アスタルトの才覚
開かれたドアから、伝令兵が声を上げながら入室する。
「失礼します」
「……イリュージョン」
伝令兵の声に被せるようにして、アスタルトはドアの方を見ながらそう呟く。
「ミラージュ様、アスタルト様、魔王城からの連絡内容をお持ちいたしました」
伝令兵は、何もない空間に向かって敬礼をすると、懐から一枚の手紙を取り出した。
ミラージュやアスタルトは未だにベッドの上に居るのだが、まるでそれが見えていないのか、全く見当違いの方向に話しかけている。
「はっ、かしこまりました、こちらがその内容になります」
そして右手に持った手紙を差し出すと、その手紙を手放した。
当然、手紙はひらひらと落下していき、ぱさり、と音を立てて床に到着する。
しかし伝令兵はその様子に全く気付いていないのか、再び何もない方向へ敬礼を行っている。
「それでは私はこれにて失礼致します」
透明人間とでも話しているのか、それとも一人芝居をしているのか、はたまた何か幻覚をみているのか、伝令兵は自身の仕事を終えたと言わんばかりに退室していった。
ドアの閉まる音と共に、暫しの間、部屋の中には静寂が訪れる。
「今のは……タルトちゃんかい?」
ミラージュが感心したような声色で、タルトに問いかける。
「ええ、おかげでそれなりに上手く行きましたね。大人数相手には試してみないとわかりませんが、実用性はありそうです」
アスタルトは表情一つ変えずに返答し、おもむろにベッドから立ち上がると、床に落ちている手紙を拾いに歩き出す。
なんら特別な事が無かったかのような態度だが、先程の伝令兵の様子は明らかにただ事ではなかった。
「末恐ろしいな……まさかあれだけの短時間で……流石、タルトちゃんは天才だね」
ミラージュにしては珍しく、身を震わせながらも感心しているようだ。
伝令兵の様子がおかしかったのは、アスタルトによるもので、部屋に入ると同時に、幻覚魔法を掛けられていた。
彼の眼に映ったのは、部屋に中に立つミラージュとアスタルトの姿であり、ベッドの上にいる二人は全く認識できていなかった。
幻覚のミラージュとアスタルトに敬礼を行い、手紙を手渡すのだが、従来のアスタルトの幻覚魔法では、ここで違和感を覚えてしまうのだ。
伝令兵が手紙を渡す際には幻覚のミラージュに指先で触れる為、相手の肌触りや触れる時間によっては体温を感じないと、おかしいと思われてしまう。
そこでアスタルトは、見た目に働きかける視覚と、声や音を誤魔化すための聴覚、そして実際に触れた時の触覚、五感のうち三つに作用させて、伝令兵に幻を覚えさせていたのである。
「結構長い時間、ミラージュ様の体に触れていましたからね。それに相手が一人でしたから、集中できたおかげでもあります」
ミラージュが幻影城に戻ってから数時間、この部屋に籠ってアスタルトはミラージュの肉体をくまなく触り続けていた。
そのおかげでイメージが鮮明になり、伝令兵を誤魔化せたのだが、先程ミラージュが呟いたように、それは正に天才の域に達していると言える。
普通の姿を誤魔化すような効果を齎すだけでも、非常に難易度が高い幻覚魔法を、視覚だけでなく、聴覚と触覚も合わせて三つに働きかけていた。
その上、触覚に関しては、たったの数時間、それだけの時間でイメージを完璧に作り上げていたのだ。
このような真似を出来るのは宮廷魔導士の中にも一人もいなかったと、ミラージュは心の底から感心していた。
「それでも……だよ、これは僕もあまりうかうかしてられないかな」
ミラージュは、事、魔法の行使に至っては他の追随を許したことはなかった。
勿論、本来の実力を隠している為、周りにはそのようには認識されていない――それでも魔法の天才と思われている――のだが、本来の実力を出した自身に並び立つような、魔法の力を持った者は今まで見たことがない。
それは勇者であるユリアや、聖女であるパルミナ、また魔王や他の四天王も含めての話だ。
実際の戦闘となれば魔法だけという訳には当然いかない為、勝敗は戦ってみないとわからないのだが、たった今、自身の魔法技術に間違いなく追いついてきている存在がいる事を、ミラージュは思い知らされていた。
それだけ、幻覚魔法の昇華は難しく、偏にアスタルトの弛まぬ努力と溢れんばかりの才能が齎した結果といえるだろう。
そんなアスタルトの存在に対してミラージュは、表情こそ仮面で見えないのだが、歓喜に打ち震えている。
元来の性格も怠惰であったのだが、魔王軍に入り、更には宮廷魔導士になり、一般的な魔法使いの実力を知った事で、ミラージュ――及びファルサ――は余計にそれを悪化させていた。
努力の必要もなく自分が常にトップに立てる、それも力を抜いた状態で……だ。
そういった環境も手伝って、仕事への執着を余計に失っていったのかもしれない……いや、元々怠惰で、面倒くさがりで、怠慢なミラージュの事だ、流石にそれはないだろう。
「ご冗談を。私程度の実力では、まだまだ力不足なのは自覚しております。そうやって煽てて仕事をサボろうと考えても無駄ですよ」
ミラージュがタルトに仕事を押し付ける際に、物で釣ろうとしたこと以外にも、煽てたり宥めすかしたり、様々な手段を使ったことがある。
アスタルトからすれば、また始まったのかと言わんばかりの対応になるのも無理はないだろう。
「いやー、それを言われると僕は、ぐうの音も出ないけど、それにしても……いつの間にそこまで鍛え上げたのかな? 僕のせいなのもあるけれど、相当忙しかったと思うけど」
「別に……時間など作ろうと思えば何とかなるものです。それに毎日の様にミラージュ様の幻覚を作り出していたので、修行には事欠かなかったと思います」
幻影軍の兵士の中で、ミラージュの不在癖を知っているのはアスタルトだけである。
つまりそれだけ、ミラージュの幻覚を作り上げることが日常になっていたのだ。
そうした事情があるので、アスタルトが度々ミラージュに対して辛辣になるのも無理はない。
そこまで部下に苦労をかけているのだから、ミラージュはそろそろ心を入れ替えてもおかしくはないのだが……。
「でも、それだけの実力なら、今すぐにでも僕と四天王を交代できるよ。どうだい? 魔王様に進言してみないかい? これはお世辞抜きで、タルトちゃんの幻覚魔法なら間違いなく認められると思うけど。おそらく歴代魔王軍の中でも一番の実力だと思うよ」
とどのつまり、ミラージュは周囲の環境に関係なく、ものぐさな性格なのだ。
しかし、アスタルトの魔法に対する評価は本物のようで、その声色は真剣そのものだった。
珍しく真面目な様子のミラージュに、少しの間、瞠目するアスタルトだったが、気を取り直して言葉を返す。
「ふざけた事を言わないでください。もし私が四天王になるとしたら……そうですね、ミラージュ様の薄汚い首を刎ねた時ですね。その時までしっかりと首を洗って待っていてください。それよりも、手紙の内容に書かれていたのは私たち二人への魔王様からの呼び出しです。私は少し準備をしてきますのでこれで失礼します。ミラージュ様は服を着てから、執務室でお待ちください」
そう捲し立ててから足早に部屋を出ていくアスタルトと、その背中を呆然と見送るミラージュ。
しかしミラージュは気が付いていなかった、背を向けているアスタルトの顔には、珍しく、本当に珍しく、笑みが浮かんでいたことを。
まるで親に褒められて喜ぶ子供の様な、アスタルトはそんな無邪気な笑顔を見せていたのだ。
タルトちゃんと幻覚魔法の裏設定を、8月8日の活動報告に載せております。
本編では出てこないタルトちゃん設定を知りたい方はご一読ください。
タイトルは「幻覚魔法とヒロイン周り、アスタルトの裏設定」です。