ドラゴン、人の町
ドアを抜けた真島は山中の林道へと転移していた。道幅は数メートル。地面には新しい切り株が見え、道の左右には森が広がっている。林道は最近できたもののようだ。兎に角、人のいる場所を目指そう。そう考え、真島は林道を下り始めた。
林道を下る道中、真島は左右の森の植物を観察する。木々についた葉はどれも楕円に近い形で、網目状の葉脈を持っている。地面を覆う草花も、葉脈は並行であるか網目状であるかのどちらかであった。異世界であっても、植物はもといた世界と大差ないようだ。そう真島が結論付けた時、辺りに影が落ち、上から強風が吹きつけた。
強風の本を確かめようと、真島は顔を上げる。目に映ったのは太陽を背にしたドラゴンであった。脚は四本あり、後足は前足よりも一回り太い。背中からは大きな二枚の翼が生えている。首は長く、太さは一定。尻尾は先へ行くにつれて徐々に細くなっている。
ドラゴンははばたきながらゆっくりと下降し、真島と向かい合うように着地した。逆光でなくなったことで、真島はドラゴンの細部を観察できる。頭には角が二本、顔の後ろへ向けて伸びている。目は澄んだ水色で、瞳孔は丸い。脚に目を向けると、前に四本、後ろに一本の指が見える。それぞれの指には鋭い爪がついている。体は瑠璃色の鱗に覆われており、鱗は翼に近づくにつれて次第に細く、柔らかくなっている。翼は羽毛に覆われ、その色は翼の先へ行くにつれて淡くなる。ドラゴンは大きく、胴体だけで七、八メートルはあり、首も胴体と同じくらいの長さがある。尻尾に至っては二十メートル近い。今は翼をたたんでいるが、広げれば翼一枚で十メートルは下らないだろう。
「美しい」
真島は呟いた。ドラゴンの姿に目を奪われ、つい口をついて出た言葉であった。その言葉にドラゴンははじめ驚いたようであったが、すぐに笑い出した。
「これは面白い。私を見て敵意も恐怖も見せない。そのうえ、この私の美しさを理解するとは。人間は愚かなものと思っていたけれど、認識を改めるべきかしら」
真島はドラゴンが言葉を発したことに驚いた。しかし、ドラゴンと話すチャンスなどそうないと思い直し、言葉を返す。
「いや、それは気が早いんじゃないかな。大抵の人間は、自分が信じるものを絶対だと思い込む馬鹿だよ」
「貴方も?」
「ああ、たぶんね」
「そう。それは残念。じゃあ、あなた以外の人間は私を殺そうとするのかしら」
「それはまた物騒な。何か恨みでも買ったの?」
「そんなことはない」
「じゃあなんで」
ドラゴンは笑いながら言った。
「何を言うの。人間なんて、何かあるごとに殺そうとする野蛮な種族でしょう。それとも、貴方の周りは違うのかしら?」
「それが、この世界のことはよくわからなくて」
真島はそう言い、自分がこの世界に来た経緯を話した。
「なるほど。魂が異質なのはそのせいかしら。これからどうするの?」
「何も決めてないね。とりあえず人間の町まで行ってみようかな」
「そう。近くの町まで送ってあげましょうか?」
「それはありがたいね。でも、危なくない?人間は君を襲うんでしょう?」
「鬱陶しいけれど、危なくなんてないわ。人間は弱いから」
「じゃあ、お言葉に甘えて送ってもらおうかな」
「わかった。乗って」
そう言ってドラゴンは地面に伏せる。真島はドラゴンによじ登り、首の付け根あたりに跨り、ドラゴンの腕のすぐ前に脚を下す。人間でいう肩車の恰好だ。
真島が乗ったことを確認し、ドラゴンは後足で立ち上がる。
「しっかりつかまっていて」
ラピスはそう言って、はばたきながら地面を蹴り上げる。直後、ラピスは宙に浮く。徐々に上昇しながら、ラピスは体を水平へと近づけていく。体を水平にしたラピスは近くの町へ向けて徐々に速度を上げた。
「あの広場に降ろす。それから後は貴方の好きにすると良い」
ドラゴンは町を見下ろしてそう言った。町は中心に教会らしき建物があり、その前は広場になっている。その広場からは四方へと大きな道が伸びていて、道沿いに建物が建っている。道も、それに面する建物もレンガ造りで、町の外側には牧場らしきものも見える。
「ここまでありがとう。近いうちにお礼に行くよ」
ドラゴンから降りた真島はドラゴンに向かってそう言った。
「わかった。その時は私の住処にきて。今日会ったのは私の住処ではないから」
「住処へはどう行けば?」
「この町の近くに川があるでしょう。その川をさかのぼった先に山があるの。その中腹の洞穴が私の住処。まあ、山の近くまで来てくれれば迎えに行くわ」
「わかった。じゃあ、また」
別れを告げると、ドラゴンは飛び去った。
「貴方、今のはどういうことですか!」
ドラゴンを見送る真島に声をかけてきたのは、教会から出てきた、金髪碧眼のシスターであった。腰まで伸びた髪は艶があり、よく手入れされていることが伺える。普段は淑やかなのだろうが、今はひどく混乱した様子でハヤトに詰め寄っている。
「何故ドラゴンなどと一緒にいたのですか!」
「すみません。ドラゴンとは何ですか。私、記憶喪失で何もわからないのです」
顛末の説明を面倒に思ったハヤトは嘘をついた。
「あら、そうだったのですか。それは大変でしょう。ただ、それでもお話はお聞きしたいのでひとまず中へどうぞ」
シスターはまだ混乱しているようだったが、ハヤトの言葉を鵜呑みにし、教会の中へと招き入れる。
「服装も見慣れないものですし、異国からの旅の途中、ドラゴンに襲われて記憶喪失になった、というところでしょうか」
真島からドラゴンと会った顛末を聞き出したシスターは勝手に結論付けた。話を聞く過程で次第に落ち着いたのか、このころにはシスターの顔から焦りの色は消えていた。
「でも、あのドラゴンは私をここまで運んでくれました。襲ったとは考えにくいのでは?」
「いえ、ドラゴンは凶悪な魔物です。様々な伝承にもそうあります」
「では、あのドラゴンも何か企みがあって私を運んだ、と」
「ええ。しかし案ずることはありません。この町でも多くの人がドラゴンを目撃しました。すぐさま国王様へ報告が行き、討伐隊が組織されるでしょう」
「しかし、ドラゴンは何もしていないんでしょう。いきなり討伐というのはどうなんですか」
シスターがあまりにドラゴンを敵視するので、真島はドラゴンを擁護したくなった。
「ああ、あのドラゴンは卑劣にもあなたに呪いをかけたようです。でなければ、そのような考えが起こるはずもありません」
「ドラゴンをかばうのは呪いですか」
真島の顔にいら立ちの色が混じる。シスターはそれを呪いへの不安からのものととったのだろう。
「はい。ですが安心してください。私が神に祈り、必ずやその呪いを解いて差し上げます。それまではこの教会に住むといいでしょう。ほかにも困ったことがあれば言ってください。私が力になります」
「いえ、結構です。そんなことをしていたのでは死ぬまでこの教会にいることになるでしょう」
ドラゴンを悪と信じて疑わず、話の噛み合わないシスターに嫌気がさした真島は、そう吐き捨てて席を立つ。シスターは真島をなだめようと後を追う。
「待ってください。今のあなたは呪いのせいで正常な判断ができないのです。きっと治して見せますから、どうか考え直してください。それに、どこに行くと言うのですか。異国から来て記憶喪失では行く当てもないでしょう」
「知りませんよ。ただ、私はあのドラゴンが悪と決めつけることはできません」
「ですから、その考えは呪いによるものなのです」
そんな問答を繰り返しながら、真島は教会を出る。広場に出た途端、武装した兵士たちが真島を取り囲む。
「お前か、ドラゴンに乗ってきたというやつは。来い、話がある」
「待ってください。その方はドラゴンの呪いを受けているのです。連れて行かないでください」
シスターの言葉に、兵士たちはどよめき、無意識に真島から距離を取る。その隙を見逃さず、ハヤトは兵士の間を駆け抜け、路地へと入った。兵士たちも後を追うが、真島に追いつくことはかなわず、次第に距離を離される。しかし兵士には数の有利と土地勘がある。何度振り切ってもしつこく追いかけてきた。
「こちらへ!」
不意に、路地の横から声をかけられる。真島は声のした路地に入った。
路地には数人の人だかりがあった。そのうちの一人が真島を近くの建物に入らせる。その建物の地下には道があり、そこから別な建物へ移動することができた。
「兵士は完全にあなたを見失ったでしょう。しばらくは安全です」
真島を建物に導いた男が言った。
「助けていただきありがとうございます。ところで、あなた方は?」
「申し遅れました。私は竜神教の教主ザルモランジ。それから、こちらは信徒です。我々はドラゴンをあがめております。つきましては、ドラゴンと行動を共にしておられた貴方様にお話を伺いたく……」
「残念ですが、私は記憶喪失なのであまり力になれないかと。それでもよければお話しします」
真島はシスターに話したことと同じ内容を話した。
「なるほど。驚きました。ドラゴンと会話ができ、しかも友好的な関係を築いているとは。あなたは私たちにとっての救世主かもしれません。いかがでしょう。記憶が戻るまでこちらにいらしては」
「現実的ではありませんね。私は顔を知られすぎました。もうこの町にはいられないでしょう。他の町へ行きます」
「それなら我々の同志に世話をさせましょう。この町の近くですと、マヘスの町が近いかと。川沿いに下っていったところです。明日にでも我々がマヘスの町までお送りしましょう。ひとまず今晩はここに泊まってはいかがでしょうか」
「いえ、今晩にでもここを出ます。あまり長居しても脱出しにくくなるでしょうから」
「なるほど。聡明なお方だ。急いで護衛の手配をします。しかし、準備には時間がかかります。せめて、出発は明日の朝にしていただけませんか」
「いえ。兵士たちにはなるべく時間を与えたくありません。それに、あまり大人数で動くと兵士たちに気取られるでしょう。やはり、拠点の所在地だけ聞いておき、私だけで向かう方が気づかれにくいかと」
「いえ、救世主様に何かあっては大変です。最低でも二人は護衛をつけさせていただきます。その準備のためにも、出発は明日にしていただきたい」
「できません。明るくなってからでは私であることがバレやすい。遅くとも日の出前にはこの町を出ます」
「わかりました。なんとか日の出前までに手配を済ませましょう。いかがでしょう、それまでにお食事を済まされては。何か作らせますよ」
「いえ、町を出るまで安心はできませんから。こんな状況では食事ものどを通りませんよ」
「そうですか。まあ、何かありましたらお言いつけください」
不満げに言い、竜神教の男は引き下がる。真島は辺りに気を払いながら体を休め、夜を待った。
「救世主様、行きましょう」
夜になり、ザルモランジがやってきた。
「クベーハラとアイテカトルです。この二人にマヘスの町までの護衛を任せます。クベーハラは信徒一の戦士です。アイテカトルはゴロツキですが、腕は確かです」
「わかりました。よろしくお願いします」
真島は二人の巨漢に会釈をし、ザルモランジに話しかける。
「ところで、彼らへの報酬は先払いにしませんか。彼らも、護衛のあとで報酬を受け取りに戻るのは手間でしょうから」
「恐れながら救世主様、クベーハラはともかく、アイテカトルのようなゴロツキに先払いは危険です。途中で任務を投げ出すやもしれませんから」
「なんだと?」
アイテカトルと呼ばれた巨漢はザルモランジにつかみかかろうとする。
「やめろゴロツキ」
もう一方の巨漢、クベーハラがアイテカトルの腕をつかむ。アイテカトルもクベーハラをにらみ、非常に険悪な雰囲気となっていた。
「なんとも険悪な雰囲気ですね。本当にこの二人で大丈夫なのですか?」
「救世主様のご心配ももっともです。どうでしょう、もう数日ここにおられては。腕の立つ信徒を集めましょう」
「そんなに私をひきとめたいのですか?」
「いえいえ、滅相もない。ただ救世主様の身を案じればこそですよ」
「計画は変えません。それから、今すぐにアイテカトルさんに報酬の全額を支払ってください。そして、無事に護衛を終えた後、さらにその十倍の報酬を支払ってください」
「何をおっしゃいますか!この男にそれほどの価値があると、救世主様はそうおっしゃるのですか?」
「私としても、護衛を途中で投げ出されたり、兵士側に寝返られたりすると困るんですよ。誰かさんのせいで彼に不信感を持たせてしまいましたから。今はとにかく、彼に『仕事をこなした方が得だ』と思わせなければ」
「しかし、今回の報酬は法外に高く設定しているのです!そんなことをすれば我々の財政は傾きます!教主として、竜神教を破滅に導くようなことは…」
「ではこうしましょう。この条件を受ければ、あのドラゴンの住処を教えましょう」
「……わかりました。条件を呑みましょう。おい!彼に報酬金を!」
アイテカトルの元に大量の金貨が運ばれてきた。
「アイテカトルさん、これで彼らの非礼を許してください。本当に申し訳ありませんでした」
真島はアイテカトルに頭を下げる。それを見た竜神教の者たちも頭を下げた。
「まあ、俺は気にしてねえよ。あんたのおかげで報酬も増えたしな。まあ、その、なんだ。頭を上げてくれよ。調子が狂っちまうぜ」
こうして無事、真島は二人の護衛を約束させたのだった。