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ゼノビア・ド・クテシフォン11

「では改めまして、ヴェルザー商会ヴァロワ本店の支配人を務めさせて頂いております、アントンと申します。以後お見知りおきを」


「同じく、副支配人のヤコプと申します」


 先程、ファルサが案内された応接室よりも一段上の調度品が置かれた部屋にて、交渉の場が開かれた。

 部屋の周囲には商会の警備担当と思われる屈強な男たちが十名程立ち並び、会頭を除くトップ二人はテーブルを挟んで向かい合う位置に立ち、お互いの担当していた相手に自己紹介をして深々と頭を下げる。

 そして、翆龍の瞳を求めて訪れた貴族の男女が四人、豪著なソファに腰を腰を掛けて向かい合っていた。

 支配人の位置から向かって左側にファルサとセシリア、右側に座るのがダンピエール公とゼノビアである。

 更には、先日王宮でも顔を合わせたダンピエール公の付き人二人と、クテシフォン家の執事であるセバスも、各々が仕える者の後ろに控えている。

 

「まさか貴公とこの様な場で相見えるとは、随分と私を驚かせるのがお好きなようだ」


「運命を司る女神フォルトゥナ様の悪戯なのでしょう。私もゼノビア嬢も勇者様に指導をしていますから」


「……」


「……」


 一見すると朗らかな様子で会話をするダンピエール公とファルサとは対照的に、ゼノビアは仏頂面に腕を組んだまま無言を貫き、セシリアはそんなゼノビアと視線を合わない様に顔を背けて落ち着かない様子を見せていた。

 そして何より目立つのが、ゼノビアとセシリアの格好である。

 ポニーテールと呼ばれる髪型に白いワンピースという出で立ち、そして金髪碧眼を持つ彼女たちの見た目は非常に似通っていた。

 ゼノビアの趣味に合わせたとはいえ、流石に服装まで完全に一致するのはファルサにも予想外であった。


「では、僭越ながら私アントンが交渉の席を取り仕切らせて頂きます。まず、ダンピエール公爵様とスペキエース子爵様のお二人より、金貨五千枚という金額で翆龍の瞳の購入を打診がございました。当商会と致しましても大変ありがたいお話なのですが……ご用意しております翆龍の瞳はこの一対のみになります」


 不穏な空気を察しているはずなのだが、アントンはその様な素振りを一切見せずに、状況の説明を開始しながら肝心の品物を紹介する。

 テーブルの上では、龍の彫刻が施された宝石箱から瞳を覗かせる一対の双眸、翆龍の瞳が輝きを放っていた。

 一切の加工が施されていない裸石の状態ながら、この宝石の前ではダイヤモンドの輝きすら霞んでしまうだろう。

 直径は親指ほどの楕円形の宝石だが、王都の貴族街に巨大な屋敷を建ててもお釣りが来るほどの価値を持つのだ。

 龍の瞳という名を冠する通り、中心部が瞳を模しているかのような独特の輝きは、見る者を魅了する。

 

「おぉ、これは素晴らしい! 私も過去に多くの宝石をこの目で見てきたが、ここまで見事な品を見るのは初めてだ!」


「対となる石同士だけが左右対称の輝きを放ち、その生成過程は一切の謎に包まれている古代文明の遺産……確かに至宝と呼ばれるだけの事はある」


 ダンピエール公もファルサも興奮気味に言葉を漏らし、ゼノビアやセシリアも心を奪われたように釘付けとなっていた。

 性別や年齢を問わず、宝石に詳しくないセシリアさえも興味を持つのだから、正に逸品である。


「スペキエース子爵、貴公とこのまま競りをするのも可能だが、これほどの品を前にして金貨を積み上げるだけとは芸が無いと思わないかね?」


「確かに同感ですね。東方の言葉でも、猫に小判、豚に真珠、という表現があるくらいです。無粋な真似は控えるべきでしょう」


「ふふ、どうやら貴公とはこうした部分でも気が合うようだ」


「ええ、その様ですね」


「当商会と致しましても、初めにご提示頂いた金額ならば問題はございません」


 ダンピエール公とファルサの言葉に、アントンも同意する。

 ヴェルザー商会としては両者を競わせて売値をつり上げた方が利益が大きいのだが、何事にも限度と言うものがある。

 金貨三千枚から四千枚の相場とかけ離れた金額で売ってしまうと、それはそれで信用を失いかねないのだ。

 不当な金額で品物を売りつける商会という悪評を避ける為に、あまりに値段が上がってしまうなら競売で競り落として欲しいというのが本音になるだろう。

 翆龍の瞳と同等の品を競売に出せずとも、商会の評判を落とさない程度の品は幾つも準備しているはずである。

 しかし、信用や評判を落としてしまうと、取り戻すのに時間がかかってしまう。

 利に敏くなる為には、者は目先の金に惑わされず、長期的な視野を持つ事も重要なのだ。


「支配人の了承も取れたところで……まずは私から話させて貰おう。私はゼノビアに贈る結婚指輪にこの翆龍の瞳を誂える予定でね。彼女の美しさであればこの宝石にも負けず劣らずと言えるだろう。君は蒐集家としても有名だが、個人の部屋に飾るよりも、人目に触れる事こそが宝石の役割だと思わないかい?」


 そう言ってゼノビアの左手をとるダンピエール公の姿に、ファルサは少し心に波が立ったような気分になる。

 しかし、この程度は想定していた事であり、ファルサも計画通りに話を進めるのだった。


「確かにその通りですね。しかし、僕も婚約者への贈り物として購入するつもりなんですよ。ね、セシリア」


「え、ええ、そうなんですわ、ダンピエール公爵様」


 飛び切りの笑顔を見せ肩を優しく抱くファルサと、身を任せて慣れない言葉遣いをするセシリア。

 先日の説得でセシリアが何より抵抗をした、ファルサの婚約者としての演技。

 状況によっては体に触れると説明し、何時間も根気よく説得して練習を重ねたのだ。

 これにはゼノビアも目を見開き、あからさまに動揺しているのが見て取れた。


「まさか……とは思っていたけど、随分と急な話だな」


「ええ、色々とありまして。次期団長となるセシリアと宮廷魔導士筆頭である私が結ばれる事で、派閥内の結束も強まりますし、何より下の者が積極的に結婚出来る風潮も作れますからね。結婚する理由はどうあれ、こちらも婚約者へ渡す以上、引くつもりはありません」


 ゼノビアは忙しなく視線を動かし、ファルサとセシリアの顔を交互に何度も見ている。

 彼女からすれば、訳が分からないのも当然だろう。

 ファルサの行動は交渉相手のダンピエール公に正面から対抗している上、仲が悪いと思っていた相手と婚約しているのだから。

 

「君たち、申し訳ないが席を外してくれないか。暫くは彼らと私たちだけで話し合いをしたい。翆龍の瞳も下げて貰って構わない。私たち四人以外は全員、部屋から出て行って貰おうか。交渉が終わればこちらから知らせる。そっちの三人もだ!」


 笑顔の消えたダンピエール公は、有無を言わさぬ物言いで周囲の者たちに部屋から出て行くように指示を出す。

 商会の人間は只ならぬ雰囲気を察してすぐさま行動し、付き人の二人やセバスも大人しく従った。

 重厚な扉が閉じ、部屋の中に静寂が訪れたが、すぐさまそれも終わりを迎える。


「スペキエース、貴様は何を考えている! 事と次第によっては唯では済まさんぞ!」


「随分と興奮なされているようですね。僕が何を考えているか……別にお話する義理はないでしょう?」


 これまでの会話と打って変わり、激昂して声を荒げるダンピエール公と、あくまでも挑発に徹するファルサ。

 まるで喧嘩を売っているかの様なファルサの態度なのだが、始めからこれが目的だったのだ。

 ファルサの調べでは、ダンピエール公は騎士学校時代に度々問題を起こしていた。

 後に親友となるゼノビアの兄、レオナールとは特に折り合いが悪く、二人とも懲罰房で反省を促された記録がいくつも残っていたのだ。

 卒業後は随分と大人しくなっていたのだが、人間の本質はそう簡単に変わるものではない。

 ゼノビアもファルサ絡みではポンコツな一面も見せるが、団員やユリアを指導する時には厳しさを垣間見せるし、我慢や思慮を覚えただけで頭は固いままなのだ。

 ファルサ自身も責任を果たす事を放棄しないだけで、本来は働きたくないと思い続けている。

 セシリアがファルサを嫌っているのも、ゼノビアに過剰な好意を寄せているのも、公の場では隠し通しているだけで以前から変わっていない。


「ふざけるな! 隣の女をゼノビアの代用品扱いしておいて、その言いぐさか! 元々、貴様の女癖の悪さが気に喰わないと思っていたが、まさかここまで酷いとは我慢の限界だ! 貴様などにゼノビアを渡してしまったら、死んだレオナールに顔向けできん!」


 これだ、この言葉を待っていたんだ、とファルサは計画の成功を確信する。

 今回何よりも重要だったのが、ダンピエール公の真意であった。

 結局、目の前で怒りに震える貴公子が、何を目的としてゼノビアに接触してきたのか。

 アウレリア派への妨害でもなく、ゼノビアへの愛でもなく、亡くなった親友の意志を汲んでいたのだ。

 元々、折り合いの悪い関係だったダンピエール公とレオナールは、ある日の演習を境にその関係が一変する。

 喧嘩で懲罰房送りになる事も無く、頻繁に二人で訓練場へと赴き研鑽を積んでいた。

 そんな掛け替えのない親友の妹が、女性関係で良くない噂のあるファルサと一緒になるのが心配だったのだろう。

 ダンピエール公とレオナールの間にどのようなやり取りがあったのかはファルサも知らないが、こうしてゼノビアを心配している気持ちだけは本物なのだ。


「シル殿、落ち着いてくれ! ファルサ殿もどうして挑発紛いの言動をするのだ! 折角、北部貴族との交渉に手を貸してくれると約束を取りつけたのに、それすらもぶち壊すつもりなのか!」


「シル殿……ね。少し見ない間に随分と他の男と仲良くなったみたいじゃないか。それにあっさりと協力を約束させるなんて、もしかして誘惑でもしたんじゃ――」


 これまで沈黙を貫いていたゼノビアが発した言葉に、ファルサは嫌味を返そうとした。

 しかし、その言葉は左の頬を強く叩かれた事で、途切れてしまう。

 打ち鳴らされた大きな音とあまりの衝撃に、ファルサは一瞬気を失いかけるが、何とか堪えて再度顔を向き直す。

 そんなファルサの目に飛び込んできたのは、翆龍の瞳以上に美しい碧色の双眸と、零れ落ちる大粒の涙だった。


「何が目的なのかは知らないが、その様な態度のファルサ殿は嫌いだ。……シル殿、翆龍の瞳はもう結構だ。それと、すまないが今日は帰らせて貰う」


「ゼノビア! ……連れが疲れてしまったのでこれで失礼させて頂くよ。それにしても、君には心底失望させられたな」


 返事も待たずに真っ直ぐ部屋を出ていくゼノビアと、辛辣な言葉を残して後を追うダンピエール公。

 セシリアだけは何が何だか分からないと言った様子で、狼狽えていた。


「お、おい、貴様の計画は本当にこれで良かったのか? どうみても失敗じゃないか」


「ん、あぁ、これで問題ないよ。完璧だ」


 セシリアには婚約者の振りをしてから先の話はしていなかった。

 ダンピエール公真意を確かめる為に怒らせ、ゼノビアに嫌われる言動をする事がファルサの目的だったのだから。

 後は最後の仕上げだけ、そう思いながらファルサは翆龍の瞳を購入する為の手続きをし、困惑したままのセシリアを騎士団の宿舎まで送り届け、重い足取りで自身の家へと向かう。

 十三夜月が照らす王都の街を歩くファルサの心は、自らの計画が上手くいったにも関わらず、一向に晴れる事はなかった。


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