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月夜の円舞曲1

 王都から西に数キロ離れた場所にあるマルティールの丘。

 一人の女騎士が一歩、また一歩とその美しい脚を動かして進み、鎧に使われている金属がその都度擦れ合い、カシャリ、カシャリと音を立てる。

 夜風に靡く金色の長い髪は月の光に照らされて美しい輝きを放ち、碧色の双眸は真っ直ぐに前を見据えていた。

 視線の先にはある一つの影。

 ヴァロワ王国では見かけないであろう奇妙な形状の武器らしき物を持ち、今すぐにでも闇の中に消えてしまいそうな髪と服装をした男。


「セシリアから呼び出されたはずなのだが、どうして貴殿がここに居る。スペキエース卿」


「今晩は、ゼノビア。どうして、と聞いておきながら、そこまで驚いていないようだね」


 雲一つない夜空を見上げたまま、ファルサは答える。

 内心を見抜かれたのか、ゼノビアは少し不機嫌そうな顔になりながらも腰に佩いた剣を抜き、構えを取る。

 一方のファルサも、日頃持ち歩いている仕込み刀の杖ではなく、身の丈以上の大きな鎌を持ち上げた。

 ファルサが準備運動代わりに大鎌を振り回すと、周囲には風を切る音が響く。


「少しだけ、こうなる気はしていた。それにしても初めて見る武器だな」


「君は僕との再戦を望んでいたし、最後に全力で戦っておくのも悪くはないと思ったんだよ」


 大鎌の湾曲した刃をゼノビアに向け、ファルサはわざと不敵に見える様な笑みを浮かべる。

 ファルサがゼノビアに手紙を出しても本人まで届かない為、嫌がるセシリアに嘘の果たし状を出させたのだ。

 もっとも、セシリアではなくファルサが待ち構えている可能性をゼノビアが考慮していたのは、昔の約束があったからだろう。


「成程。隠し事の多い貴殿は、本来の得物まで隠していたという訳か。だが、その体で私に挑むとは随分と見くびられたものだな」


「見くびってなんかいないよ。僕の体調が万全じゃない事を差し引いても……君に負けるつもりはない!」


 既に臨戦態勢に入っているから合図は不要だと判断し、ファルサは地面を蹴って勢いよくゼノビアへと肉薄する。

 あまりの速さにゼノビアは一瞬驚きを露わにするが、首元に迫る刃を己の剣で受け止め、剣の腹を左手で支えて押し返そうとする。

 力と力のぶつかり合い、しかし、どちらも引く様子が無い。

 ギリリ、ギリリ、と刃の擦れ合う鈍い音と共に、互いの体を支えている足が大地を削る。


「私と正面からぶつかっておいても顔色一つ変えないとは、日頃の体力の無さはやはり演技だったのか」


「いやいや、これでも力仕事は苦手なんだ。魔法に比べると格段に……ねっ!」


 言葉を交わしながら、ファルサは強化魔法に使われている魔力を瞬間的に上げて、力まかせにゼノビアの体を吹き飛ばす。


「ウインドスラッシャー!」


 宙を舞うゼノビアに向かって、ファルサは大鎌を振るい不可視の刃を繰り出した。


「くっ! 飛斬!」


 ゼノビアが空中で剣を振るうと、二人の間に位置する何もない筈の空間で小さな爆発が起きる。

 周囲には風が吹き荒れファルサの頬には小さな切り傷が出来てしまう。

 一方のゼノビアは、そのまま地面に着地をしてファルサの動きを警戒しているが、特に傷を負った様子はない。


「流石は王国一の騎士だね。打ち消された上、こちらが傷を負わされるとは思わなかったよ」


「ふん、貴殿が魔剣技を使用する方が驚きだ。魔法も一流、武器を扱わせても一流、何でも熟せるとはまるで勇者だな。私は王国一の騎士などと持て囃されているが……全く井の中の蛙だったという訳か」


 魔剣技、それはその名の通り魔力を纏わせた剣技――と言っても剣以外の武器で扱う場合も含まれる――の総称である。

 魔法使いに比べて圧倒的に少ない魔力を、肉体強化に充てる目的で開発された魔法が強化魔法であるが、魔剣技は武器そのものに魔力を纏わせる強化魔法の応用技術といえる。

 使い方次第では、なまくらでも名剣と同等以上の硬度や切れ味を持たせる事も出来るが、強化魔法以上に魔力の消耗も大きく扱いも難しい。

 また、二人の様に斬撃を飛ばすとなると、並大抵の努力ではたどり着けない領域になるのだ。


「ふふ、僕が勇者とは随分面白い冗談だね。まぁ、君とは積み上げてきたものが違う。落ち込む必要はないさ」


「ほざけっ!」


 挑発に乗る素振りを見せたゼノビアがファルサに切りかかる。

 ファルサが防いでも、ゼノビアは何度も攻撃を繰り返す。

 しかし、その攻撃は決して冷静さを失ったものではなく、的確に対処が難しい角度から繰り出し、緩急を付けてタイミングをずらしながら、虎視眈々とファルサの隙を窺っていた。

 ファルサがゼノビアの鋭い攻撃を防ぐ度に、剣戟の音が鳴り火花が散る。

 大鎌はその形状や大きさ故、扱いが非常に難しい。

 巨大な刃のせいで武器の重心がかなり前方に偏り、見た目通り小回りも利かない。

 無闇に振ると、その重さで体が引っ張られて致命的な隙を生んでしまう為、今のファルサの様に接近されると後手に回りやすいのだ。


「どうした! 防戦一方ではないか!」


「これだけ接近されると、中々難しいからね」


「戯れ言を!」


「本心から言ったのに酷いなぁ。君の剣技は本当に素晴らしい。おそらく、僕がこれまで見てきた中でも五指に入る。技術的な部分だけなら一番かもしれない。でも……」


 対処する方法はいくらでもある。

 そう言って口元を歪ませたファルサの顔を見たゼノビアは、表情を強張らせながら勢いよく後ろへ飛びのいた。

 直後、先程までゼノビアが居た地面から数多の棘が飛び出し、その鋭い先端が天を仰ぐ。

 その場に留まっていたら間違いなく重傷を負っていたであろう攻撃。

 それらはファルサが密かに発動させた無詠唱による攻撃魔法だった。


「おっと、避けられたか。君には魔力を感知する事は出来ないはずだけど……流石は王国最強の騎士、素晴らしい勘の良さだね」


「……以前にユリアたち勇者候補が受けていた魔法の講義を思い出してな。魔法の発動は両の掌から行うのが一番精度も高く扱いやすい、しかし――」


「理論上は全身どこからでも発動が可能だ。しかし、それは逆立ちしながら足の指で針に糸を通すよりも遥かに難しい」


「理論上は全身どこからでも発動が可能だ。しかし、それは逆立ちしながら足の指で針に糸を通すよりも遥かに難しい」


 示し合わせたかのように、二人の声が重なる。

 魔法を発動させる魔力は、主に手のひらの魔力孔から放出させる。

 その為、魔法使いは護身用の杖を除き、基本的には常に手を空けておく。

 武器に魔力を纏わせる場合も、同じ様に手のひらから放出されており、こちらは逆に武器を手放してしまうと魔力が霧散してしまう。

 魔力の操作とはそれだけ繊細な技術を要求されるからこそ、ファルサの様に強化魔法を使用して戦闘しながら攻撃魔法を放つなど、本来はあり得ない行動なのだ。

 理論上可能である事と、実戦で行う事は全くの別物であり、それは戦いに身を置く者ならば誰しもが経験で知っている。

 だが、ゼノビアは本来机上の空論であるはずのあり得ない行動を予見し、躱して見せたのだ。


「まさか、当時の君が僕の講義を聞いていたとは驚いたよ」


「これでも元々は魔導士共を憎んでいたのだ。復讐を成し遂げる為には、その相手について知るのは基本中の基本だろう? それに貴殿は全力で戦うと最初に言っていたのだから、魔法を警戒するのは当然だ。その上、先程の表情は何かをすると言っている様なものだったからな」


 何年も前に一度だけ話した事のある内容を覚えているとは凄い執念だったんだな、とファルサは素直に感心する。

 ユリアを含めた孤児たちを集め、勇者として育成する勇者計画。

 その計画が実行に移された初期段階で、ファルサは魔法理論の講義を担当していた。

 もっとも、ファルサの理論は古臭い考えを持った当時の宮廷魔導士たちから認められなかったのだが、騎士であるゼノビアは従来の魔法理論に対する常識を持ち合わせておらず、その講義の内容を素直に信じたのだろう。

 しかし、覚えているのと実戦で対処するのは全く別の話であり、ゼノビアが卓越した戦闘センスの持ち主である事を証明していた。

 ファルサは己の中にあるゼノビアの評価を一段引き上げる。


「君には必要のないお節介みたいだったね。命を奪うつもりはないから、わざと警戒させて防御に徹してくれればと思っていたけど」


「ふん、女子供に優しいのは貴殿の美徳だが、弱みでもある。全力と言うなら、私を殺すつもりでこい! 私も貴殿を殺すつもりで挑ませてもらう!」


 剣の切っ先を向け高らかに声をあげるゼノビアの姿は、とても美しい、とファルサは思いながらも、覚悟を決める。

 魔王軍の上層部クラスには、武器を振りながら魔法を唱えられる者も少なくない。

 勿論、発動速度や威力、実力そのものに差があるのだが、それを知らずに不意を突かれてしまうと、そのまま致命傷になる可能性が高い。

 そうした戦い方を植え付ける為に、ファルサは敢えて先程の様な行動を取ったのだ。

 近い将来、人間と魔族の争いが今よりも激化した時、せめて彼女たちが少しでも生き長らえるように、と。

 現在の魔族との戦いは四天王クリューエルとその配下だけが相手であり、それも余力を残した状態なのだ。

 仮に、勇者によって魔王軍の四天王が討伐される様な事態が起きてしまえば、人間という種族が完全に魔族の敵として認識される可能性もある。

 そして、その時にファルサという宮廷魔導士は既にこの世に存在しない。

 魔王軍に所属する実力者の戦い方を教授する機会など、今しかなかったのだ。

 しかし、それを他の人間たちにゼノビアが伝えられるかどうかは、わからない。


「やれやれ、簡単に殺すつもりなんていうもんじゃないよ。僕は荒事が苦手だし、なるべくなら人を殺したくないと思っているんだ。……でも、戦いに身を置く者を相手にする時は別さ。どちらが殺されても文句は言えない。だから、君がそう望むなら僕はそれに応えるだけだ!」


 王国に仕え、魔王軍に身を置いているファルサは、一つの制約を自らの胸に刻んでいた。

 非戦闘員、戦いとは無縁の者は敵勢力であっても絶対に殺めない。

 これは人間でも魔族でも変わらず、また、戦いを生業とする者が相手でも極力殺さず無力化する様に努めている。

 しかし、誰かに剣を向ける者は、同じ様に誰かに剣を向けられても仕方がない事だと考えていた。

 魔族が人間を殺し、人間が魔族を殺す事に思うところが無いと言えば嘘になるが、互いに武器を手に取って戦うる以上は、お互い様だと割り切っている。

 だからこそ、ゼノビアがそういうつもりなら、ファルサもそういうつもりで戦いに身を投じるのは、当たり前なのだ。

 ファルサは魔王軍の四天王で人間の敵、しかし、今ここで討たれるつもりは微塵もない。

 ゼノビアが今夜得た経験を今後に活かせるかどうかは、生き残ってからの話になる。

  

「それが貴殿の本性か。恐ろしい、恐ろしいが……存外、心地よいものだな」


「君みたいな戦闘狂は皆、そう言うよね。僕からしたら理解しがたい感覚だよ」


 殺気を漲らせたファルサに対して、冷や汗を流しながらも笑みを浮かべるゼノビアは、間違いなく戦闘狂と言えるだろう。

 先程までのファルサも本気であったが、当たれば致命傷となる攻撃を仕掛けてはいてもそこに殺気は存在していなかった。

 同じ全力の攻撃であっても、相手を死に至らしめんとする意志が乗っているかいないかでは、全く別物なのだ。

 特に二人の様な遥かなる高みで戦う者にとっては、その差が勝敗を分ける可能性もある。

 模擬戦でも、御前試合でもなく、真の命の削り合いをした者にしかわからない感覚。

 ファルサは理解しがたいと嘯きながら、ゼノビアと同じく心地よさを感じていた。


「私はヴァロワ王国白百合騎士団団長、ゼノビア・ド・クテシフォン。かつて貴殿に敗北を喫した時の借りを返させて頂く!」


 仕切り直しのつもりなのか、自らの身分と名と決闘の目的を名乗るゼノビアに、こういうところは変わらないなぁ、とファルサは呑気な感想を抱く。

 そして、以前に剣を交えた時、自分は名乗りを上げなかった事を思い出す。


「僕はヴァロワ王国宮廷魔導士筆頭、ファルサ・スペキエース……いや、魔王軍四天王、幻影のミラージュ。人間に仇なす存在として、王国最強の剣をこの手で折らせてもらう!」


 紅に染まる左眼を露わにして、ミラージュは宣言する。

 しかし、ゼノビアは一切の動揺を見せる事無く、剣を上段に構えていた。

 やはり僕の正体に気が付いていたか、とミラージュは思い至るが、ここから先の会話は無粋だと判断し、再びゼノビアへと向かっていく。

 ミラージュの大鎌とゼノビアの剣が交わり合う度に音を奏でる中、二人は何度も打ち合いを続ける。

 軽やかな足さばきで旋回しながら、何度も、何度も、何度も何度も。

 互いに手心など加える事は無く、それでも示し合わせたかのように刃が交わり、そしてまた離れる。

 寸分の狂いも無く三拍子を刻む二人の影は、抱き合いながら舞い踊る。

 影の主たちとは別の姿を映し出すのは月夜の悪戯か、それとただの偶然なのか。

 どちらにしろ、主たちの演奏が終わらぬ限り彼らの時も永遠に流れ続けるのだ。

 

 

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