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ゼノビア・ド・クテシフォン10

 セシリアと買い物に出かける当日、ファルサは王都の南東部にある喫茶店に居た。

 ゲルマニア料理が売りで、王都の下位貴族や高給取りの平民から人気の店である。

 もっとも、まだ昼食には随分と時間が早い為、ファルサはコーヒーだけを注文して読書を楽しんでいた。

 貴族の買い物は、大抵が使用人を引き連れて馬車で移動をするか、直接商人を屋敷まで呼びつける事が多い。

 男女が出かける場合には、相手の屋敷まで馬車で迎えに行くのが一般的といえる。

 しかし、如何にも貴族然とした行動で衆目を集めるのは嫌だというセシリアの意見を尊重し、徒歩での行動をする事になったのだ。


「ま、待たせたな」


 少し緊張した声色で話しかけてきた一人の女性。

 金色の長い髪を馬の尾の様に頭の後ろで纏め、鋭い碧色の光を放つ瞳。

 質の良い布で作られた白のワンピース姿でその場に立つセシリアは、どこからどう見ても良家の令嬢そのものだった。


「それほど待ってないよ。それよりも……随分と似合っているね。凄く綺麗だよ」


「ふん、見え透いた世辞は結構だ。そういう言葉は相応しい相手に掛けてやれ。それにゼノビアを意識したのだから、美しいのは当然だろう」


 随分と手厳しい言葉だが、それも無理はないだろう。

 髪型や服装など、ゼノビアに合わせるように指示したのは、ファルサなのだから。

 これが普通の男女間であれば最低の提案だが、二人には大切な目的を達成するためにこの場に居るのだ。

 

「そういう所は本当に変わらないね。ただ……もう少し取り繕ったらどうなのかな」


「貴様相手に猫を被る必要もないからな。それよりもどこに行くんだ? やはり武器を買うのか? それとも鎧か? ゼノビアの体については隅から隅まで把握しているから、本人が居なくても特注品を作らせる事も出来るぞ!」


 目を輝かせて鼻息を荒くしながら喋るセシリアを見て、ファルサは数日前の事を改めて思い出す。

 セシリアは真似事とは言えファルサと仲良く買い物をするのは嫌だと、難色を示していた。

 ゼノビアの為だと言い聞かせれば押し切る事も可能とは言え、セシリアはお世辞にも演技が上手とは言えない。

 そこでファルサは、セシリアのやる気が少しでも上がる様に、ゼノビアの誕生日が近い事を利用した。

 壊滅的なセンスの持ち主であるセシリアに、王都の流行にも詳しいファルサが協力する。

 そんなファルサの提案で何とかその気になったセシリアに、装飾品等の身に着ける品を選ぶ際の参考にしやすい、と嘯いて、髪型や服装をゼノビア風にさせたのだ。

 

「背筋が凍るような発言は置いておくとして、無難に装飾品か、体型がわかるならパーティ用のドレスなんかでもいいかもね。他にもお茶会用に紅茶の茶葉や食器とかかな。剣や鎧は……今回はやめておこうか」


「そうか? 私はゼノビアから貰った剣を家宝として部屋に飾っているけどな。訓練で使用していた物だから、血や汗がたっぷりと染み込んで――」


「――うんわかった。その話は後で聞くから、とりあえず場所を変えようか。僕のおすすめする商会もいくつか教えるから、贈り物に悩んだら今後は利用するといいよ」


 ファルサは少し慌ててセシリアの言葉を遮り、その健康的な腕を引っ張りながら店を出る。

 いくら防諜魔法で会話を聞こえない様に出来ると言っても、表情までは隠せない。

 貴族令嬢にあるまじき表情のセシリアは、とてもではないが公の場で見せられるものではないのだ。

 女性への贈り物に剣や鎧が出てきたり、誰が聞いても引いてしまう特殊な嗜好を持っているセシリアは、とても残念な美人である。

 セシリアに限らず、白百合騎士団の騎士たちは程度の差こそあるとは言え、多かれ少なかれ似たような性格をしているのだ。

 十代で結婚するのが当たり前な貴族社会で、彼女たちの婚期が遅れがちな理由は、語るまでもないだろう。

 そしてファルサは、人選を誤ったかも、と密かに後悔しながら王都東部の大通りを進んで行くのだった。


「それにしても貴様は男の癖に、随分と女受けしそうな店に詳しいのだな。私の父など、母への贈り物も出入りしている商人や家令任せだったぞ。東方の男はお前の様な奴が多いのか?」


 王都の貴族に人気の商会が経営する店をいくつか巡り、ファルサが最後に紹介した店内で、セシリアは不意に疑問を投げかける。

 貴族の家には御用商人と呼ばれるお抱えの商人――多くの場合は大手商会の会頭――が出入りをしているのが当たり前で、流行の品などを勧められて購入する事が多い。

 商人側としても領地を治める貴族に自らの商会に対して便宜を図ってもらう為、あの手この手で気に入られようと様々な品物を用意する。

 王都で流行の品物を所持する事は貴族の嗜みでもあり、商人たちは流行に敏い者でないと生き残れない。

 つまり、贈り物であれこれと頭を悩ませるくらいなら、御用商人に任せた方が楽で確実なのだ。


「東方出身とか関係なく、僕の場合は趣味と実益も兼ねているんだよ。ただ、男の癖にというなら君だって、女の癖に女受けしそうな店に詳しくない、と言えるけどね」


「っち、失言だったか。私は女らしくというのが嫌で騎士になったし、他の団員も似たような奴が多い。先代の団長も引退したのは二十代半ばを過ぎてからだしな」


「あぁ……あの人も今じゃ子供が生まれて立派なお母さんだからね。月日が経つのは本当に早いと実感するよ」


「全くだ。先月にお会いした時など、子供が立って歩いていたぞ。半年前に会った時はまだ乳飲み子だったというのに、子供の成長は早いのだな」


 昔を懐かしむように穏やかな表情をしたファルサとセシリアは、見本として陳列された高価なドレスを手に取りながら会話を続けていく。

 ゼノビアやセシリアが役職のない団員だった頃、当時の団長には何かと振り回されていたのだ。

 当然、ファルサも自身の意志とは関係なく巻き込まれ、いつもの様にため息を吐きながら東奔西走させられていた。

 

「僕からすると出会った頃の君やゼノビアも子供だったんだけどね」


「そういう台詞は親父臭いと思われるぞ。お、こっちのドレスなんてゼノビアに似合いそうじゃないか?」


 セシリアの言葉に少しショックを受けながら、ファルサは飾り台に置かれたビスク・ドールが身に着けている、ミニチュア版の赤いドレスをまじまじと見つめて確認する。

 肩を露出するデザインで、肘の辺りからは飾り布が垂れ下がっており、全体的にタイトな作りとなっていた。


「艶やかさと情熱さが強調されるデザインか……確かにいいかもしれないね。ただ、色は赤よりも緑にした方がいいとは思うよ。ゼノビアは緑色が好きだからね。後は刺繍でクテシフォン家の家紋を入れて、装飾品もドレスに合わせた物を……」


「ま、まて、一度に言われても覚えきれん」


「大丈夫大丈夫。そこにいる彼が覚えててくれてるから」


 ファルサはそう言って、斜め後ろに控えていた店員に視線を移す。

 整えられた口髭を蓄えた一人の紳士、この店の副支配人が小さく頭を下げていた。

 今二人が訪れている店は王族も利用するヴェルザー商会の最高級店で、訪れた客にはこうして接客係が付く。

 子爵位で貴族としては並の身分ながらも宮廷魔導士筆頭であるファルサと、騎士団の副団長という立場のセシリアだからこそ、接客係にも相応の格が求められるのだ。

 商会の会長、そして実際に店を仕切る支配人に次ぐ存在が対応するだけの上客であると、店側が認めている証左でもある。


「スペキエース子爵にセシリア様、先程のご要望についてはこちらで対応させて頂きます。お話をお伺いしていた限り、十八歳のお誕生日を迎えられるゼノビア様への贈り物かと存じますが……ご友人のセシリア様も同じものをお召しになるのは如何でしょうか? 最近では、仲の良い姉妹やご友人同士で装いを合わせるのが流行しているそうですよ。白百合騎士団の可憐な花であるお二人ならば、それはもう大層お似合いでしょう。その場合、ゼノビア様が緑ならばセシリア様は赤という組み合わせが宜しいかと」


「ゼノビアとお揃いか……それは中々良い案だが……」


 流石は副支配人、随分と商売が上手いな、とファルサは苦笑いを浮かべながら感心する。

 この店に来てからファルサもセシリアも名乗った覚えは無く、副支配人とは入り口で出迎えの挨拶を交わした程度である。

 しかし、副支配人は二人の顔と名前を知っているだけではなく、ゼノビアの誕生日が近い事、そしてセシリアとゼノビアの仲が良い事まで把握して、このような提案をしているのだ。

 普段なら一も二もなくセシリアが受け入れそうな魅力的な案なのだが、当の本人は表情を緩ませながらも迷っている様子を見せていた。


「セシリアのドレスは僕がプレゼントするよ」


「い、いや、しかし、きさま……ファルサ殿から贈り物を貰うなど」


「無理やり付き合わされたお礼代わりって事で、ね? それに、女性を連れ歩いている以上、僕にも見栄ってものがあるからさ」


 いくらセシリアが騎士団の副団長とはいえ、王族御用達の店でドレスを二着も購入するのは相当な負担になる。

 副支配人も騎士の懐事情など把握しているはずであり、本当の狙いはファルサなのだろう。

 女性を連れている以上、贈り物をするのは貴族の礼儀である。

 元々、半ば無理やり協力させたセシリアへの礼をするつもりだった為、ファルサは快く副支配人の目論見通りに行動したのだ。


「う、ぐ、ぐぐぐ、ま、まぁ、そこまで言うなら受け取ってやらん事も無い」


「理解して貰えて嬉しいよ」


 ゼノビアとお揃いのドレスと、ファルサからの贈り物という事実を天秤にかけたセシリアンの心中では、最終的に前者が勝ったようだ。

 その言葉を聞いた副支配人は女性店員を数人呼びつけ、セシリアの採寸やゼノビアの寸法を確認する様に指示を出し、その間待たされるファルサを商談用の応接室へと案内する。

 ヴェルザー商会の応接室は、貴族の屋敷と比較しても引けを取らない程広く、部屋を飾りたてる調度品の数々はどれも一級品であった。

 そんな応接室のソファに体を沈めながら、ファルサは副支配人に本題を切り出した。


「ところで、こちらの商会に翆龍の瞳があると伺いましてね。是非とも購入したいと思っていたんですよ」


「非公開の情報を既にご存じとは驚きました。流石は王宮屈指の俊才と呼ばれているスペキエース卿です」


 口では驚いたと言いながらも、副支配人の表情は全く変わらない。

 この程度で狼狽える様では、王侯貴族を相手にする商会で副支配人という地位には就けないのだ。


「しかし、大変ありがたいお話なのですが、お譲りするのは少々難しいお話でございます。スペキエース卿もご存じの通り、翆龍の瞳はその美しさに魅了された国同士が争い合い、共に滅びたと言う伝説もある程の至極の宝石。来たる同盟祭の競売で目玉商品とさせて頂く予定なのです。毎年、ゲルマニア帝国の皇族の方々もご臨席賜る誉れ高き役目であります故、我が商会と致しましても――」


「――金貨四千、いや五千枚なら如何ですか? 勿論、手形などではなく、現物のヴォロワ金貨で一括してお支払いします」


「なっ! ごせっ!」


 予想通りの渋る様子を見せた副支配人の言葉に被せて、ファルサは金額を提案した。

 同盟祭とは三国同盟の時期に開かれる祭事であり、各国の友好関係を願う一大行事である。

 その中でも各国の重鎮も参加する競売は毎年大盛り上がりで、大量の金貨が飛び交うのだ。

 出品する品物の質はそのまま各商店の格付けにもなる為、今の時期は各商店が最高級品を求めて動き回っている。

 ファルサが求めている翆龍の瞳と呼ばれる宝石は、最近王都内の古代遺跡から発見された物で、副支配人が語った通り、伝説になる程の希少な品になる。

 それだけの品を出品したとなれば商会の評判もうなぎ上りであり、他の商会との格の差を国内外に喧伝できるのだ。

 だからこそ、いくら貴族が相手とはいえ簡単に譲る事は出来ないと言ったのだろう。

 しかし、ファルサが提案した言葉に副支配人の表情が変わり、思わずといった様子で驚愕の声を漏らしたのだ。


「失礼、随分と豪胆な交渉に私も少々驚いてしまいました。ヴァロワ金貨を現物でと仰るからには、それだけ本気という事なのでしょう。しかし、私の一存で判断しかねるお話なので、一度相談させて頂きたく存じます。少々席を外してもよろしいでしょうか?」


「ええ、勿論構いませんよ。どの道、レディを待つ必要もありますからね」


「ありがとうございます。では、失礼させて頂きます」


 礼節を守りながら、しかしどこか逸る気持ちを抑えられない様子で副支配人は部屋を後にする。

 ヴァロワ王国における金貨の価値は非常に高く、金貨一枚でも平民の四人家族が一月は暮らせるのだ。

 競売の落札価格は大よそ金貨三千枚程度、競りが過熱しても四千枚が限度だろうとファルサは予想していた。

 その為、金貨五千枚という破格の値段をつけ、それも一括で支払うと言ったのだから、副支配人も態度を変えたのだ。

 競売と比較して最低でも金貨千枚以上の利益があるのならば、商会としても無視できない話であり、名を捨てて実を取る判断をする可能性が非常に高いだろう。

 彼らは商人、誰よりも利に敏い生き物なのだから。

 しかし、ファルサにとっても高価な買い物であり、金貨五千枚はおいそれと出せる金額ではないのだが、目的を達成する為ならば金貨など惜しくないと判断したのだ。

 さて、上手くいくかどうか、とファルサが副支配人の戻りを待ち望んでいると、すぐに部屋の扉がノックされて、待ち人が現れるのだった。


「スペキエース卿、翆龍の瞳なのですが……実は同じく購入を求めている方がいらっしゃいまして、そちらの方も金貨五千枚を提示されているのです」


「なるほど、それではその方に直接交渉がしたいとお伝え頂けますか? 私としては金貨五千枚以上を提示しても構わないですからね」


「かしこまりました。その様にお伝え致します」


 ファルサは副支配人の言葉にほくそ笑んでしまいそうになるのを我慢しながら、極めて冷静に提案をする。

 希少な品を購入する場合、極稀にこうして希望がかち合う事もあるのだ。

 しかし、金貨三千枚は下らぬ宝石を求める客など、そう多くはない。

 翆龍の瞳とは一対の宝石であり、その輝きは最高品質のエメラルドも凌ぐ鮮やかさと言われている。

 そして、結婚指輪に誂える宝石は瞳の色と系統を合わせるのが一般的なのだ。

 程なくして、採寸を終えたセシリアや、ファルサの伝言を伝えに行った副支配人も戻り、三者は別室へと足を運ぶ事となる。

 婚約者を連れた大物貴族、ダンピエール公の待つ応接室へと。



 


 

 


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