなく、着々と目的地に進んでいく。
ただ、一つだけ決まりがあった。それは、日が暮れ始めると野営の準備をすること。どれだけ次の村と距離が近くても、空が赤く染まったならば旅の歩みを止め、太陽が隠れるとともに彼女は就寝する。
ある程度そうやって旅を続けたある日に、私は彼女に聞いた。どうして、そうしているのか、野宿よりも安全に休める宿よりも、就寝時間を優先するわけを。すると彼女は困ったように眉を下げて、
「だって、時間が違ったら、余計に泣かしてしまうもの」
その言葉では、これっぽっちだって理解できなかった。けれど、彼女はそれ以上何も言うつもりがなかったので、私もそれ以上は聞かなかった。
そうして旅を続けているうちに、遂にかつて魔王が住んでいた城。そこに張られた結界の前にたどり着いた。私がペタペタと、目の前にある見えない壁に手を這わしていると彼女が、
「うん、じゃあ、結界を壊すね」
と言った。私はその言葉に、ただ驚いて彼女に詰め寄った。どうしてそんなことを、と。彼女の目的を何も聞いていなかった私は、どんな理由があるのか想像もつかなかい。だが、彼女が理由もなく、そんなことをするとは思えなかった。
「私はこの城にようがあるの。これがあったら中に入れないから」
中から万が一、魔物が出てきたらどうするのだ、と。思わず食って掛かった、私に彼女は言う。
「大丈夫だよ。中には、独りぼっちの男の子がいるだけだから」
とても慈愛に満ちた顔だった。
「いつか、聞いたよね。どうして少しの時間もズラさずに、日が暮れると眠るのかって。私はね、夢で会うの。泣き虫で独りぼっちの男の子に。私とその子は同じ時間に寝ていると会えるの。だから、約束したんだ。その子と私が唯一、目安にできる太陽が沈むときにって。絶対に守るって決めていたの。……私は、ここに会いに来た。その子に、ディーアに。ずっと、ずーっと一緒にいるって約束したから」
勝手に私がすることだから、気にしなくていいよ、と。彼女は私に言った。
「結界を壊す罪は私のもの。だから知らないふりして、早く立ち去るといいよ。結界が壊れたら、それを管理している教会の人たちが気付くだろうから」
そう口にした彼女に、
「……私も一緒に行ってもいいか? ほら、折角の機会だ。これを逃したら、元魔王城内を見れる機会なんてないだろう」
おどけるように言ってみせた。それは私の覚悟だった。何も言わずに、さよならをしてしまうこともできたのに、彼女が話してくれたから。旅の道中では踏み込ませてくれなかった内側に入れてくれたから、私は。彼女が何をするのか、見届けようと、思ったんだ。
「…………きっと、嫌な思いをさせるよ」
「それでも」
彼女は、知っていたのだろう。決めていたのだろう。私と出会うよりも、遠の昔に。
城の中は薄暗く、人の気配はなかった。彼女はまるで、来たことがあるかのように迷いなく、歩を進める。私はその後をついていった。しばらく歩いていると、少しだけ扉が空いている部屋があった。私はつい、好奇心で中を覗いてしまい、悲鳴を上げてしまった。
それは人形に見えた。たくさんの、人形に。でも、呼吸をして。そう、微かに胸が上下していた。けれど、その目は何も見えていないようだった。
「にんげん、なの、か」
そう呟いた私に、いつの間にか後ろにいた彼女が、
「違うよ。それらは中身が入っていないから。ただの、生きているだけの器にすぎないよ。動くこともない、あの子の嘆きの結晶なの」
そっと、優しく扉を閉めた。ポツリと、小さな声で言う。
「……私は終わらせにきたの、すべてを。ディーアは唯一、この城で生き残ってしまった魔族なんだ。外に出ることも叶わず、何年も独りぼっちで過ごしてきた……可哀想な子なのよ。だって、独りでなかった記憶を持っているんだもの。酷いことをするよね。……ちゃんと滅ぼしてあげていたら、ディーアは寂しい思いをしなくてよかったのに」
少し俯いた彼女が震えた声で言うから、泣いているのかと思った。私はただ、黙って聞いていた。
「これは、あの子が見つけたホムンクルスの研究の結果なんだよ。……話し相手を求めた結果。この一体一体に名前をつけてあるのよ。でも、この子たちは失敗作だから、自ら動くことはないし喋ることもない。ただ、息をしているお人形。……それじゃあ、あの子の悲しみが、癒えるわけないじゃない」
「成功作は一体もいないのか」
「うん、いないよ。でも、この子たちは良くできた方なんだよ。別の部屋には、四肢もまともに形成できていない人形のなり損ないの子もいるはず。まあ、いずれは成功作ができたとは思うけどさ」
……でも、それは救いなんかじゃないんだよ。と、小さな、とても小さな声で呟いた。
「あの子は、満たされないことを知ってしまったら壊れてしまう。そうしたら私だけでは、止められなくなる。憎しみのままに、世界を壊してしまう。……そう、神様が教えてくれたの」
ポツリ、ポツリと。彼女は語る。
「人間と魔族の争いはね、人間側に正義が合ったように、魔族側にも正義が合って、それが相容れなかった結果で。それは神様にとっては、どちらも悪になりえない。だから、ただ見守っていたんだって。争いが終るその時まで。世界が大切なのとおんなじくらい、そこに住む生き物が愛おしいから。でもねその後は、迎えてしまう結末を知ったから、神様はもう動かずにはいられなかったんだって」
「その後の結末?」
「うん。魔族と人間の争いはね、世界の危機じゃなかった。どちらかが滅んでしまうことになってもね。世界に住む生き物同士の争いに過ぎないから。でも世界の危機を、神様は見過ごすことができないの。……あの子は世界を呪うよ。ううん、あの時からずっと呪ってる。それに拍車がかかるだけ。抱いた悲しみや寂しさと同等、いやそれ以上に恨んで憎んで、世界を滅ぼすの」
息を吸って、顔を上げた。
「私はあの子を救いに来たの。……人間の都合で独りぼっちになったんだもの、そのことを恨むのは当たり前だよ。でも、その恨みは、ディーアを救わない。嘆きの声に誰も耳を貸さない。だから、事前に止めてあげなくちゃね」
笑みを浮かべて、
「さ、寄り道はお終い。あの子が待ってるから行こっか」
彼女は私に背を向けて歩きだす。私は彼女に置いていかれないように、駆け寄った。
城の最奥にあったその部屋は、床に亀裂が走り、壁は無残に壊れていた。天井もところどころ崩れ、太陽の光が差し込んでいる。魔王と勇者の決着の場として使われたであろう、その場所で彼はいた。かつては綺羅びやかであっただろう、朽ちかけた椅子に膝を抱えて、座っていた。眠っているのか、目を閉じて微動だにしない彼は、芸術品のようだった。
「ディーア、会いに来たよ」
彼女がそう告げると、彼はゆっくりと目を開けた。そして、彼女を視界に捉えると、くしゃりと顔を歪ませた。ボロボロと、涙を流して、
「おそい、おそいよ。……なんで、もっと、はやくに、あいにきてくれないの」
詰る言葉を吐きながら、彼は笑みを浮かべた。それは、とても嬉しそうに。彼女はごめんね、と。そう言いながら、彼の元へ歩いていく。私はその光景を、馬鹿みたいに突っ立って見ていた。待って、と。上げようとした声は、音にならない。
「ひとりはやだよ」
「うん、知ってるよ。だから、ずっと一緒にいよう。自分で死ねないあなたを、私が殺してあげる。だから、あなたが私を殺してね。そうしたら、願いを叶えてくれるって、そう神様に約束してもらったから。何の心配もいらない。うん、ずっと一緒にいよう。もう、離れることがないように、ずっとずっと」
あっという間の時間だった。彼らが互いの急所へと、見たこともない綺麗な刃物を振り下ろす。飛び散るであろう赤い色を想像して、思わず私は目を背けそうになった。けれど、その予想は覆され、光が散る。その様子に私は。
「もう、さびしくないよ。ずっといっしょだから」
「うん、ずっーと一緒にいよう」
笑みを浮かべて、優しい声で言う。
「……な、なんで」
こぼれ落ちた疑問の声は、まるで迷子のようだった。
「これが最善だからだよ。魔族と人間は、もうずっと相容れることができないから。安全に静かに生きていけるところなんてないんだ。そして人間から負の感情をぶつけられたら、疲弊しているディーアの心は耐えられない。本当にもうギリギリだったの。私は結界を壊さないと中に入れなくて、成功作ができてしまうのはもうすぐで、外で共に生きることもできないから」
そして彼女は振り返り、言う。
「だから、だから言ったのに。嫌な思いをさせるって。でもね、ありがとう。本当は、私の我儘だったから。ディーアのこと、誰も知らないままなんて嫌だったの。ごめんね、私の荷物は好きにしていいから。そしてさようなら、……私のただ一人の友達」
「……うん、うん、いいよ。私もありがとう、さようなら」
傷口から溢れた光は徐々に増えていき、彼らは光の粒になって消えた。……消える寸前、そっと彼を抱きしめた彼女が私に向かって泣きそうに笑い、ディーアは小さくこちらに手を振った。
両の目から雫がボタボタと落ちていく。その姿を、誰にも見られなかったことに、私は安堵した。ああ私は、彼女たちに笑ってサヨナラを言えただろうか。
「ああ、ああ、あああああああ」
誰もいない城内で、声を上げた。彼女の名前を呼んで、泣き叫んだ。
*
「うう、あああ」
流れてやまない涙を、拭うこともしないまま、私は書き上げた。彼女との旅について、忘れないように。衝動のままに、書きなぐった。
「汚い字だなあ」
他人から見れば解読が難しいだろう、己の字を軽くなぞって私は笑った。
「ああ、そうだ。人間の正義を貫いた彼が勇者ならば、彼女だってそうだ。神様に選ばれた、真の勇者だ。なにせ世界を救ったんだから」
私は冒頭に書いた文字を消して、新たに書き直し、最後に文章を付け足した。
「うん、うん。これでいい。これがいい。だって、彼女は知ってほしいと願ったんだから。願いを聞いてあげられるのは、私しかいないから」
自己満足でも何でも良かった。彼女がそう願ったように私も、私以外の人に彼女のこと知ってほしかった。優しい一人の少女がいたことを。
「……いつか、いつかさ。ずっと一緒にいる二人に私も会いたいなあ」
落ちた言葉を拾うのは、優しい空だけだった。
少し遠くで、重い複数の足音が、聞こえる。きっと教会の人だろう。結界が壊れたことに関しての調査だろうか。だけど、きっと私にお咎めはないだろう。だって、教会には神託が下されると聞く。光の粒になった彼女を導いたのが神様ならば、その程度の手助けはするだろう。混乱を鎮めるためなのだから。だって、神様は世界を愛しているのだから。
*
どうか、彼らに優しい世界でありますように。